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力の源
「37.8、見事に風邪だな。」
家のベッドの中で、酷くだるい体を持て余していた。体調不良で早退してから、家について倒れるように寝込んでしまい、オカンに部屋まで運ばれると言う恥ずかしいことになってしまった。
「うぅ…」
「まあ、俺も同じことあったなぁ。噛まれた項が熱いだろ、二三日寝てりゃ治るから心配すんな。」
オカンの冷たい手の平が優しく額を覆ってくれる。17にもなって、なんだか情けなくて涙がでてきた。
学校であったことも、この体調不良の一因にありそうだ。思えばサッカー部だった高杉くんが辞めて、サッカー部が気にしないはずが無いのだ。
高杉くんに頼り切っていた試合も負けて、思うように進まないと愚痴っている生徒もいたのに、僕はそれすら見て見ぬ振りをしていたらしい。
「お、きいち。俊くん来るってよ。」
「なん…来なくていい…」
「そら無理だろ。番が体調不良ならいても立ってもいられないのが普通よ。諦めな。」
「うぅ…やだぁ…」
もぞもぞと動いて布団をかぶる。体の節々も関節痛で痛いし、なによりも噛まれた項が熱を発するかのようにどくどくと脈撃つ。傷は塞がりかかっているはずなのに、なんで。
「きいちは俊くんに私物もらったのか?」
「…なんで?」
「そりゃ、番ってすぐ離れると体調悪くなるからさ。大抵は私物貰ったり、体液交換でもして不調を散らすだろ。」
「うう…そういえばそんなこと言われた気がする…」
寂しく感じてしまうと、体は素直に反応する。特に番ったばかりだと尚更顕著で、体質によっては発熱も伴うから注意してね。
新庄先生の言葉がリフレインされる。番うと、オメガはアルファに縛られる。なるほど、この寂しさや言いようのない不安感の正体はこれなのか。
あと一年、別々の高校に通うのに。
やだなぁ、寂しい。冬休みは一緒にいられるかなぁ。俊くんに会いたい、会って大丈夫だよって言われたいなぁ。
「ふぅ、…えぅ…」
「…相変わらず泣くの下手な…、いーよいーよ、泣いて腫れたブッサイクな顔俊くんに見て笑ってもらおうな。」
「うぇえ…やだぁあ…」
氷枕に巻かれたタオルを鼻水やら涙でびしょびしょにしながら、子供のように愚図る僕を面白がって写真に収めるオカンはひどい。それ絶対吉信に送る気だろ。熱下がったら盛大にぶすくれてやる。
オカンが吉信に連絡をとりながら、片手間にあやされるようにポンポンと布団越しに撫でてくる。
子供の頃にされた寝かし付けを思いだして、余計に気恥ずかしくなって顔を布団に埋める。くやしいことにその適度な振動は効果覿面で、気がつけば僕はすよすよと泣きつかれて寝てしまった。
しかももっと最悪だったのは、知らぬ間に泣いてる顔と寝顔を盗撮したオカンが俊くんにもデータを送ったことである。
おかげさまで俊くんのお気に入りフォルダに仕舞われているのを知って、後日悲鳴を上げる羽目になった。
あれからどれ位寝倒したのかわからない。なんだか布団の中は酷く安心感のある香りに満ちていて、あのとき俊くんに荒らされた巣の中にいるような夢見心地だった。
とくんとくんと規則正しい音は、僕の心臓の音だろうか。目を瞑ったまま寝返りを打とうとして、動けないことに気がついて、ゆっくりと目を開いた。
「…………、ぉわ。」
目の前に、見慣れた俊くんの胸板があった。と言うことはシートベルトより安心できるこの拘束は俊くんの腕と脚だ。ゆるゆると顔をあげようとしたけど、顎に邪魔されて見上げることができない。しなたなく、もぞもぞと仰向けになろうと大勢を動かしていると、上で1つ大きなあくびの声が聞こえた。
「んん…、きいち…ねつ、は…」
寝起きのたどたどしい口調に色気のあるハスキーボイスが追加されたせいで熱が上がりそうだ。なんて思いながら無言で背中に腕を回して抱きつく。
今更ながら、寝たふりしてもちっと甘えれば良かったなと思ったのだ。
そんな僕の下手くそな寝たフリをジィっと見つめてくる気配がする。視線が突き刺さるつむじがむずむずするけど、今更顔を上げるのも変な気がして無言を決め込む。
するりとかきあげるように僕の髪を撫でると、頭に顔をうずめられ、小さくリップ音がした。
「俺の番…いつも頑張ってるきいちはえらいな。」
「っ、」
「寂しかったら、わがまま言ってくれていいんだ。」
何度もリップ音をたてながら、甘やかすように背中も撫でられる。優しい、慈しみのある声だ。抱きしめられながら何度も睦言を囁かれると、寂しかった隙間がじわりと満たされ、抱きつく腕に力が入った。
「…、おはよ」
「おはよ。熱は…さがったな。」
「ん、…」
まつげが触れ合うような近さで額をくっつける。そのまま鼻先を擦り合わせると、優しく微笑んで口付けをひとつくれた。
「具合悪いときは、無理しなくていい。しかも番った後特有の症状なら、一人で我慢しないで俺にも言え。な?」
「うん…ごめんね。」
「こういうときは、ありがとうだろ。」
ちゅ、と瞼に口付けられれば、頬を両手で包まれる。目元をカサついた親指でするすると触れられると、先程泣いたことを思い出してしまった。
「あんま、顔みんなって…目腫れてるの見られんのやだ…」
「寂しくて愚図ったんだってな。そんな可愛い事、俺の前でしかしないでくれ。」
「ぶ、なにそれ。」
くすくすと笑い合う、ゆるゆると絡ませた俊くんの指先は、やっぱり深爪で丸みを帯びた男指だ。それがカワウソみたいで可愛くて、大好きな俊くんの体の一部。
その指先にお返しと口付けを贈ると、随分目が腫れた王子様だなと意地悪に誂われた。
番の存在はすごい、あんなにぐずぐずだった情けない心持ちも、俊くんに包まれただけで全部落ち着いた。不安定な情緒を優しく整えてくれる。
「俊くんは僕のお薬かぁ。」
「番ですけど。また変なこと考えてんだろ、おら。」
「ぷぇっ、」
うりうりと摘まれた鼻を揺らされる、悪戯な指をべしりと叩いて外したあと、情けない僕の声に俊くんが吹き出して、二人で狭いベッドの中でゲラゲラ笑った。
あんなに具合が悪かったはずなのに、現金な体である。
冬休み、はやくこないかな。学校、みんないるけど今はちょっと行きたくない。
行きたくなくても行かなきゃいけない。だから頑張る代わりにたくさん甘やかしてもらおう。
頑張れ僕、俊くんが味方だ。
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