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広がる環 *
口の中の唾液の分泌量が増える。体が気だるくて、下腹部のあたりがじくじくする。まるで腹の中側に湯たんぽをいれたようなポカポカ感で、意識がふわふわしてしまって本能に理性が負ける。
シャワーを浴びたまでは良かった。髪を乾かして、俊くんが昨日来ていたスウェットに袖を通してから、まるでスイッチを押したかのように一気に来た。なんとか冷蔵庫から水のボトルを手に取り、不安定な歩みで寝室に入ってからは駄目だった。
「ふ、ぁ…だぇ、…っ…」
崩れるように床に這いつくばってしまう。俊くんの匂いに包まれて、敏感になった素肌にスウェットの生地が擦れるたびにひくんと身が震える。せっかくお風呂に入ったのに、恥ずかしいしみが下着の内側からじわじわと浸食する。
はふはふと熱い吐息を漏らしながら、くんくんと嗅覚が安心する場所を教えてくれる。俊くんの香りが強い、狭くて暗くて安心する場所。
ベッドからずるりと布団を引きずり下ろして、早速寝床をそこに決めた僕は、朦朧とする意識の中で狭いクローゼット収納の中にふわふわの布団と枕、クッションやら毛布やらをもそもそと詰め込んだあと、着ていたスウェットを脱いで下着だけの姿になると、持ってきた枕に着ていたスウェットを被せて下手くそな巣の中に潜り込んだ。
まるでクローゼットの中に、突然できた歪なかまくら型の巣の中には、俊くんが着ているTシャツやらジャージ、靴下、帽子、そして一番いい香りがする下着を詰め込んで大満足な僕が小さく丸まって収まっている。
「んん、ン…んぁ、は…」
枕にスウェットを着せた俊くんもどきを抱きしめながら、俊くんのボクサーを唾液でびしょびしょにする。口寂しく、ぢぅ、と唾液を染み込ませた布に吸い付きながら、にゅくにゅくと拙い手淫で自らを追い上げる。気持ちがいい、腰がゆるゆる揺らめいて手が止められない。だらしない口からはダラダラとよだれを垂らして、気づけば俊くんがいつも入ってくる後ろの孔はひくひくと存在をしめして粘液を垂らす。
「あー‥、ひぅ…ぁ、あ、…」
気持ちい、声を出すと余計に気持ちいい。右手で先走りを塗りつけながら、左手は後ろに回してぐちぐちと恥ずかしい音を立てながら指を侵入させる。内壁を擦るときにイメージするのは、もちろん俊くんがしてくれる時の動きだ。
「手、…たりな、…ぁっ…」
本当は乳首も吸ってほしい。胸は結局枕に押し付けながら、浅い所をこしこしと指で擦るようにして指動かすと、ぶちゅ、とはしたない音をさせてとろりとしたそれが溢れた。僕の体なのに、全く言うことを聞かない。熱がぐるぐると体に巡る、じくじく切なくうずく其処をいくら指で慰めても、自分でいじるのには限界があった。
「っゃ、ゃだぁ…うぇ、っ…ぐ、っ」
手首がつかれた、指も、前を慰めていた手だって疲れたのだ。俊くん、俊くんがいい。情けないくらい我慢が効かない。寂しくて寂しくて、小さい子みたいにグズグズ泣いた。
あれからどのくらい経ったんだろう。枕の下の方、足で挟んでいるところがぬとぬとしていて気持ち悪い。体に絡みつくシーツも、くわえていたパンツも、全部びちゃびちゃだ。どうせびちゃびちゃになるなら、俊くんの精液がいい。うつろな意識の中、それに塗れる妄想をしただけで僕の性器は嬉しそうにブシュッとまた間欠泉のように吹き出した。
「は…、しゅ、ん…」
イきすぎて瞼が重い。体も射精の疲れにあらがえず、狭い巣の中で睡魔に飲まれるようにして意識を手放した。
目が覚める頃には俊くんがいてくれるといい。そんなことを思いながら、包まれた香りの中で胎児のように丸まって、番の帰りを待っていた。
たまたま益子が登校する時間帯と重なり、見慣れない制服の男子という目線に辟易していた俺は、上がっていた坂を一気に駆け上がってのんびり歩く益子に突撃した。
「ぅごぉっ!!」
「おはよう。」
「随分わんぱくな挨拶ですね!?」
後ろからエルボーをかますごとく肩に腕を回したせいか、つんのめりかけたのをなんとか踏ん張った益子の目の前に書類を出すと、なるほどと納得したように受け取った。
「なぁ、これなに提出するかだけみていい?恥ずかしい話、こんな書類出したことなくてさー。片方が在校生じゃないから書く書類も違うみたいで。」
