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第9話

「ヘタレなおまえでも、いいかげん愛しの先輩ちゃまに告る決心はついたんだろうな」 「『僕は恋愛およびセックス方面にまったく興味がないアロマンティック・アセクシュアル』──なあんて言い切っちゃう人に告るのって、三輪車でフォーミュラーカーに挑むくらい無謀ですから」    それを情報収集に励んだのが裏目に出たという。雑談にまぎらせて恋バナを振ってみたところ、建設中のビルを爆破されるに等しい目に遭った。秀帆曰く、  ──小説も漫画も映画も恋愛ものには拒絶反応を起こして、ジンマシンが出るんだよね。  固まった莉音を尻目に、続けてこう断じた。  ──たぶん……違うな、初恋も経験しないままで一生を終えるよ、きっと。    三神は、ふうんと素っ気ない。それでいて希望の灯が点ったように瞳が明るむ。 「謎の喩えだけど意味は通じるわ。てか、浅倉の魅力で宗旨替えしてやるくらいの気持ちでアピれば案外、落ちるかもだ」 「他人事(ひとごと)だと思って、けしかけるな……最初はグー!」 「ジャンケンぽん!」  結果はパーとチョキで、例のあれを押しつけられた。 「腰が軽くなったぶん自己新を更新する予感。じゃあな、証拠隠滅のほう頼む」    そう言って、ランニングシャツをはためかせて颯爽と出ていった。  莉音はチンケな万引き犯のように、こそこそとゴミ置き場へ行った。適当なゴミ袋にブツを押し込み、シャツを点検すると、裾にぽつりとシミができている。  三神のやつだ。爪でシミをこそげて盛大に顔をしかめ、しかしペニスでペニスを煽るやり方は、病みつきになりかねない危ういものをはらむ。  自分で自分の頭をぽかりと殴って、〝めくるめく〟感触を反芻するのを阻止した。スイッチを切り替えてスマートフォンの電源を入れてみたが、特にこれといった着信はない。糸が切れた凧状態の後輩の身を案じる、あるいは怒る。秀帆がそういう内容のLINEをしてこないということは所詮、彼にとって浅倉莉音とは道ばたの石ころレベルの存在と思い知らされたようで唇がわななく。  三神のすかしたツラをこうしてやりたい気分で再度シミを力一杯こすった。あいつが闌入(らんにゅう)してこなければ、先輩とほっこり語らう時間を満喫していた。だが、結果的に愉しんだのだから同罪だ。 「ただれたアオハルを送ってますよぉ、だ」  ゴミ置き場の、金網でできたドアを蹴りつけたせつな、童話の一場面をひょっこり思い出した。 「床屋……そう、床屋だ。王さまの耳はロバの耳って井戸に向かって暴露したのは」  井戸から連想したもの、それはこのたび乗換駅に出現した伝言板だ。もうひとつ、キリスト教における告解という制度だ。  心臓が、ことことと走りだす。ふと浮かんだこれは名案なのか、それとも愚案だろうか。ご自由にと謳う、あの伝言板を捌け口に利用するのはあり……?  貧困にあえぐ状況でさえ、自己責任で片づけられる現状だ。甘えと(そし)られても、片恋にもがき苦しんでいる胸のうちを同じ駅で乗り降りするという、か細い線でつながっている〝どこかのあなた〟に宛てて綴らせてほしい。〝いいね〟に類する印がひとつでもつけば、救われる。

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