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第10話-②

 体を弾かれたような感覚と共に幸太郎は目を覚ました。 「幸太郎くん!良かった、目を覚ましたのね」  病室に戻ってきた。将太の様子に変化はあっただろうか。思わず椅子から立ち上がって将太の姿に目をやった。 「将太は!?」  木下がよろめく幸太郎を支えながら言う。 「まだ、何も……」 「そうですか……」  体が重い。幸太郎は息苦しさと目眩と頭痛で顔をしかめた。その途端、胃の中から逆流して込み上げてくるものを感じた。咄嗟に廊下へ出て近場のトイレへ駆け込むと、幸太郎は胃の中の物を全て吐き出した。肩を上下に揺らし、荒い呼吸を繰り返す。頭を刺すような痛み。視界がぐらぐらと揺れる。  急に押し寄せてきた体調不良。一体何なのだこれは。呼吸が次第に落ち着いてくると、幸太郎は壁に凭せ掛けながら体を起こした。将太のことが気がかりだ。早く病室に戻って様子を確かめたい。将太は目を覚ましただろうか。幸太郎はおぼつかない足取りで再び病室へ向かった。  病室が近付くにつれ、何人かの声が聞こえてきた。顔を上げて見やると、どうやら将太の病室からだった。室内から漂う慌ただしい空気。辿り着いた病室内を覗き、幸太郎はその光景に思わず声を漏らした。 「え……?」  医師と看護師が将太のベッドを囲んでいた。今まで病室に置いていなかった、見たこともない機材が持ち込まれ、看護師が手早く応対している。 「右の対光反射が低下しています!」 「ルート確保してCTオーダーしてくれ。それから脳外科の担当医に連絡を!」 「はい!」  ベッドには、動く気配のない将太の姿。 「何で……?将太……」 「血圧46の19!」  ゆっくりと、病室内へ足を踏み入れる。 「ルート確保しました!」 「将太!将太!!」 「幸太郎くん今は入っちゃだめ!」  駆け出そうとした幸太郎を食い止めたのは木下だった。対応している看護師たちの邪魔にならないよう、木下は幸太郎を廊下へ連れ出した。 「そんな、どうして!?僕失敗したの!?」  木下の両肩を掴み、幸太郎は取り乱しながら言う。 「そうだもう一回!もう一回行けば!木下さんここは病院でしょ!?薬でも麻酔でもいい!僕をもう一度眠らせて!!」  幸太郎は冷静さを失っている。その姿に、木下は宥めるように言葉にした。 「幸太郎くん落ち着いて。薬も麻酔も患者の為に使うものよ。君に与えることはできないわ。それに、この状態で彼の意識下に行くのは危険すぎる。幸太郎くん言ってたわよね、あっちの自分の体が消えかかってるって。きっと君の体にも負担がかかっているのよ。だからお願い、あとは私たちに任せて――」 「それでも」  幸太郎が木下の言葉を遮った。 「それでも、僕は行きたいんです」  脳裏に浮かぶあの時の光景。将太が体を押しのけていなければ幸太郎自身も巻き込まれていた。スピードを上げて向かって来る車。きっと怖かったはずだ。避け切れない、そう思った瞬間、ぶつかったその衝撃を想像して体の奥から震え上がったはずだ。それでも、体を張って、身を挺して、恋人を巻き込むまいと決死の覚悟で将太は動いたのだ。 「あの時、将太は命を懸けて僕を助けてくれました」  顔を上げ、幸太郎は疲弊しているその表情に笑みを浮かべて言った。 「だったら、今度は僕が命を懸ける番でしょ?」 「幸太郎くん……」  幸太郎は廊下に備え付けてある長椅子に腰を下ろし、両手を膝に置いた。感覚で分かる。もう、瞬時に眠ることすらできないと。眠らなければあの場所へ行けない。眠らなければ、眠らなければ。そう思えば思うほど、気持ちが焦って眠りに落ちることができない。  すると、木下が目の前で膝をつき腰を下ろした。 「……これは気休めにしかならないかもしれないけど、すぐに眠りにつける478呼吸法というものがあるの。今からその方法を君に教えるわ」  そして木下は見上げた。 「だけど約束して。必ず、戻って来るって」  心配そうな眼差しを向ける木下。幸太郎はそんな木下に微笑むと、ポケットからリングを取り出した。反射した光が流れるように円を描く。それは将太の分と一緒に買った、幸太郎自身の指輪だった。左手の薬指に嵌め口元に添えると、幸太郎はその指輪にそっと唇を重ねた。 「はい、必ず。今度は将太と一緒に」

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