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襲来

「忍…。」 「うん、ほんとまじ、ごめん。あのな、やっぱり無理だった。」 「ええーと、」 酷く怖い顔をした俊くんが、忍さんに詰め寄る。僕はというと、山のように大きな体のオカマさんを目の前に、なんで誰も紹介してくれないんだろうと思いながら呆気にとられて見上げていた。 僕が入院して三日目の朝、なんだか地震みたいな揺れがあり、俊くんと二人で震源地は何処だろうねぇ、と話していたときだった。 ガラガラと勢いよく引き戸が開かれ、目の前に立っていたのはなんとも豊満な、大胸筋?というかアメリカ軍の特殊部隊も真っ青な厳ついお兄さん?オネエさん?だった。 まるで冗談のような存在が物凄い勢いで扉に入ってきたものだから、一瞬僕も俊くんも驚きすぎて硬直したのだが、さすが俊くんである。すぐさま立ち直っていた。 「おい和葉!!お前は呼んでねえ!!」 「あんらぁぁぁあ!!なぁにい!?やだぁちょっとちょっと!!」 「ひぇ、」 あ、和葉さんてこの人か。 病室のドアすれすれの大きな体をくねくねさせながら近づいてきた和葉さんは、僕の顔を両手で包み込むとうっとりしたような顔で微笑む。真っ赤なルージュが食われそうで怖い。思わず引きつった笑みを浮かべると、ものすごい勢いの蹴りを俊くんが和葉さんに食らわせた。 「あん!!いったいわねぇ!!あんたなんかお呼びでないのよぉ、むかしはあぁんなにかんわいかったくせにぃ、なんでこんな体鍛えちゃってんのよぉ!」 「うるせえキモい口開くな、安静にしなきゃいけねぇんだからストレスかけんなっての!!」 「きいい!!可愛くない男!!余裕のない男は恋人に逃げられるわよ!?んねぇ、きいちちゃん!?」 「あ、や、番なんで…逃げない…」 まさか突然水を向けられるとは思っておらず、あまりの迫力にビクンと跳ね上がる。口が大きいので声も大きい。さっきから僕のお腹のベビさんは反発するかのように動いているので大人しくしててねと宥めるようにお腹を撫でる。すごいなこの人、振り向くたびに風が来る。 「いやぁ、声まで可愛いなんて!!なんでこんな可愛い子が今の今まで生きてこれたわけ!?どういう環境で育ってきたのかしら、いやぁ、あたしのことは和ちゃんって呼んでね!?」 「あ、はい…」 「ねぇ、あたしと俊ができてたんじゃないかって思ってたのよねぇ、やだぁ、悪いことしちゃったわ。あたし掘られるより掘る方が好きなの、こんな筋張ったジャーキーみたいな男は好みのタイプじゃないのよねぇ。」 「じゃ、ジャーキー…」 ちょん、と僕の鼻を優しくついたあと、その大きな手からは想像もつかないくらい優しい手付きでよしよしと頭を撫でられた。 なんだこの安心感と包容力…まつ毛バチバチだけどこの人もアルファらしい。世の中にはいろんなアルファがいるんだなぁと思っていたら、真紫が眩しいキラキラの瞼でバッチンとウインクされた。 「お腹の子も俊に似てせっかちさんなのねぇ、あまりママを困らせたらメッよぉ、元気な子を産んでね、大丈夫よお。ママは誰よりも強いもの。」 「あ、は、はい…へへ、僕もせっかちだから…似てるなら嬉しいな。」 「はあ?天使がここにいるんだが?」 「はぇ?」 「ううん、こっちの話よぉ。」 「和葉ァ!!」 さっきから恐ろしいくらいの剣幕で俊くんがキレている。背後で両手を合わせて忍さんが謝り倒しているけど、必死で止めたんだろう。普段ぴしりとしている千代さんの髪がいつもよりも乱れていた。その曲がった眼鏡のフレームは、経費で治るんだろうか。とりあえずペコリとお辞儀をしておいた。 