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記憶の扉

末永にはそろそろ帰れと言われていた。吉崎は生徒会室の一角で、ペラペラとやる気もないのに部活動の報告書をめくる。未提出は写真部とサッカー部だ。自分から取りに行ってもいいが、何となく気まずい。 自分が今までいた位置に収まった高杉とかいう男。典型的なアルファの彼は、きいちのことが好きなのだろうか。 魅力的な人間だ。吉崎は、自分がもしアルファならきいちに告白をしていたかもしれない。 誰にでも優しい彼のことを好きな人は多いんじゃないか。同じオメガでも、こんなに違うとは笑える。 「はぁ、…益子から回収するように連絡するか…」 あまり気は乗らないが、やたら吉崎のことを褒めたがるあいつに連絡したほうが一番早い。益子は、何でか分からないが吉崎を被写体にしたがる。バランスがいいとか言っていた気がする。 スマホの連絡先には数件しか登録していないため、お目当ての益子の電話番号はすぐ見つかった。これで出なければ明日クラスまで取りに行こう。吉崎が発信ボタンを押して耳に当てたとき、ドアの向こうで着信音が鳴った。 「………、おい。」 「びっくりしたぁ…、俺ってタイミング良すぎねぇ?」 「ほんとにな。てか毎回ギリギリまで報告書提出しないのはどうかと思うぜ。ほらよこせ。」 「予算の件よろしく、ってか二人は来てないの?」 益子がキョロキョロとあたりを見回す。二人の意味がわからないまま報告書を受け取るとざっと目を通す。 「きいちと高杉。俺より先に来てると思ったんだけどな…」 「…こことここ、漢字間違えてるし前年の数字がおかしい。ここで直してけ。」 「お、ホントだ。計算間違えちった!まぁ、そのうちくるか。」 「…きいちげんきかよ。」 流石に報告書に修正テープはどうなのかと思ったので、引き出しから新しい一枚を取り出して益子に渡す。さり気なく聞いたつもりだったが、まっさらな報告書を受け取りながら呆れたように益子が続けた。 「いーかげん戻ってこいって。きいち寂しがってるし、最近変な嫌がらせまで…って全部書き直し!?」 「嫌がらせ?きいちが?」 何となく聞き捨てならないワードに反応する。あんな快活で誰にでも好かれるきいちが嫌がらせとはどういうことなのか。 「まて、詳しくは書き直してから話すからちょっと集中させて。」 「お、おう…」 益子は諦めたようにポチポチと貸した電卓で計算をし直しながら訂正し始める。一枚を書き直すのに10分はかからないだろうと予測し、おとなしく待つ。 しかし勝手に失恋したとはいえ、一方的に避けてる間にそんなことになっていたとは。 もし理不尽な理由での嫌がらせなら、吉崎の中の正義感がそれを許さない。 確か風紀委員と共有したリストがあった気がする。 犯人探しなんて生徒会室の範疇ではないが、あくまでも私情だ。 吉崎は益子が黙々と報告書作成に勤しむ間、デスクトップの共有ファイルをから問題行動を起す可能性がある者たちをスクロールしながら見ていった。 「嫌がらせはクラスで起きてんの?」 「外。うちんとこはざわついてるけど実害はねーな。…始まったのも高杉が混じった頃かな?…なにしてん?」 「やかましい。はよ終わらせろ。」 「聞いたくせに!!」 外側、高杉がつるみ出してからか。人気のある生徒だ。嫉妬からの嫌がらせの可能性なら風紀委員に話して口頭注意をすればいい。2年のリストは極めて少ない。思い当たる生徒は一人いた。 ー行き過ぎたストーカーで厳重注意。元サッカー部マネージャーか。 顔写真は学生証のものだ。内気そうな、影に隠れて目立たなさそうな女子。清水明日香は高杉と同じ中学卒業で並々ならぬ執着心があったようだ。