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第12話

 マッハのスピードで駆け寄っていきたいのは山々だが、莉音は努めてゆっくりとそちらへ向かった。  すると秀帆は丸椅子を二脚重ねて腰かけていたうちの一脚を、両隣の席との隙間にこじ入れた。 「浅倉の分。遠慮しないで、座って」 「サンキューです。けど、空席待ちのやつから殺気を感じるんですけど」 「三年の特権を濫用した予約席。火曜日は毎週、学食だって聞いてたものね」  レンズの奥の双眸が悪戯っぽくきらめいた。新たに長机の上に載ったトレイを覗き込んで、湯気で湿った眼鏡を押しあげた。 「かけうどんと五目御飯のセットか。炭水化物祭りだね」 「ですね、今日はコスパ重視です」  秀帆は鹿爪らしげにうなずいた。自分の皿からメンチカツをひと切れ、五目御飯の上に移す。 「タンパク質不足の後輩に、あげる」  莉音は涎をぬぐう真似をしながら、ありがたくご馳走になった。衣が分厚いことだけが取り柄のメンチカツが、老舗の洋食店のそれのように美味しく感じられるのは、恋というスパイスのなせる業だ。 「食べたね、恩を売られたね」 「意味がわからないけど買いました」  きょとんとして、応じた。メンチカツの後味を堪能しつつ、うどんをたぐった折も折、破壊力抜群の変化球が飛んできた。 「先輩命令で土曜日は僕につき合うこと」  汁が逆流して派手にむせた。つき合うこと、つき合うこと!? 意訳するとデートのお誘いみたいで、しかし、いくらなんでもサハラ砂漠の端から端まで範囲を広げたくらい拡大解釈がすぎる。落ち着け、と自分をたしなめても祝砲が鳴り渡るようだ。  うどんの端っこが口からはみ出したままの状態で硬直したさまが誤解を招き、秀帆が苦笑を洩らした。 「休日に拘束されるのは迷惑だよね。餌で釣ろうとして、ごめん」 「めっ、迷惑じゃないです、万障繰り合わせてお供いたします!」 「先輩命令は単なる冗談で、無理する必要はないんだよ?」 「ぜんぜんです、ぜんぜん!」  莉音は語勢を強め、それでは足りないとばかりに割り箸をへし折った。 「じゃあ、甘えさせてもらおうかな。五限は体育で着替えなきゃだから先に行くね」  と、席を立った瞬間、秀帆はちょうど彼の後ろを通った男子から肘鉄をみまわれる形になった。それも盆の窪という人間の急所に。よろけると、今度は天板の(へり)に膝を打ちつけて、いちだんとバランスを崩した。  莉音は咄嗟に腕を差し伸べた。砂鉄が磁石に吸い寄せられるように、腕の中にすっぽり収まったはずみに長机ががたついた。  丼の中にさざ波が立ち、莉音の胸中では荒波が逆巻く。華奢な造りでも、見た目以上に筋肉がついていて細竹のようにしなう躰にすがりつきたい誘惑に駆られる。自分と較べてひと回り小柄な相手に対して庇護欲をかき立てられるより、慈しまれたいと望むのは特殊な部類に入るのだろうか。  実は三神と黒い盟約を結んで気づいたことがある。おれはBLの分類法に照らし合わせるといわゆる受け体質だ──と。もしも地球があした消滅するなら今生の思い出に秀帆を抱くより、抱かれたい。

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