「おいお前、一体いつまで日本にいる気だ。」 「あんたに寂しがられても嬉しくないわぁ。」 「ちげえ、こっちはさっさと帰れっつってんだわ。」 「んふふ、安心なさい。月単位でホテル抑えてるから。」 「ふっざけんなさっさと帰れェ!!」 なんというか、あのクールな俊くんがここまで感情を顕にするなんて珍しいこともあるものだ。なにやら和葉さんはこっちで仕事があるらしく、しばらく滞在するらしい。 もしかしたら僕の出産後もいるかもしれないのかと思うと、なんだか賑やかで楽しそうだなと思ってしまった。少しだけワクワクした顔をしてしまったのか、俊くんが心底嫌そうな顔をして首を振った。 「ねぇ!なんでこんな素直な仔猫ちゃんがあんたの番なの?あんた一体前世でどんな徳積んできたのよ教えなさいよぉ!!」 「ウルッセェ。ラクダ見てえなマツゲ付けやがって。きいちに手ェだしたら許さねえからな。」 「あんたねぇ、可愛いこちゃんは見て楽しむものなの!!そんな無粋な真似するとでも思ってるわけ!?推しは推しのままよ!?」 「な、なんだかよくわかんないけど…病室だから、静かに…」 静かにしないと新庄先生に締め出されちゃうから…。 その僕の願いが届いたのか、ガラリと入室してきた新庄先生が、和葉さんを見て二度見をしたあと一度扉を閉めた。おそらく表札確認しているんだろうな、と思ったらやはりそうだったようで、恐る恐る扉を開くと顔だけだした。 いや警戒心すごいな!?やはり見慣れないものを見ると人はこうなるのだろうか。忍さんが慌てて俊くんのいとこだと説明すると、心底驚いた顔をした。 わかる、同じ血が流れてるとは思わないよなあ。 「今日は、お腹の具合は?」 「ぐるぐるさっきまで動いてました。多分寝起きだったのかも。」 「張りはある?」 「今のところはないです。」 新庄先生は小さく頷くと、そういえば益子くんと葵くんが検診に来てるけど、入院してるって言ったらこっち来るって言ってたよ。病室教えちゃったけど良かったかな? 「あ、全然大丈夫です。葵さん元気ですか?」 「うん、順調かな。葵くんも痩せぎすだから栄養取るようにって言っておいたけどね。」 なるほど、また人数が増えそうだ。そんなことを思っていたら和葉さんが立ち上がった。 身長でかいなまじで、なんかスポーツとかやってるんだろうか。 「さてと、私そろそろお暇するわ。きいちくん、またくるわねぇ。何か俊にやなことされたら、アタシが助けてア、ゲ、ル。」 「あ、あはは…カズちゃんばいばい…」 むちゅっとウインクと投げキッスをしてくれたが、新庄先生も俊くんもゲンナリした顔になっていた。 まるでお嬢様のように指をバラバラに動かして優雅に挨拶をしたあと、ご機嫌よう、といって新庄先生にも挨拶をして帰っていく。 なんだか一から十までやけに濃い人だ。追随するように千代さんが慌てて追いかけていったので、ホテルまで送るのだろう。 「カズちゃんって何やってる人?」 「メイクアップアーティスト。あとなんかトレーニングのやつ?」 「手広くやってんなぁ…」 忍さんが曖昧に答えてくれたが、イマイチ想像できなかった。メイクアップアーティストなら、あのお化粧の濃さも売りのひとつなのかもしれないと思いつつ、すこしだけ俊くんの黒歴史である女装まがいのコスプレとやらを見たくなった。 今度カズちゃんに会ったらおねだりしようと心に決める。 その結果、代償として僕まで偉いことになるのだが、まだその時は微塵もそんなことは思っていなかったのだった。 

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