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7.真実と共に

─ 李一 ─  割って入るべきと判断した俺は、冬季くんの腕を掴んでいるマッチ棒のような男の手首を、渾身の力で握った。 「痛って……! 誰だお前! 触るな!」  不躾な視線だ。そのうえ「触るな」と叫ばれてしまったが、俺だって触れたくて触れているわけではない。  何日も洗濯をしていないような、あちこちに染みのついた衣服を着ている汚らしい男の手首なんかに、誰が触れたいと思うもんか。  そういうお洒落なのか唇に輪っか状のピアスを装着しているが、俺は職業柄その向こう側をつい見てしまう。身なりや振る舞い同様、口腔環境も良いとは言えないこの男が、冬季くんの〝元カレ〟だなんてとても信じられない。 「あなたに名乗るほどの者ではありません。その手を離しなさいと言ったんです。聞こえませんでしたか? 俺は冬季くんと親しくさせていただいている者です。乱暴な真似はやめていただきたい」 「……親しく? へぇ……」  思ったほど頭に血が上らなかった俺の言動に、男はニタリと笑ってあっさりと冬季くんの腕を解放した。それと同時に、俺もマッチ棒男に触れるのをやめる。  よろけた冬季くんの肩を支えてやりながら、俺はここへ来た目的を果たすまでは帰れないとばかりに玄関の扉を塞ぐように立った。  しかし男は、上から下まで値踏みするように俺を見た後、すっかり萎縮してしまっている冬季くんに嫌味な笑顔を向ける。 「冬季、お前今度はリッチな男捕まえたんだな。しかも超イケメンじゃん」 「そっ……そんな言い方やめてよ! りっくんはそんなんじゃないから!」 「でもコイツと親しくしてんだろ?」  冬季くんは俯き、「そんなんじゃないもん……」と小さく呟いた。  親しくしているのは本当なんだから、いっそ〝今カレだ!〟くらい言ってやれと思った。が、ここでそんなことを強制するのも違う。  苛立ちはしているが、なぜかこの時の俺はひどく冷静だった。  昨夜冬季くんの性癖諸々や元カレが三人いることを知った時の方が、たまらなく腹が立って脳の血管が切れそうだった。あの時こそ我を忘れた。  大事な物を取りに行くためとはいえ、冬季くんが元カレに会うと聞いた時もやや興奮した。みすみす一人で行かせるかと図々しくもこうして同行したわけだが、来て良かった。  少なくとも俺は、このマッチ棒男より口腔環境も良好で、綺麗好きである。 「なぁ、お前はもう冬季の穴知ってんの?」 「……穴? というと?」 「あーあ、その分じゃまだなんだ?」  妙なことを尋ねられハッとした俺も、相当に不躾な視線を男に送っていた。  気に食わない。  〝まだなんだ?〟と勝ち誇ったような表情を浮かべられたのは、どういう意味なのだろうか。  俺に解答をくれぬまま、男が冬季くんに視線を移す。 「お前そんな処女大事にして何がしてぇの? そんな操立てしてっと、そのうちコイツからも捨てられるぜ?」 「そ、そういうこと言うの、……やめて……」 「まぁ尺八はうまかったからなー、コイツに捨てられたらいつでも戻って来いよ。セフレくらいにはなってやっても……」 「やめてってば!!」  俺には分からない隠語が次々飛び出している。  冬季くんが顔を真っ赤にして食ってかかっているところを見ると、言われたくないことをこの男はペラペラ言っているのだ。  一つ一つ隠語の解説をしてもらいたいが、どうせ解答はくれないだろう。  二人だけが分かる言葉を使って、その手のことに無知な俺を除け者にするなと言いたい気持ちをグッとこらえ、男を睨みつける。 「よく分かりませんが、冬季くんの大事な荷物とやらを持って来てください。今すぐ」 「はいはい、わーったよ。……ったく、男連れてくるとかマジ萎えるわー」  男はブツクサ言いつつ、奥に引っ込んでいった。  ……何を言っているんだか。  冬季くんが言われ放題であったことを除けば、俺を連れて来た方が明らかに話がスムーズであっただろう。  隠語が分からず言い返すことができなかったのは不甲斐ないが。 「…………」  それにしても陰気な部屋だ。  足の踏み場もないとまでは言わないが、玄関先からでも室内に物が散乱しているのが分かる。  日中だというのに部屋の中は薄暗く、足を踏み入れるのを躊躇するほどジメジメした雰囲気が漂っていた。こんな不衛生で暗い場所に居れば、誰だって気分が落ち込む。  冬季くんは半年ほどマッチ棒男とここに住んでいたらしいが、これでは掃除をする気にもならなかっただろう。  毎日ひたすら憂鬱で、リストカットとODを繰り返していたと言っていた。冬季くんが言うには、その原因は〝元カレ〟が何度も女性と浮気をし、連絡もなく帰ってこなかったから、との事。  正直な話、俺は恋人にそこまで依存する冬季くんの気持ちが分からなかった。〝元カレ〟に会えば分かるかと思ったが、実際に目の当たりにすると疑問は深まるばかり。  彼はそんなにも魅力ある男なのだろうか。  「死ね」とトドメを刺し、命を絶つ寸前まで追い込んだこの男のことが、冬季くんは好きだったのか……?  性癖をとやかく言うつもりはないが、少数派であるからこそ交際相手は慎重に選んだ方がいい。  ロクな恋愛遍歴でなく、もはや色恋が面倒で一生独身を貫こうとしている俺が言えたことではないけれど。  俯いたまま動かない冬季くんのつむじを見ていた俺は、唐突にふとこんなことを思った。  ──冬季くんは俺のことをたっぷり褒めてくれていたが、好みのタイプではないということなのかな。

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