117 / 268

トラウマ

とはいっても、はい!即同棲です♡とは行かないのが現状だ。 発情期休暇を終えて、事務室に番証明の書類を提出しに行くと、月見里さんが眼鏡をかけて不備がないか確認してくれた。にこにこと穏やかなこのおじさんは、もうすぐおじいちゃんになるらしい。何かと僕のことも気にかけてくれるので、学校でも合えば喋る仲良しだ。 「はい、たしかに。そういえば、旦那さんここに来てねぇ、おじさんのこときいちくんみたいに風流さんって呼んでくれたよ。」 あの子はしっかりしたいいアルファだねぇ、と嬉しそうに笑う。目尻のシワが柔らかく目元を飾っていて、思わず僕もふにゃふにゃと笑ってしまう。 「はは、そうじゃん…もう旦那さんなんだっけ。なんかまだ少し実感わかないんだよねぇ…」 「おや、照れてるのかい?夫婦ってのはね、年齢じゃあないよ。時間がゆっくり二人を育んでいくものさ。」 「おおう…説得力がちがう…じゃあ、もし俊くんと喧嘩したら月見里さんとこに行こっかなぁ…って、学校ちがうからそうそう駆け込まないか。」 「うんうん、駆け込むときは匿ってあげようねぇ。」 僕の両手を優しく包み込んでゆるゆると揺らす。なんだか楽しそうだけど、そんな嬉しそうに微笑まれると僕までニコニコが止まらない。月見里さんのデバフである強制リラックスだ。お、落ち着くぅ…。と、いかん。こんなことしてる場合じゃなかった。 「放課後の補講だけはどうにもならないですよねぇ…」 「うんうん、勉学は学生の本分だ。おじさんも応援しているから頑張りなさい。あとはい、これは番持ちの子に渡してる書類。」 「うへぇ…、ありがとうございます。うちの学校割と多いんですか?番持ち。」 「んん、多くはないけども…秘密にしておくよ。」 「ああ、たしかに、プライベートですもんね。」「きいちくんみたいに隠さない子もいるから、もししかしたら話したことある子かもねぇ。」 おっと、なかなかに意味深な発言である。といっても僕も隠してるわけじゃないけど、知られたら知られたでいいと思っている。 発情期休暇を会得したってことは番がいるという証明にもなるので、多分このあとクラス戻ったら質問攻めにされる予想だ。ええ、益子いないのに僕一人で処理するのか? そんなことを考えていたら顔に出たようで、月見里さんが、まぁ頑張りなさい。と景気付けてくれた。 クラス以外にも味方がいるのはいいことだ。僕はこの後のことを考えると心底面倒くさいけど、冬休みもあるので早いうちに区切りはつけておこう。 気持ちの切り替え大切。おし。 と思っていたんですけどねぇ。 「おい片平!!お前ベータじゃなかったんか!?」 「なあなあ、どうだったんだ発情期休暇!毎日肉欲の日々か!?」 ぎゃいぎゃいと喧しい思春期男子の相手に僕が若干キレそうになっていた。 「おいデリケートな話題を口にするなよ!!で?番は例の他校のイケメンか!?」 「いいなぁー、俺もセックスするためだけに休みてーわ。」 「馬鹿!まずお前じゃ相手にもされねぇよ!なぁ!?」 益子も休みで学もたまたまクラスに居ない今、ここぞとばかりに煽ってくる一部生徒の声に血管が悲鳴を上げていた。 わかってた、わかってたよなんとなく!発情期休暇を会得するにあたって、なんで休むのかとかはプライバシーに関わるから伏せておくねと言われたけど、修学旅行にも行かずにガッツリ休んでしまったしね。 しかも益子はアルファで年上のオメガと付き合ってるってことでむしろ尊敬されてたけど、オメガだと途端にこれだよー!!学は末永くんの恋人だからここまで露骨なからかいはないけど、文字通り僕なんか今一番からかいやすい対象なのだろう。 だめだ、心が見事に折れそうである。 「もうなんだっていいだろ…お前らちっとうるさい。」 肩に腕を回してきた。、普段あまり話さない男子の腕を振り払いながらかばんを机に置く。 奥の方で淡路くんが心配そうに見つめてきていて、苦笑いを返した。 「おい!きいちは体質で休んだんだからからかうのは違うだろ!」 「あ?砂利頭がでしゃばってくんじゃねえよ。」 学親衛隊の野球部三人組の一人、三浦くんが痺れを切らして注意をしてくれた。他の吹田くんも木戸くんも、体の大きい三人組が揃って僕を擁護してくれる。だけど崎田はまったく懲りる気配はなく、むしろその3人しか声を上げてないことに気を良くしたのか、からかいに混じってきた添田と奈良はにやつきながら煽る始末である。 「あー、いいよいいよ、ありがとうね3人とも。言いたいやつには言わせとけばいいからさ、ね?」 「だけど、こういうのは気分が悪いだろ!男のする事じゃない。」 三浦くんが眉間にしわを寄せながら悪ガキ共を見る。だけどその言葉尻を楽しげに掬い取ってぶつけてきたのは嫌味な奈良だった。 「いやいや。ケツでヨガっちゃうきいちくんのほうこそ男じゃないっしょ?」 「おい、奈良性格わりーぞ!生徒一人破滅に追いやった魅惑の穴をお持ちなんだ!敬わねーと!」 「今度暇ならお相手お願いしまーす!ちゃんと綺麗にしてきてね!あはは!」 そういえば、この三人はサッカー部だったか。ぶつけられた悪意のある言葉に、あのときの詳細を知らないクラスの一部が少しだけざわついた。 背筋を冷たい汗が流れる。あの話は終わったことなのに、高杉くんとも和解したのに、こうやって知らない奴らが蒸し返して歪めていくのか。 「…お前らみたいな下衆を相手にするつもりねぇから」 「おいおい僕っこがオコなんですけど!奈良謝れって!」 「きーちくんのひみつ?ばらしてごめんね?でもサッカー部はお前のことまだ許してねえんだわ。」 「ハメ穴くんドンマイ!」 深呼吸をして、血が登った頭を冷やす。ここに来てわかったのは、益子と学に守られていたということと、サッカー部のわだかまりはまだ消えてない事だった。 視線を上げると、クラスの猜疑心がこもった眼が僕に向けられていて、三浦くんも吹田くんも木戸くんも、そんな空気の変化に戸惑っていた。 あのことは、クラス全員が見て見ぬ振りをしてたということか。僕に気を使ってくれてたのか。聞きたいけど聞けない、そんな感じで空気を読んでくれていたお人好しのクラスの子たちは、崎田たちの真実を語るような一言に一気に関心が傾いた。 「なぁ、高杉食った穴で、イケメンくんとハメたのか?」 奈良の一言に、平静を取り繕っていた僕が崩れてしまう音がした。 今すぐ俊くんに抱きしめてほしかった。

ともだちにシェアしよう!