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早とちりした僕が悪い。

「い、…っ」 ぎゅ、と強く手を握られたかと思うと、まるで縋り付くような形でずるりときいちの体制が崩れた。 俺も、その場にいた全員が何が起きたのかわからず、きいちの蒼白な顔が切迫した状況を物語っていた。 「おい、っ…忍、先生呼べ!!」 「まじかまじかまじか!!」 弾かれたように走り出した忍が急いで病院の中へ消えていく、車のトランクから毛布を持ってきた千代からそれを受け取り、肩にかけながら背中を擦る。断って触れた俺の手の平にはどろりとした血が付着していた。嫌な予感が思考を支配する、千代の呼びかけに答えられないまま、それを見て目を見開いたきいちはがくりと崩れた。 「おい、おい!!」 「いらっしゃいました、ひとまず運びましょう。」 ガラガラと車椅子を押して走ってきた忍と先生の姿にすこしだけ気が抜けそうになる。出血はそれ以上広がることはなかったが、様子を見た新庄先生の眉間に深いシワが刻まれた。 「乗せて、点滴は処置室でやろう。院内で倒れてくれてよかった。」 「よかった!?」 「すぐ対応できるからね、何でこんなことになってんのかわかんないけど、詳しくは後で聞く。」 「大丈夫なんだよな!?」 「後でって言ってんだろうが!!」 忍がきいちの両脇を抱えて車椅子に乗せる。千代が毛布を体にかけるのを見ながら、焦りすぎて新庄先生へ募ることしかできなかった。今までの温厚な様子とは真逆のドスの効いた声で怒鳴られ、冷静になる。そうだ、俺が焦っても仕方ない。 きいちの座り込んだ場所に染みた血液だけがやけにリアルで、まるで刃物の先で神経を撫でられているような緊張感が場の空気を支配する。 そのまま来た道を戻るようにして病院の中へトンボ返りすることとなった。 きいちの診察結果を別室で待っている間、俺は頭をかかえる事しかできなかった。忍は晃さんを呼びに行くと言って席を外しており、ただ無機質な部屋で床の傷ばかり眺めていた。 どのくらいだっただろう。新庄先生が出てきた頃には、いつのまにか忍も戻ってきていた。 「切迫早産のリスクがある。というか、一週間のうちに生まれてもおかしくないね。今は子宮収縮抑制剤を打ってるけど、きいちくんが起きたらもう一度説明するよ。」 「子供は、大丈夫なんですか…」 「出てみないと低体重かどうかも判断できないけど、器官もしっかりしてるし心配するようなことない。けど」 真っ直ぐ新庄先生が見つめる。眉間にシワを寄せながら、なにか兆候があったはずだと言った。 「そういえば、やけに腹が張るとかいってたな…」 「…検査に俊くんも同伴させてればよかったね。あとは考えられる原因としては…ストレスと体重かな。」 太りにくい人ほど切迫早産の可能性もあるという。あとはきいちにかんしてはアクティブすぎたのかもしれないとも。適度な運動といったが、それにしても限度があるといった。 ひとまず、新庄先生は焦らなくていいとは言ったが、初産のきいちのことを考えると、きっと責任を感じるに違いない。説明を終えて案内された部屋に行くと、すでに目が覚めていたのか、ぼうっとしながらゆっくりと腹を撫でていた。 「起きたのか、」 「…お腹の子は平気?」 声に力が無い。まるで生気が抜けたようにベッドによりかかりながら、腹を撫でる手は少しだけ震えていた。 「平気だよ、元気だから。ただ予定日よりも早く生まれる可能性のが高い。きいちくんは絶対に安静にしててね。トイレ以外はなるべく動かないで。」 「平気…、そっかぁ、そっか…平気…」 新庄先生の言葉を聞いて何度な瞬きをしたあと、クシャリと顔を歪めて泣きそうな顔で笑う。 まるで纏っていた空気が溶けるように少しずつ血色が戻った。その様子に安心する。 細い肩を震わせながら嗚咽を漏らす姿に、きゅうと胸の奥が切なく泣いた。 「早く会いたくなっちゃったのかな…」 「まあ、慌てすぎだけどねぇ。きいちくんに似たのかも。」 クスクス笑いながら先生がきいちの頭を撫でる。後から入ってきた忍と晃さんも、慌ててた様子からは一変してきいちの顔色をみてホッとしたようだった。 「ところで、なにかびっくりすることでもあった?お腹の赤ちゃんがママのストレスに反応しちゃったのかも。」 「びっくり、あ…」 「恐らく、」 ひょこりと忍の後ろから入ってきた千代がメガネのフレームを指で押し上げる。