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第43話

「ドンくさあ。浅倉か、瀕死のゴ〇ブ〇か、って眺めな」 「面白いものを拝めてラッキーじゃん」  怒鳴り返すと俄然、勇み立つ。腕力のなさを根性で補い、懸垂の要領でのぼりきった。 「脱出おめでとう。はらはらしたけど抜群のコンビネーションだったね」  拍手で迎えられて、 「おかげさまで生還を果たしました」  (うやうや)しく一礼してのけた。両手にこびりついた泥をこすり落としにかかり、今さらめいてハッとした。秀帆の雨合羽を幹からほどいてみれば、後ろ身頃に大きな鉤裂きができていて、これでは屁の役にも立たない。 「おれのせいで濡れっぱで、すみません」  莉音は急いで雨合羽を脱ぐと、つづけざまにクシャミをする秀帆に着せかけた。そして眼鏡の、レンズの内側までびしょびしょというさまに胸が熱くなった。視界がにじんで鬱陶しいだろうに、救出劇のもようを最後まで見守っていてくれた……。 「浅倉のほうこそ濡れ鼠じゃないの」 「受験生に風邪をひかせるわけにはいきません」  焦り気味に雨合羽を返してくるのを制しておいて、かがんで斜面の下を覗く。それから傾斜に沿って空の弁当箱をゆっくりと転がした。 「三神の運動神経なら、それをスコップ代わりに足を引っかける窪みを掘り進めながら登るくらい楽勝だよね」 「なんだあ、その無茶ぶりは。俺はスパイダーマンじゃねえぞ」 「イケるって。じゃあ先輩、行きますか」  ひらひらと手を振り、えっ? という表情(かお)をする秀帆を登山道へと急き立てた。 「マジに置いてきぼりか。恩知らず、シバくぞ、泣いても許さねえぞ!」  莉音は、そそくさと棒杭を跨いだ。先ほどのひと幕が脳内のスクリーンにコマ送りで映し出されると、うずくまって「うおー」とでも叫びたくなる。  正義の味方参上! とばかりに颯爽と登場するわ、身を挺して助けてくれるわ、カッコよすぎてもはや反則の域に達している。  それはさておき、立ち去ったのはあくまでだ。ただし引き返してサポート役に回るにはインターバルをおきたい気分だった。三神を見直したどころか、惚れ惚れする面さえなきにしもあらずなのに、天の邪鬼なふるまいに及んでしまう理由が我ながら謎だ。  秀帆が眼鏡を外し、振って水気を払うと微笑んだ。 「途中で三神くんと一緒になって。『浅倉のバカ、どこ行きやがった』って毒づきっぱなしだったのは心配の裏返しだったんだろうね。さっきの肩車では名場面だよ。動画をSNSにアップすれば絶対バズったのに、撮り忘れて失敗したな」 「っていうか、おれの黒歴史が世界中に拡散しちゃってたじゃないですか」  莉音は頭を抱えてみせた。密かに恋い慕う相手と悪路を行く。苔が生えて、とりわけすべりやすい踏み段を下りるさいなど補助するのにかこつければ手を握りたい放題で、願ってもないチャンスだ。なのに足取りが重い、スニーカーが水を吸ってぐじゅぐじゅするせいばかりじゃなくて、重い。  ことさら荒っぽくリュックサックを揺すりあげる。斜面の底で心細さに涙ぐむようだったとき、雨は(やいば)の鋭さで全身を打ち叩いた。ところが三神が舞い降りてきたのを境に、分子の構造じたいが変化したように肌を優しく撫でた。

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