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5.運命のいたずらで9
りっくんからの返事は、鬼気迫る『分かりました』だけで、すぐに通話は切れた。
それから十分後、猛スピードで帰って来たりっくんが玄関を開けた瞬間、直線上に居た僕を見つけて駆け寄ってくる。
「冬季くん!?」
「……っ、りっくん……!」
「どうしたんですか! 何かあったんですか!?」
大急ぎで帰ってきたことが分かる息切れと、座り込んだ僕の背中をさりげなく摩ってくれるりっくんの手のひらで、叫び出したいくらい不安な気持ちがどんどん薄れていった。
いけないと思いながら、りっくんの腕に縋る。ギュッと目を瞑って、自分を落ち着かせるために深呼吸をいっぱいした。
泣いてもないのに呼吸が浅かったせいで、胸が苦しくて立ち上がることも出来なかった。
それが、りっくんの顔を見た瞬間ウソみたいに体が楽になって、背中を優しく摩られてるうちにだんだんと意識もハッキリしてくる。
「落ち着きましたか? 立てますか?」
「うん……」
ごめんね、と謝ると、りっくんは「大丈夫ですよ」の言葉と一緒に困り眉で微笑んだ。
ソファに移動しても項垂れてる僕に、なんでこんな状態なのかの説明を急かしもしないでお茶まで用意してくれた優しいりっくんには……やっぱり隠しておけない。
僕のカッターを拾い上げたりっくんが眉を顰めた時、心は決まった。
「りっくん……言いにくいんだけど、その……面接はナシだって言われた……。採用も……。まだ面接もしてないのに……」
ほんとに言いにくかった。
むかしの話をする時より、言葉が詰まった。
「……どういう事ですか?」
「分かんないよ……さっき電話かかってきてそう言われたんだもん……。ていうか面接する前に落ちるとかあるの? この髪がいけなかったのかなぁ……? でも店長のお兄さんも金髪だったのに……」
隣にぴったり寄り添うように座ったりっくんは、僕が愚痴っぽく溢しても特に驚きはしなかった。むしろそんなの分かりきってたくらいの悟った表情で、うんうんと黙って聞いてくれていた。
僕は、ウザがられたらどうしようとか、絶対呆れられるとかそんなことばっか考えてたのに、想像以上にりっくんは器が大きかった。
そしてふと広げられた両腕に気を取られていると、「おいで」と微笑まれて言葉を失くす。
「冬季くん、ハグしましょう」
「えっ……」
ハグしましょう、って……いいの?
ハグ待ちのりっくんを前に、脳裏に過去がチラついた僕は無言で躊躇った。
りっくんは僕を慰めようとしてる。それが分かるから、すぐにでも応じたい。誰よりも信用できる人の腕だから、躊躇う理由なんか無い。
でも……ぎゅって抱きついたら気持ち悪く思われないかな。「ウザいんだけど」って……突き飛ばされたりしないかな。
りっくんは絶対にそんなことする人じゃないの知ってるくせに、さっきまで病んでた僕の思考は簡単に過去を蘇らせた。
迷ってる間にも僕がハグを嫌がってると誤解されても嫌だし、どうしよう……と固まっていると、ついにしびれを切らしたりっくんが動いた。
「……わっ!」
りっくんはその長い腕で、硬直した僕を心ごと包み込むように抱きしめてくれた。
ふわっとどこかで感じたことのある香りが鼻を掠めたけど、思ったより力強いハグに僕はそれどころじゃなくなった。
「そんなに急がなくても仕事は逃げません。面接が無くなって落ち込む気持ちは分かりますが、冬季くんを必要としている人がいる。それでいいじゃありませんか」
「…………」
「そんなことより、あのカッターはどこから持ち出したんですか? 俺のではありませんが」
「それは……っ!」
出来れば触れてほしくなかったカッターは今、刃が元に戻されてりっくんの背後に隠されている。
あれは多分、没収される。
未遂だけど僕が約束を破ったから、りっくんはちょっとだけ怒ってるように見えた。慰めのハグで僕のことを離さないまま、「自分を傷付けないでください」と優しく叱られる。
「りっくん……」
「冬季くんが居なければ、少なくとも今この場に俺は居ませんでした。俺は冬季くんに生かされたんです。一人の人間の命を救った冬季くんは、生きているだけで価値があります」
「でも……、でも……っ!」
「リストカットをしようとするまで落ち込んで、心が追い込まれてしまったのは可哀想です。それに申し訳ないとも思います。……ですが、俺は自傷行為だけはダメだと言いましたよね? 「でも」は聞けません」
なんでりっくんが〝申し訳ない〟と思うの? どれだけ優しいの?
りっくんを助けたつもりはないって再三言ってるのに、全然聞く耳を持たないで未だに僕に感謝してるなんて……。
僕はそんなに価値のある人間じゃない。
面接も受けさせてもらえなかったし。
そう、面接も……!
「でも僕、面接もダメだって言われた……! りっくんがせっかく色々手伝ってくれたのに、面接もさせてくれなかったんだよ! こんなのひどいよ……っ!」
「よしよし、落ち着いて。次がありますよ。それに俺は、急いで働こうとしなくていいと言いました。出て行くのも急がなくていい。家主の俺がそう言ってるんです。何か問題がありますか?」
「うぅ……りっくん……っ」
いくらみっともない愚痴を言おうが、腕の中でジタバタ暴れようが、りっくんは僕の背中や頭をひっきりなしに撫でてあやした。
僕はそこで初めて、少しだけ泣いた。
りっくんが優しすぎて、あったかすぎて、凍りつきそうだった心がぽかぽかになったら安心しちゃって、ポロッと涙が溢れた。
痛くもない、悲しくもない、ツラくもない、そんな時に出る涙は心の中から溢れてるのか、熱を持ってるような気がした。
さっきまでカッターを持ってた手では、りっくんの背中に触ることはできなかったけど……病みループに入る間もなくひたすらぎゅーっと抱きしめていてくれたのは嬉しかった。
……すごく嬉しかった。
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