客観的に見ていた千代が、なにか心当たりがあるらしい。気まずそうな顔をして黙りこくるきいちの変わりに口を開いた。 「餌食、のあたりかと。」 「餌食…?」 忍がぽかんとした顔で首を傾げる。俺自身もなんでといった疑問のほうが強く、微妙な顔をしているのは晃さんと新庄先生のみだった。 「俊様が5年前餌食になった、というお話後から様子が変わられました。」 「あー、あーあー、なるほど。わかったかも。」 「俊くん、そう言うのは付き合う前に言ってやらねえと。」 「え、っ…?」 晃さんが、新庄先生が向けてくる視線の意味がわからずに硬直する。俺は、きいちに対してなにか傷付くことをしてしまったのだろうか、と考えて忍が悲鳴を上げた。 「ごめん!それ多分俺のせい!!!!」 「え?忍の?」 「こ、言葉の…言葉のニュアンス間違えた、っぽい…」 真っ青な顔して狼狽える忍が、慌てて俺を見ると5年前にされた事について説明しろと促される。きいちの不安が拭われるのなら、別にいくら恥ずかしくて隠したい過去だとしても否やはない。 揺らぐ瞳で不安げに見つめるきいちを見返すと、そっと手を握った。 「5年前、俺がまだ中坊のときに、」 和葉のメイク道具の餌食になった。 なんの嘘もない、嫌だという俺を無理やり押さえつけて、今しかないと言われて女装紛いのコスプレをさせられたのだ。 中性的な少年に目がないあの女装子…いやお嬢様と言わなくては殺される相手を前に、俺がどんな辱めを受けたか。 全て語り終える頃には、事情を知っている忍と千代以外、なんとも頭の痛い顔をしていた。きいちはというと、途中から両手で顔を覆いながら蹲ってしまった。その様子が心配で、どこか痛いところでもあるのかと背中に手を添えると、情けない顔をしながらボソリとつぶやいた。 「てっきり…童貞捨てたの和葉さんだと…」 今度はきいちの呟いた言葉に呆気に取られる。忍はやっぱりか!!とガクリと肩を落としたあと、晃さんに謝った。 「まじ、俺のせいでパニックにさせたみたいだわ、ほんとごめん…」 「いや?うちのきいちも早とちりしたみたいだしな、まあ孫が無事ならそれで。」 まて、ということは俺が従兄弟を抱いたと思って落ち込んだのか?あんなクソゴリラを抱けるやつならむしろ俺が見てみたい。というか、嫉妬が行き過ぎたということなのか。なるほど。読めてきたぞ。 「つまり、動揺しすぎたのと、元々の早産の兆候を気づかなかったのとが重なったってことか?」 「まあ、ストレスがそれだけかかったんだろうね。こんな惚気の延長で赤ちゃんが出てきそうになるとか、きっとこの子マザコンになりそうだねぇ。」 はいはいご馳走さま、と肩をすくめて呆れたような顔できいちの頭をカルテで小突く。顔を真っ赤に染め上げたきいちは蹲ったまま細い声でぼそぼそと謝る。まあ、血色が良くなって何よりだ。 「うう、う…す、すみませ…穴があったら入りたい…」 「大丈夫大丈夫、吉信なんか生まれたお前と一緒に気絶して運ばれたことあるんだから、それよりか全然恥ずかしくないだろ。」 「あー、あったなそんなこと。」 晃さんがまるでフォローするかのように遠い目をして言う。よほど印象的だったのだろう、新庄先生もありえないよねと続けていた。 「なんか、…ごめんなきいち…」 「たのむから謝らないでぇ …」 結局勘違いでよかったねという空気にはなったが、切迫早産には変わりない。出血もしたのでいつ産まれてもおかしくないという緊張感だけは常に持つようにと念押しされる。 そのままきいちは入院することになり、本人も諦めたように納得した。 とにかく今はきいちにストレスをかけないようにしなくてはならない。目下の問題がまだ解決はしていないが、千代に目配せをするとわかっていると頷かれる。 「忍、悪いけど。」 「和葉ちゃんのことだろ、わかってるって。」 苦笑いしながら頷くと、千代と忍は迎えに行くべく病院を後にした。晃さんも着替え持ってまた来ると言って去っていったので、白い病室で二人切り。 きいちに似てせっかちな息子に焦らなくていいと言い聞かせながら腹を撫でるきいちの手に手を重ねて、二人でお願いした。 元気に生まれてきてほしい。だけど、ゆっくり目で頼むと。

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