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埋めたい隙間
映画も面白かったし、ヴルストも美味しかった。末永はテストのご褒美に丸一日を学に差し出してくれ、友達と外でこんなにはしゃいだのなんてしばらくぶり過ぎて、学の身体は疲れてはいたが、それはとても心地の良い疲労感だった。
晩ごはんは二人してチェーン店の回転寿司に行き、物珍しさからか末永はわけのわからない寿司ばかり頼み、あたりもあればハズレもあると楽しそうに食べていた。無表情だったが、今日一日でなんとなく末永の感情を読み解くことができ、学はそれが少しだけ嬉しかったのだ。
夜はまだ冷える。なんとなく手が寒くて、ポケットに手を突っ込んでいた。昼に繋いだ手の感触が僅かに残っていて、その熱が無いのが今は少し物足りない。
「今日は楽しかった。誘ってくれてありがとう。」
「俺も久しぶりにダチと遊んだわ。」
「ああ、…俺もだ。」
なんだか末永は寂しそうにしているような気がして、ジィっと見つめる。少しだけ眉が下り、これは困っているときの顔だと思い至る。
もしかしてこいつは寂しいのだろうか。と考えて、それが少し可愛くて笑った。
「くふ、なんか寂しそうだな。」
「…楽しかったんだ、すごく。」
「…恥ずかしいやつだな。また、行けばいいだろ。」
「…いいのか。俺と二人で。」
末永は学を見送るために駅前近くまで一緒についてきていた。街はこんなに賑やかなライトで照らされているのに、その表情は自信が無いようだった。泣く子も黙る生徒会長様の意外な様子に、学はなんの気なしに寒そうな末永の手を取って握りしめた。
「…吉崎は…片平が好きなんだろう。」
「なんだ、…知ってたのかよ。」
恐る恐る握り返してきた末永の指先が微かに震える。言われたとおり、学はきいちに選ばれたかった。でも、きいちを抱き締めたあの時の俊の顔を見てしまったら、隣は自分では無いのだとわかってしまった。だから、この恋は告げずに終わったのだ。一方的に自覚して、想って、そして逃げたし諦めた。
告白もする気もないし、今の位置が心地良い。
末永は少しだけ黙り、口を開こうとして迷っているようだった。こいつは優しい。優しいから、踏み込むことを躊躇している。学が終わった恋だと自覚をしていても、末永はそこに土足で入ろうとしない。
「告白するつもりもないし、もういいんだ。」
「諦めたのか…」
「高杉の件、お前も知ってんだろ。」
「ああ、あの場にお前がいたんだったか。」
学は、末永に自分が原因だということを言えていなかった。恐らく頭のいい男なので何となくは察しているだろうが、言えずにいたのは軽蔑されるのが怖かったからにほかならない。
自分の好きなやつを、自分が原因でとんでもない目に合わせてしまった。中学の時に種火をしっかり消していれば、こんなことにはならなかったのではないか。何度も後悔した。学は、きいちの事も傷つけたし、連鎖的に高杉の人生も壊してしまったようなものだ。
末永の手を握る自分の小さな手、この手が全てを壊したのだ。
「高杉の件は、お前が悪いわけじゃない。」
「…あんとき逃げなきゃよかったんだよ。」
「俺は、」
する、と末永の手が学の手から離れて、その小さな手を包むように握り返した。昼間に包みこんでくれたあのときと同じ温もりだ。こうして手をつないだことも、今思えば誰ともしたことがなかった。
「俺は、お前が逃げてくれてよかったと思っている。」
「え…、なんで。」
「…、俺は…お前みたいに社交的ではないから、こんなときどう言うのかいまいちわからないが…」
まるで慰めるかのようにやさしく手を親指の腹で撫でられる。末永の男らしい手が少しだけ緊張しているのか湿っていた。
「お前が、…お前が壊れなくて嬉しい。」
「壊れる?」
「その小さい体で、何でもやろうとする。そんなお前がきちんと逃げられたことが偉いと思う。」
「それ、褒めてんのか?」
末永の眉間には深いシワが刻まれ、思うように言葉に出来ないのか本気で悩んでいるようだった。なんだかそれが物珍しくて、無意識にそのシワを解すように触れていた。
「む。」
「あ、わり。」
「…、高杉の件は、残念だと思う。だけど全部が全部、お前のせいじゃない。」
「う、っ」
末永の手によって、悪戯な学の右手を握られる。夜のライトによって少しだけ影が差し込む末永の精悍な顔立ちは、まっすぐに学をとらえていた。
「片平には恋人がいる。片平を支えるのはそいつの役目だ。なら、お前はどうなる。」
「え?」
「お前が全部悪いと勘違いしたとして、誰が支える。」
「だれ、って。」
「一人で頑張って立ってるお前が、自分を追い詰めてどうするんだ。」
優しく握られた手を引き寄せられ、そのまま抗えずに、学は気づいたら末永の腕の中に抱きしめられていた。
末永の真っ直ぐな言葉が突きつけられ、泣きたくないのにじわりと目の奥が熱を持つ。自分を追い詰めたつもりなんてなかった。だけど、末永の目にはしっかりと映っていた。学が無理をすれば無理をするほど、末永はそれが嫌だった。こんな小さい体でどんどん摩耗していったら、消えてなくなってしまうのではないかと心配だったのだ。
「俺は、お前を支えたい。お前の隣りにいたい。お前を守りたい。」
「なんだよ、それ…わかんねえよ。」
抱き締められて、抵抗する気が起きないのが悔しい。末永の服に染み付いた夜の冷たさや、少し香る清廉な花の様な空気が学の反抗心を奪うのだ。
「俺が、お前に気持ちを伝えて迷惑では無いだろうか。」
「なんだよ、そこで怖気づいてんなっつの。」
「…緊張してるんだ。これでも。」
なんと不器用な男だろうか。学は末永の腕の中から顔を見上げると、無表情が代名詞と思えないくらい人間臭い顔で、目に見えて戸惑っていた。
完璧人間の末永の弱みが自分だということがなんだかおかしくて、その顔をよく見ようと両手で末永の頬を包んだ。
「お前も、そんな顔するんだな。」
「…する、だろう。」
頬を包んだ手に、末永の体温がじわりと移る。抱きしめていた筈の腕は、自信なさげに背中に微かに添えられているだけだった。末永の瞳がゆれる。夜で、しかも人通りの少ない駅裏の路地。
全くロマンチックなシチュエーションでもなんでもないのに、感情を表に出す末永の表情は、学の柔らかい部分を優しく刺激した。
「よしざ、っ…」
くやしいけれども少しだけ、頬を引き寄せるだけでは埋まらない隙間を消すために背伸びをして口付けをした。
ほんの数秒、ふにりとした感触は少しだけ冷たく濡れていた。
「ふ…変な顔。」
顔を真っ赤に染め上げて呼吸を止めた末永の情けない顔に、してやったりと学は綺麗に微笑んた。
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