オメガ性の男子に対する嫌がらせの発端。主に高杉に近づく相手に対しての嘘偽りの情報を学内掲示板などで流布、高杉の知らないところで牽制しているあたり、本人にはバレたくないのだろう。 アルファとオメガという特別な性に対して憧れがあったという。学からしてみれば迷惑な話だ。 「…は、」 「ん?どうした?」 何となくの好奇心で卒業中学の欄を確認したときだった。明朝体で書かれたその学校名は、吉崎の卒業した学校であった。 高校は誰も受験しない場所を教えてもらってここに来たはずだ。色々なことが頭を巡る、だが違和感は益々強くなる。高杉、高杉連だ。そんな名前の生徒は中学生のときにいなかったはず。吉崎が4組のリストを開いて画像を呼び出すと、スポーツ特待生として確かに吉崎が通っていた中学から入学していた。 「高杉…高杉って俺の中学にはいなかったはず…」 「ん?そうなの?あいつ両親が離婚して母方の旧姓名乗ってるって言ってたけど。」 益子の一言に、カチリと小さな音を立てて記憶の扉が開く。高杉連、旧姓は 「確か、坂崎だったっけな。」 「さか、ざき…」 吉崎のただならぬ様子に、益子が怪訝な顔で見やる。なんで忘れていたんだ。そうか。この女子生徒も以前吉崎を貶めていた本人だ。見た目こそ違うが、間違いない。そして坂崎、高杉は吉崎がオメガであると知った途端に酷く固執してきた。 友人として近づき、そしてまるで恋人かのように突然振る舞ってきた。こいつのせいで、吉崎は周りから雌のように扱われてきた。 クラスの王子的存在の坂崎に愛される、女子から目障りな存在、中途半端な男女。 ミスコンでチャイナ服の女装をした高杉に気が付かなかった。あの時から認知されていたとしたら。 吉崎はきいちへの嫌がらせが全て自分のせいであることを考えた。初めてできた好きなやつ。きいちとくっついていたくて、一緒にいた。 それは高杉が望んでいたことだった。俺はだめなのに、あいつはいいの?そんな声が聞こえたような気がして、吉崎は一気に顔を青ざめさせた。 「俺のせいだ…」 「ど、どうした…すげえ顔色悪いけど、」 最悪の連鎖だ。吉崎に近づくつもりできいちに近づいたのに、本人は吉崎と距離をおいていた。理由は簡単だ。俺が勝手に失恋したから。高杉は目ざとい。そのつながりはすぐに思い至っただろう。 「…益子、高杉におれのこと言った?」 「まだ拗ねてんのかって、早く仲直りしろとかはいった。」 「ああ…やばい」 完全に勘違いされているだろう、高杉は歪んでいる。恐らく途中で吉崎の為の報復目的にすり替わったのだ。そこに更に運悪く高杉に執着している女子からの嫌がらせ。 守ろうという建前で近づいて、陥れる。高杉にとって吉崎は庇護の対象だ。 「きいちんとこいこう。高杉はやばい。」 「は?なんで、あいついいやつじゃん。」 「俺は!…あいつに襲われかけたことがある。」 益子の息を呑む音が聞こえた。見開いた目はひどく驚いていた。吉崎は自分を嘲笑した。結局きいちの身の回りに起きた騒動は、自分が知らないうちに始まって、その原因になっていたのだから。 「うそだろ?あいつがそんなことするのか…?」 「する。典型的アルファ様からしてみたら、俺はあいつの征服欲を満たすための道具だった、幸いヤラレはしなかったけど。」 「道具って、今どきオメガにそんなことするやついんの…」 そこまで言って、益子は先日の寺田という男を思い出す。もし高杉が偏った思考の親に育てられ、そしてそれが原因で離婚していたとしたら。 「あいつも、差別意識を刷り込まれた被害者だ。」 吉崎の鋭い一言は、二人しかいない生徒会室では十分すぎるほどに重い言葉だった。

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