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第31話

「先輩、立花秀帆先輩……」  パッチワークは色とりどりの端切れが綾なす絵画だ。そして作品の出来栄えを左右するため、縫い代の倒し方にも決まり事がある。  秀帆は真剣な顔つきで縫い代に癖をつけているところで、生返事をよこす。 「べつにぃ、呼んでみただけ……」  そう誤魔化して、莉音は机に指で綴った。立花秀帆──響きといい、漢字の並びぐあいといい、類い稀に美しい名前だと思う。いや、たとえ捨吉や与作であっても想い人のそれは格別きらきらしい。  人間(ヒト)の足と引き換えに声を差し出した人魚姫に倣って、目玉をくり貫かれるという代償を払ってでも得たい権利がある。立花先輩好きです、恋しています、と叫ぶ権利だ。  朱金や桃色の雲が、群青色の面積が広がりゆく空を棚引く。最終下校時刻が迫り、莉音はいやいや裁縫道具を片づけた。次に秀帆とゆっくり話ができるのは何時間後だろう。そう思うと浴衣をたたむにも、真冬の明け方に布団から這い出すようにもたついてしまう。  消化不良に終わった放課後でも一応の収穫はあった。大方の高校生男子は告られたら、モテ期到来? と浮かれまくるはず。  その点、秀帆はブレない。あの、取り付く島もない拒否りっぷりからいって、トンビにアブラゲといく可能性は宇宙人と接近遭遇するより低い。この将来(さき)、絶世の美男・美女が求愛しても難攻不落でありつづけるだろう。  ただし莉音自身も条件は同じだ。想定以上の鉄砲水が押し寄せて川が氾濫するように、堰き止めきれなかった想いが迸ったところで、秀路を取り巻く堅牢な壁に阻まれて轟沈するのがオチ。 「身の程知らずで、底なしのアホ決定じゃん……」  呟き、掃除用具入れから(ほうき)を取り出した。作業机の周囲に散らばった糸くずを掃き集めていると、 「やらせっぱなしで、ごめん」  心憎い角度でチリトリがあてがわれた。 「先輩は後輩をこき使ってナンボ。こっちも掃け、ちんたらするなって、嫁いびりモードで威張ってりゃいいんです」  お義母さまあと、おどけて力ずくでチリトリを奪い取った。秀帆はつかのま奪い返すそぶりをみせたものの、芝居気たっぷりにそっくり返った。 「ピースをね、今日は全集中で縫ってたから肩こりがひどくて。先輩命令で揉ませちゃおうかな」 「……ご要望とあらば」  準備運動めかして箒の柄を揉む指に、知らず知らず力が入って関節が白ばむ。先輩は危機感が足りない、と思う。マッサージを申しつけるということは、自らに漬かってから焼き網の上に横たわるも同然だ……。

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