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Only just a little 2

 ジェイクはサムの前を通りすぎ雑誌を手に取る。今月号の音楽雑誌だ。ジェイクの弟はスリーピースバンド組んでいて、ヴォーカルとしてバンドを引っ張っている。知名度は中の下くらいだが、年々実力をつけていき、ライヴの規模も大きくなっていった。  四つ下の三十五歳だが、アグレッシブな若々しさが実年齢よりも彼を若く見せている。ジェイクは少し弟が羨ましかった。 「それにしても、よくこの本見つけましたね。小さく取り上げられているインタビュー記事だけなのに」 「彼らが自分たちで掴み取った仕事だ。バンドのSNSを見てみたら今月号のことが載っていてね。君は弟くんのことチェックしないのかい?」 「互いに忙しいですからね。俺もバート……ロバートも。それにここ半年はそれどころじゃなかった」  ロバートとは仕事を理由に年に一度、クリスマスの時期にしか会えない。  それなのに今年は一連の事件でクリスマスどころではなくなり、翌年を迎えてしまいそうだ。 「サム、俺は思うんですよ。ロバートみたいに自分たちで音楽活動して有名になってメディアに取り上げられるのと、俺たちみたいに事件を解決して取り上げられるのとじゃ、何もかも違いすぎる」 「そうかい? どちらも自分たちで手にした成果には変わりないだろう?」 「……刑事は有名になってはならない。もちろん記者会見や広報活動は大事だと俺は思います。だけど事件を解決して栄誉を受け取る形で有名になるのは、何か違う気がするんです。そもそも事件を未然に防がねばならないんだ。そうだ。それにビル……彼のような悲しい悲劇も、二度と起こしてはならない」  アメリカという国に暮らす以上、人種差別の問題から逃れることは難しい。その上、警察内部での汚職。隠ぺい工作。 「ときどき、自分の行いが正しいのかどうかわからなくなってくる」  なぜ、サムにこんな話をしているんだろう。もっと話すべきことは他にもあるだろうに。ジェイクは話題をサムに向けた。 「そういえばあなたの家族は?」 「僕の?」 「あなたと相棒になって三年近く経ちますが、そういえばプライベートを訊いたことがなくて」 「ようやく僕に興味を持ってくれたのかい?」 「違いますよ。ただの世間話です」 「僕の家族はとっくの昔にどこかへ行ってしまったよ」 「え……」  それは言葉通りの意味なのだろうか。詳しく尋ねる前に、サムはゲストルームを後にした。  サムとの会話は夕食後まで多く交わされることはなかった。ひとことふたこと世間話程度の会話はあったが、いつものサムの軽口やセクハラ発言はなかった。  サムが食後の片づけをしている間に、ジェイクはゲストルームに戻り、早々に寝支度を始めた。どうしてだか、ふたりきりでいると気づまりしてしまう。いい歳の大人が何をやっているんだ。その気になればサムの寝ている隙に家捜ししてバッジを取り戻すことくらい簡単なのに、なぜかジェイクはそこまでしようとは思わなくなっていた。  ――慣らされてしまったのか? たった三日で?  ゲストルームから続くバスルームの鏡に向かって、ジェイクは自分に問いかけた。身の回りのことはすべてサムがしてくれるため、ジェイクはただだらだらとした生活を送っていた。それなのに、鏡に映る自分はかつてないほど疲弊している。  理由は簡単だ。夜にまったく眠れないのだ。一日のほとんどをベッドの中で過ごし、無意識のうちに外に出ることを拒んでいる。  ――俺はどうしてしまったんだ……。  起きていても、サムと会話すると不思議と気分が落ちこんでいく。普段通りにふるまおうとしても、いつの間にか暗闇を歩いているような感覚に襲われ、自分でも何を話しているのかわからなくなる。  ただ、サムに助けを求めることはできない。連れこまれた経緯はどうであれ、今はまるっきり居候のような状態で何もかも世話になっている。これ以上は――。  ジェイクは歯を磨き、与えられた新品のパジャマに袖を通して、ベッドに潜りこむ。目蓋を閉じて、耳を塞げ。そうしないと、嫌でもあの光景がフラッシュバックしてしまう。  あれがもしも彼じゃなくて自分だったら。  無抵抗な状態で地上五階の端に追いやられ、射殺され、転落――。ビルの真実を聞いてもなお彼のとったあの行動に関しては、彼の内に秘めた残虐性を否定できないだろう。  あのときビルはジェイクをテーザー銃でもう一度制圧したあと、ジェイクが銃口を向けていた男と何かを話し――内容までは聞き取れなかった――そのまま彼に向けても電流を浴びせ、行動不能にした。無線からサムの声が聞こえたのと、ほぼ同時刻だった。  ビルは無線を奪い、サムと会話をした。  ビルはサムを牽制しつつ、一度無線を切り、倒れている男の元へ戻り、彼を抱えあげ、そして――。  忘れようと思っても忘れられない。  悲惨な現場や犯人との対峙はこれまでに何度も経験していたが、無抵抗な状態で他人の殺人を間近で見せつけられるのは初めてだ。  男を撃ったときビルの口元には笑みが浮かんでいた。男が落下し、地上が騒がしくなると、ビルは階下に向けていた視線でそのままジェイクを射抜いた。本気で殺される。  声すら上げられない自分がひどく弱い生き物に思えた。

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