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5.運命のいたずらで10

 りっくんの声は、低すぎないから怖くない。  ちょっと興奮して大きな声を出したとしても、それは僕を罵倒するためじゃないって分かってるから、心から怯えることもない。  むかしからのクセみたいなもので、体がビクッと反射的に動いちゃうのはもう仕方がないんだ。  カッターを没収したりっくんは、やっぱり少しだけ怒っていた。僕をソファに残し部屋中を見て回って、自傷行為に繋がりそうなものを全部隠したと言い、さらに僕自身がまだ何か持ってるんじゃないかってしつこく問い質された。  あと、「仕事中も気が気じゃないから、心が苦しくなったらいつでも電話するように」って。これはかなりキツく〝お願い〟されてしまった。  僕はそれだけ、りっくんに心配をかけたんだ。  恩を返したいだなんて大それた目標を掲げておきながら、それを仇で返したと言っていいくらいの騒ぎを起こしてりっくんを怒らせた。  でもりっくんは、僕のバカな言動に怒ってただけじゃなかった。  僕が僕を傷付けようとした行為。それが正しいことなのかどうかよく考えてほしい、抑えきれない衝動は仕方がないけど悲しい気持ちになる人間がここにいる……そう何度も諭してくれた。  大きくて温かな手のひらで僕の両手を包み込んだりっくんの優しさに、僕は十数年ぶりに声を上げて泣いたんだ。 「冬季くん、気分転換に夜のお散歩に行きませんか?」 「……うん……」  泣いたら瞼が腫れぼったくなった。  さっきからりっくんの顔が歪んで見えるのは、まだ瞳に涙がたくさん溜まってるからで、お散歩したくても真っ直ぐ歩ける気がしない。  これ以上仕事終わりのりっくんの手を煩わせるのも気が引けて、僕は躊躇いたっぷりに頷いた。 「お散歩は気が進みませんか? それじゃあ……車でドライブはいかがですか。気晴らしにお腹がはち切れるまで好きなものを食べましょうよ。美味しいものをお腹いっぱい食べるのも、いいストレス発散になりますよ」  ふわっと優しい笑顔を浮かべるりっくんは、僕をちゃんと叱って、諭してくれたあげく、見えない思いまで読み取ってくれる。  ここで僕が首を振るのは間違ってる、よね。  りっくんには、〝かわいくない子〟だと思われたくない。遠慮を嫌がるりっくんに意地張ったってしょうがないもん。  それにもう、みっともない僕の全部を知られちゃったんだ。  ……りっくんに遠慮はしない。これからは。 「それなら僕……お肉食べたい。お腹がはち切れるまで、美味しいお肉食べたい」  りっくんは一瞬だけ驚いた表情をしたけど、すぐに満点の笑顔で「A5ランクで良ければ」とワケの分からないことを言った。  僕が自発的に何かをねだったのは、この時が初めてだった。  ◇ 「……また電話してる……。相当こじれてるんだなぁ……」  口の中に入れた瞬間とろけちゃう美味しいお肉をめいっぱいご馳走になったあと、駐車場でまたもやりっくんの電話が鳴った。  すみません、と苦笑いしたりっくんから、僕は助手席に乗っているように言われて大人しく従っている。  ただ、持ち前の天然さが炸裂してるよ、りっくん……。  僕に聞かれちゃマズイ通話なんだろう。  少し離れたところに移動して通話を始めたりっくんだけど、なぜか運転席側の後ろの窓が全開で僕に丸聞こえなんだ。 『〜〜、分からない人ですね! 俺はあなたの元へは行かないと何度言えば分かっていただけるんですか!』  ──……奥さんが帰ってきてって言ってるのかな……?  りっくんはひたすら隠し通そうとしてるけど、妄想と憶測で大体の事情を知ってる僕には会話の内容がスッと入ってきちゃう。  もう夜の十一時になろうかって時に電話をかけてくるなんて、離婚を渋ってる奥さんはりっくんに帰ってきてほしくて必死なんだろうな。 『〜〜、お金なら毎月振り込みます。……えぇ、口座番号は知っています』  ──ふ、振り込みますっ? それって慰謝料……っ? 養育費ってやつ……っ? あっ、でもそれだとりっくんは子持ちってことになるんじゃ……!  生々しいお金の話までしている。しかもりっくんが子持ちかもしれない疑惑まで飛び出して、堂々と盗み聞きしてた僕は思わず声が出ちゃいそうになった。  慌てて口を塞いで、まるで家政婦のナントカみたいに聞き耳を立てる。  僕に優しくしてくれるりっくんを追い詰めてる人との会話は、聞き逃せないと思った。 『〜〜、そんなのもう、今さら知りたくありません。勝手なことはしないでいただきたい。……えっ、送った? 写真を?』  ──りっくんに写真を送った……!? もしかしてそれって、僕を囲ってる証拠の写真じゃないの!?  それはめちゃめちゃヤバイ。  そんな、ただただ誤解を招くような写真があったら、離婚する時にりっくんが不利になるじゃん。  よく分からないけど、毎月振り込むって言ってたお金の額が増えたり?  もしくは、浮気だ何だとかで弱味を握られて離婚できない状況に追い込まれたり?  とにかくりっくんにとってはよくない事だらけ。  そりゃあ傍から見たら、僕とりっくんって恋人同士に見えなくもない……気がする。僕を女だと間違えられてるなら、それは絶対に訂正しないと。  僕は居候させてもらってるだけなんだから。  ……いやでも、それってどう説明するの?  僕らはなんと、自殺しようとして出会いました。咄嗟の行動で僕がりっくんを助けたら、りっくんも僕を助けてくれると言いました。  お昼と夜は一緒にごはんを食べています。お休みの日は結構な頻度でお出かけします。りっくんは、サンセットクルーズでとっても綺麗な夕陽をみせてくれました。洋服とスマホを買ってくれて、生活に必要なものは何でも与えてくれようとします──。 「…………」  ちょっと待って。  ここまでの経緯を遡って思ったんだけど、僕ってやっぱり……世間的に言うと愛人ってことになるんじゃない……?

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