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叫びたかった

高杉は自分の母親について、常々自己主張の低い愚鈍な女だと思っていた。 自身の父親であった坂崎幸之助は、息子が誇らしくなるほど出来たアルファだ。それ故になんであの女を選んだのか理解できなかった。 いつも父の後ろをついてばかり、企業のトップである幸之助に伴い、母と息子でパーティなどに何度か出席をしたが、息子を紹介する父の影でいつもニコニコと微笑んで立っているだけだった。 父の行くパーティには、囲われているであろう見目麗しいオメガが随伴して参加していることも多く、その中性的な見た目はいつしか自身の欲の対象になっていった。 アルファに伴われた、飼われたオメガ。まるでそれがステータスのように、それらを侍らしていた者たちは名だたるアルファばかりだった。 父の幸之助も、この出席者の中では顔を覚えられているほどに手腕をふるい一代で企業を成長させた人物だ。まわりからも、新進気鋭のその父とお近づきになりたいという人は多かった。 高杉は誇らしかった。だからなおさら、父の横にいるべきだろうオメガがおらず、弥生という痩せぎすの女なのがわからなかった。 そんな中、中学生の頃だったか。参加した夜会で所用を済ませに会場を一人で出た。まるでタイミングを見計らったかのように、一人のオメガが声をかけてきたのだ。 「坂崎様、お一人でどちらへ」 「所用だ。おまえは…」 先程まで、父に媚びへつらっていた起業家が飼っているオメガだった。 おそらく、息子から取り入れとでも言われたのであろう。白磁の肌に薄紅色の唇を綺麗に釣り上げ、猫のような顔でオメガは微笑んだ。 吉崎のことを好いていたが、高杉も男だ。場の空気に酔ったという名目でついてくるといったそいつは、まるで当たり前の顔をして、高杉の腕に自身の腕を絡ませた。 「お嫌でしたら、突き放していただいて結構ですよ?」 「ふん、楽しませてくれるんだろうな?」 「勿論、ご随意に。」 なら、練習をさせてもらおうか。体格は自分よりも小柄で、学と同じくらいだろう。あいつを初めて抱くときに未経験では示しがつかないだろうと、そういった打算で好きなようにさせた。 狭い個室の中で、まるで戯れて遊ぶような仕草で甘えながら、高杉の手で踊らされる。己の手一つで、人がこんなにも乱れるというのが高杉は面白かった。 男のくせに、と何度意地悪な睦言を囁いたかわからない。そのたびに嬉しそうに、締め付けては媚び諂う。オメガはアルファに抱かれることが幸せなのだと.その時初めて理解した。 互いに快楽に従順になりながら、その爛れた遊びはしばらく続いた。人が入れば気配を消しながら悪戯に弄ぶ。そのスリルも含めて、中学生の高杉にとっては真新しく、そして刺激的な一時だった。 「また遊びましょ。アルファ様。」 甘く耳を噛まれからかう様に囁かれる。細腰を鷲掴みながら、答えるように唇を貪った。 何の位経っただろうか。別々に個室を出て会場に戻ると、弥生が真っ青な顔をして駆け寄ってきた。 「よかった…!いなくなってしまったのかとばかり…」 「外へ風に当たりに行ってました。ここ、つまんないので。」 ここは父が招待された会場だ。何処で粗探しをされるかわからない。高杉は作られた笑みで答えると、弥生は複雑そうな顔をして、そう。と言った。 こういうところが嫌だった。なにか言いたげな顔で、見つめてくる。言いたいことがあるなら言葉にすればいいのに、この母親は父だけでは飽き足らず、自分の息子にさえ遠慮をするのだ。 「連。来なさい、こちらの方にご挨拶を。」 「分かりました。」 父によって紹介をされるのは誇らしかった。弥生の心配気な顔を気にする様子もなく、父の手が催促するように背に手を回す。この大きな手が高杉の進むべき道を示してくれるのだと信じて疑わなかったのだ。 「父上は、なぜオメガを囲わないのですか。」 「必要ないからだ。」 パーティ後、秘書の運転する車で帰宅の途についていた。高杉は行為の気だるさもあってか背凭れに見を預けながらなんの気無しに質問をした。 「彼らが侍っているのは、そうしないといけないからだ。」 勿論恋人として連れて来られたものも中にはいたのだろう。だが、自らの容姿を存分に生かして商談の潤滑油代わりに差し出されるオメガも勿論いた。高杉が抱いたオメガもそのうちの一人であった。 高級男娼として侍っていた彼らは、きちんとした仕事として性技、そしてマナーや言葉遣い、相手を立てることを徹底的に仕込まれているプロである。その男娼を侍らせるのは、己の財力を示す一つのツールでもあるのだ。指名された彼らは雇い主の意思によって望むような行動をとる。犯罪性が無ければ、嫌とは言わない。それだけ彼らの懐に入る金は大きいものだからだ。 社交界ではよく見る光景だ。だからこそ無駄を嫌う父の幸之助は彼らを侍らすことはしなかった。 必要ない。という言葉はそのままの意味である。 だが憧れを抱く父の言葉を、高杉は正しく理解はしなかった。そうしなくてはいけないのは、生きていくためということに繋げた。腹の中側で燻っている征服欲が、言葉の真偽を追求せずに素直に受け取ってしまったのだ。だからこそ、より高杉は考えを強くした。 やはりオメガは逆らえない生き物なのだと、ならば正しくアルファとして、学を導くのは俺だと。 「なるほど、理解しました。」 高杉の言葉に、幸之助は片眉を上げて反応すると、これ以上の説明は不要と判断したのか、一つ頷いた。 その様子を不安そうに、そして家族として一つの車に同乗していた弥生は黙って見つめることしかできなかった。幸之助と、息子の後ろで弥生はただただ気配をけして、同じくアルファである息子との会話の邪魔をしないようにと心がけていた。 オメガではない、女性である弥生と結婚をした幸之助は、あの場では完全に変わり者のように見られていた。 何も間違ってはいない、それなのに社交界では居場所がないまま、縁であった息子まで突然姿を消した。途端、周りの目が恐ろしくなったのだ。 一時間にも満たない頃合いで戻ってきたが、弥生は何があったのかは正しく理解できてしまったのだ。 時間差で戻ってきたオメガの露骨な態度に、ああ、息子は食われたのだと女の勘が働いた。 幸之助の知らない所で、少しずつボタンを掛け違えるかのように歪んでいった家族の形。 弥生はこのままではいけないとわかっていた。 この尊敬している父親から離れさせなくては息子がどうにかなってしまう。自分は嫌われてもいい。 やりなおさせよう、母親としての責務を果たさねば。ちゃんとしなくては。 高杉は母親が気持ちを固めるには充分なくらい、アルファとして堂々と振る舞っていた。 そして中学卒業を期に、弥生は幸之助と離婚をした。夫であった男はただ一言、そうか。とだけ言った。 あっけない終わりだと思った。親権は渡さなかった。会社を継ぐつもりでいる息子には申し訳ないが、それが守ることにつながるだろうとも思ったからだ。 弥生は事実を知った息子に、酷く罵られた。なんてことをしてくれたんだと。親権は手放せとも言われた。なによりも、母親として今更出しゃばるなと怒鳴られたときが一番堪えた。だが屈したら離婚の意味はない。 母親として必死だった。正しい考えをもて、ちゃんとしろと言い続けた。何度も反発しかされなかったが、これは自分の罪だとして努力した。 その努力の方向性が誤りだと気付かされたのは、学校からの一本の電話だった。

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