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第33話

 三神は恐らく競技会で自分が跳ぶ順番が回ってきた場面をイメージして集中力を高めているのだろう。バーを見据えて、やや前かがみになった。軸足と利き足のそれぞれが爆発的なエネルギーを生む前のルーティン、といったふうに。  ひと呼吸おいて大きなストライドで助走をつけると、躰をひねりながら踏み切った。ユニフォームをはためかせ、綺麗な弧を描いてバーを跳び越え、背中からマットに沈んだ。  それは、きっと会心の〝跳び〟。ガッツポーズが残照に映えて、なお眩しい。  校門を出た通りの先でクラクションがけたたましく鳴り響き、それで莉音は我に返った。  三神は今っころドヤ顔で汗をぬぐっているに違いない。ひと筋縄ではいかないやつが実は努力家だったのを知って感心する、という展開は勧善懲悪ものの時代劇のように出来すぎで、青春しちゃってえ、と強いて腐す。  ただ、優雅に泳ぐ白鳥が水面下では脚を動かしつづけているように、がんばる姿はカッコいいと認めるにやぶさかじゃない、と思う。 「早くおいで、置いてくよ」  数十秒かそこいらとはいえ、ころっと秀帆のことを忘れて三神に見蕩れてしまうとは不覚。飼い主とはぐれそうになった犬のように、あわてて校門に駆け寄った。 「いきなり固まって動かなくなるから、びっくりしたな」 「腹がへって、電池が切れちゃって」  デマカセに真実味を持たせるため、よたよたと歩いてみせた。下手にカクカクシカジカと説明したばかりに三神と〝特別親しい〟などと誤解されるのは困る。  なよやかに梢がしなう桜並木に沿って最寄りの駅へと向かう。信号にぶつかったさい、莉音は点字ブロックにつまずいて派手によろけた。改めてその事実が重くのしかかってきたせいだ。  来春、卒業する秀帆と一緒に下校できる機会は、最高でもすでに百回を切っている。地面が波打っているように感じられて信号機の支柱に寄りかかった。心の中で願い事を唱える。  この道がメビウスの輪と同じ構造なら、ずっとずっと先輩と歩いていられる、空間をねじ曲げてほしい──と。  そのころ三神が塀によじ登り、夕景にまぎれゆく莉音をじっと見送っているなんて、当の本人は想像だにしなかった。複雑なものを宿した視線が、こう語る。莉音をつれ戻しにいきたい、先輩とのツーショットを邪魔して恨まれるのは避けたい。舌打ちが、物悲しい響きをはらんで空に溶け入った。  一陣の風が吹き渡り、葉ずれが高まる。秀帆が釣られたように木末(こぬれ)を振り仰ぎ、次いで莉音に微笑(わら)いかけた。 「あさっては遠足だね。晴れるかな、晴れますように」

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