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第32話

 莉音は、ぶんぶんと首を横に振った。 「やっぱパワハラはマズいんで、先輩がここの鍵をひとりで職員室に返しにいってくれるなら揉みたおしましょう」 「イケズな提案だなあ、う~ん、どうしよ」  と、可愛らしくなじられて話は立ち消えになった。やせ我慢を張らずに下僕になり切れば美味しい思いができたのに、と莉音が大いに悔やんだのはさておいて。  夕闇がひたひたと迫り、校舎の影が長々と横たわる。肩を並べて校門へ向かう途中、 「そういえば乗換駅に設置された伝言板」  秀帆がふと思い出したふうに言い、莉音はぎくりとして一瞬、立ち止まった。 「学校の行き帰りに余裕があるときは覗きにいって。たまに詩を抜粋したみたいなメッセージが書かれてるのを浅倉は知ってる?」 「知りません、興味ないんで」  ぎくりとしたぶん声が尖った。ケンケンパで先に行って、その場を取り繕う。  ある意味、リアルの友人に対して以上に親近感を覚える仮称Xとは、往復書簡のような形でやり取りがつづいている。詩を抜き書きしたもの、と秀帆が解釈したのはその中のひとつだろう。 〝九十九パーセントの負け戦でも一パーセントの勝算があるうちは、あがく〟。  ちなみに、これは最新のメッセージ。二重線で強調された〝あがく〟に心を揺さぶられて早速チョークを手にした。〝へこたれたら、おしまい〟と一度は綴って返したものの、しっくりこない。別の一文を書き残してきたのだが、自己憐憫臭がぷんぷん匂うあれを秀帆に読まれていたら……。そう思うと、どっと汗が噴き出す。 〝捧げて、捧げて、すり減っていくばかりで、でもいっぺんに粉々に砕けるよりはマシ〟。  と、がらんとした校庭の片隅で大鷲が羽ばたいた。違った、陸上部員が居残り練習に励んでいて、重力から解き放たれたように跳躍するさまから、大空を悠々と(かけ)る猛禽を連想した。  逆光が走り高跳びの用具一式の輪郭をにじませ、すらりとした人影を引き立てる舞台装置のようだ。  莉音は校門をくぐりしな、その光景に魅せられて何歩か引き返した。そして短く口笛を吹いた。  黙々と走って黙々と跳んでいるのは、あれは三神だ。素人目には精密機械のごとく寸分の狂いもないように思えるのに、本人的にはフォームか踏み切るタイミングに納得がいかない様子だ。マットが弾むそばから跳ね起きて助走開始地点に駆け戻る。

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