「成人済みだって備考欄に書いとけよ。そっちの書類は葵さんが用意してくれんだろ。多分成人済みだから証明書はいらないと思う。保険証のコピーだけか…」
「大人だと保険証もちげぇし…これ一枚コピーしたの提出すんだけでいいじゃん…」
「特休するにはこんなに面倒なことすんだぜって体裁が必要なんだろうよ。」
「なるほどなぁ…」
カサリと書類を取り出してペラペラとめくる益子を横目に、くありと一つあくびをした。周りがなんで他校生がいるのかわからんといった目で見てくるが、話の内容からしていますなんとなく理解したのかその目の色に羨望が交じる。
学生で番が出来るのは、憧れられる要素の一つらしい。本能的な匂いで惹かれるので、番となる相手はすぐにわかる。けど学生のときに出会うのは少なく、未成熟のオメガが殆どだ。過去にはずっと同じ学校に通っていたのに、同窓会で久しぶりに会って番のだったことに気づいたって人も居るくらいだ。
学生時代は番がわからず恋人を片っ端からつくってごっこ遊びをする奴らも多い。それが悪いとは言わないが、好みの容姿のタイプの番だといいとか言っているアルファの言葉を聞くと、本当になんにも知らないんだなと呆れてしまう。
「検温表、なんかガタガタだな。上がったり下がったりしてる。」
「ああ、調子いいときと悪い時があったみたいでな。ここからはずっと37.0代で安定してる。」
「そういや葵も突然ヒート来た時は日によって体温違うとか言ってたわ。」
「ああ、匂いに刺激されて発情したんだっけ?」
「そー、男冥利に尽きるよな。」
益子が喜ぶ通り、番の匂いに興奮する姿は優越感と征服欲を満たす。こいつには俺しかいないんだという安心感と、庇護欲、そして独占欲が支配してアルファもあてられてヒートのような状態になる。
むき出しの本能で、それをぶつけるように抱いてしまうと華奢な体に簡単に痕がついてしまう。ふと、噛み傷だらけにしてしまったきいちの腕を思い出して兆しそうになった。
「番の話はやめよう。勃ちそうになる。」
「往来で!?」
なんだかんだ雑談をしながら益子に教えてもらって事務室に向かう。顔見知りになったおじさんに、書類を受け取って確認してもらうと、にこにこしながら頷かれて地味に気恥ずかしかった。この人はベータだけど、息子がオメガで最近孫が生まれたらしい。しっかりしたアルファだと、俺を褒めてくれた人だ。
「そうか、君は片平くんの番か。」
「きいちをしってるんですか?」
「勿論だよ。あの子分け隔てないからね、なんだったらこの学校に務める職員で喋ったことない人ほとんどいないんじゃないかなぁ。」
「ま、まじか…」
いい子だよねぇという事務員さんの口から、きいちのコミュ力の凄まじさを見せつけられる。人懐っこすぎて変なやつに絡まれはしないだろうかと心配になる位だ。ちなみに話したきっかけは職員室の前で荷物を持っていたら扉を開けてくれたそうだ。お礼を言って終わりかと思ったら、名字の話で盛り上がってしまい、なぜか事務室まで見送ってくれたそうだ。やりかねん、あいつなら絶対に。
「ほら、僕月見里って書くだろう?やまなしって読めたの彼が初めてでついね、」
「あー、あいつ難読漢字好きなんすよ。たまにクイズ出してくるし。」
「やまなしさん!って来るときもあれば、風流さんとかあだ名つけてくれたりね。僕の孫もきいちくんみたいに無邪気に育ってくれるといいなぁ。」
きいちの謎基準あだ名の犠牲になっていた。番が人懐っこいのでこうして俺も人脈が少しずつ増えていく。きいちはなんもできないとかいうが、こうした恵まれた才能を持っていることは素晴らしい。時計を見ると、食料を買い溜めて帰るには丁度いい時間だった。
「じゃあ、風流さん。きいち待たせてるんでそろそろ行きますね。またよろしくおねがいします。」
「うんうん、1月からよろしくね。」
楽しそうに手を振って見送ってくれるのはなんだか面映ゆかったが、そのまま階段を上がって通用口から学校を後にした。あいつが好きなもんとか買い漁って、さっさと帰る。夜くらいだとは言っても、イレギュラーもあるかもしれない。
二度目のヒート、約束の日だ。
この日、項にあとをつける。想像しただけで、犬歯がうずいた気がした。
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