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第2章 恋は若草色

    第2章 恋は若草色  SNS上での発言は、物議を醸すものだろうがペット自慢だろうが電脳の海を半永久的にたゆたいつづける。  対する伝言板に(したた)めたメッセージの寿命は二十四時間足らず。即ち始発ならびに終電が出る前のあいだの、駅舎が開放されているまでの時間をすぎれば消し去られる宿命(さだめ)だ。  莉音はリュックサックの肩紐を、ぎゅっと摑んだ。家を出るさいは今日こそと意気込んでいても「やっぱり明日にしよう」でごまかしっぱなしだった、あることを必ずやり遂げる。  とはいえ、なるべく人目につくのを避けたいのも相まって普段より二本、早い電車に乗ってきたほどやる気満々だ。なのに先頭車両がホームにすべり込むころには緊張のあまり蒼ざめていた。  改札を通るときもIDカードを読み取り機に翳しそこねてバーに阻まれる始末。車内で濡れた傘をくっつけられたスラックスが足にへばりついて、なおさら動きが硬い。伝言板が設置された壁に向かって連絡通路を斜めに突っ切るにつれて、戦場へ赴くような悲壮感が漂いはじめる。  あること、とは熟しきってあとは腐るだけ、という恋情を伝言板を使ってぶちまけること。ただし不特定多数が相手だ。  メッセージを書き綴るにあたっては年齢や性別はぼかし、内容じたいも匂わす程度に留める。その反面、誰かの心に響くことを願って一文につき十五文字以内という自分なりの制約を設けて推敲を重ねてきたのだが、難易度が高いミッションだ。  図書館の返却ポストが伝言板の傍らに据えつけられている。返す本をそれに入れるふうを装って、さりげなく周囲を見回した。制服姿は風景に溶け込み、第一、誰も彼もスマートフォンをいじりながら足早に行き交って、莉音の存在など透明人間に等しい。  勇気を奮い起こして半歩、横にずれた。備え付けのチョーク入れから一本、摑み取った。時代遅れの道具だが意外に重宝がられている様子で、今朝もすでにいくつかのメッセージが伝言板をにぎわす。 〝6:26発〇〇行の二両目に痴漢出没注意〟〝当方グラムロック系バンド、ベーシスト急募〟──等々といったぐあいにバラエティに富んでいる。  万人向けのものに混じって、そのメッセージは異彩を放っていた。 〝自分を殺して群れるより、孤立しても己に正直でありたい〟。  読み返すのにともなって心の奥底の、なお深い領域に、一条の光が射し込んだ気がした。混沌とした世界を(さや)かに照らす光が。チョークが指を離れてすべり落ち、ただし紐で結わえつけられているため、ぶら下がって振り子のように揺れる。  つと涙腺がゆるみ、莉音は唇を嚙みしめた。心の琴線に触れるという表現は掛け値なしに真実(ほんとう)だ、と大きくうなずいた。 「己に正直でありたい……」  そう理想を掲げて、だが現実には暗黙の掟の〝同調圧力〟に屈して世間の風潮に迎合し、それを処世術とうそぶく者が大勢(たいせい)を占める。莉音にしても爪弾きに遭わないために空気を読んで、時として自分を騙す。  それだけに孤立するのを恐れない、と誇らかに主張してのける姿勢がカッコいいと思う。  俄然、書き手に興味が湧いた。といっても手がかりが筆跡のみでは、どんな人物なのか見当もつかない。ただ、見た感じチョークの跡は新しい。だとすると書かれてから一時間以内くらい……?

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