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第6話

彼岸 彼のお墓は、賑やかな街からずっと離れた小高い山の上にあった。沢山の木に覆われた、 道と呼んでいいのか分からないほどに荒れたところを恐る恐る歩く。洋服に引っかかる枝や草をかき分け進んでいくと、鉄製の扉が見えた。 そっと押し開くと、きぃーっと音を立てる。道路にひかれた白線のように続く細い道を歩いた。植物同士が風に揺らされて、さらさらという音だけが聞こえる。 車の音も人の声もここには届かない。道が開けて墓地にたどり着いた。ここにあるのは無縁仏や人里離れたところで眠りたいと望んだ人たちのお墓だ。 私は花束を抱えて、彼が眠る場所へ向かう。 墓石は綺麗に磨かれていた。おそらく彼の両親がまめに来ているんだろう。花と一緒に小さな手紙やお菓子が置いてあるのを見たことがある。彼のファンと思われる人がここにきているのかもしれない。彼が眠る場所はマスコミに知られないように慎重に選んだ。 非道な誰かが彼のお墓にいたずらをしないようにしたいから、と彼の両親は言っていた。 でも、彼のお墓の場所はどこかの誰かに漏れている。 隙間から漏れ出た情報はいつの間にかネットに流れ、一部の人間に知れ渡っていた。 私たち以外の人間がこの場所を知っている事に焦りを感じたけど、彼のお墓や彼の家族に被害が及ぶことは無かった。 線香の煙に包まれながら、手を合わせた。「あの雑誌、無くなりました。苦情が後を絶たなくて、手に負えなくなってしまったんです。でも、あなたのせいじゃありません。なるべくしてなった事です。周囲の意見も聞かず、表現の自由という言葉を盾にして好き勝手してきた罰が当たったんです」 かつて私がいた編集部は、あの騒動の後雑誌の売り上げが著しく低下した。 彼が死んだことを不慮の事故の一言で片づけ、ネットで騒がれていた内容にも一切言及しなかった姿勢が反感を呼び、不買運動まで起きた。 彼を批判する人、彼を擁護する人、編集部を悪と思っている人、様々な憎悪がぶつかり合って混ざり合い、酷い悪臭を放ちながら漂っていた。 「私は今でもあなたのファンです。これからも、この先も、ずっとずっと。それだけは絶対に変わりません。あなたの事、忘れません。あなたの漫画も。」 彼が描いたネーム、言葉遣いが不自然なメール、単行本、読み切りの企画書、サイン入り色紙。全てが、彼がこの世に生きていた証。 彼の死は私の罪だ。一生背負って生きていくと決めたのだ。たとえ住所を割られて暴言を吐かれても、不審電話が何件もかかってきても、何があっても。 私は転職し、今は街の情報誌の編集の仕事をしている。前の職場で知り合った先輩が教えてくれたのだ。人が足りなくて困っているから、君さえ良ければ来てほしいと拾ってもらった。 私の顔はネットの海で漂いつづけていたので、面接先で「あの漫画家の担当やってたんだって?」と言われたこともあった。転職活動がうまくいかない私を、先輩が救ってくれた。 時々ランチに呼んでくれたり、私の事を気にかけてくれていたのだ。 編集ソフトを開いて、取材先の情報をまとめていく。文字を長時間打っていると、彼とのメールのやり取りを思い出す。なぜか視界が涙で滲んだ。 私はあの一件の後、漫画という物から距離を置くようになっていた。怖かったのだ。 この世に次々生み出される漫画たち。それらすべてが傑作と呼ばれるわけではない。 中には誰の目にも触れられずに埋もれていくものもある。その漫画を描いた人の事を思うと、私の胸は何とも言えない感覚で締め付けられる。 一方では、不屈の名作と言われ色んな人から愛され、語り継がれ、ずっと大事にされていくものもある。評価されるのにはきっと理由がある。絵がきれいだからなのか、話が面白いからなのか、理由は様々あると思う。 私が怖いのは、誰かの作品が消耗品として扱われることだった。様々なメディアに展開され、沢山の人に読んでもらえるのは凄くいいことだと思う。 だけど、作品を食いつぶすだけ食いつぶし、ブームが去ったら知らんぷり、という一連の流れだけは、どうしても嫌だった。 捨てられてしまった作者が今どんな気持ちでいるのか、考えていると泣きたくなった。 世の中は数に支配されている。レビューの数、売り上げ、フォロワーの数、それらを売り上げの目安として使ったりすること自体は間違っていないのに、 どうして自分の心はこんなにもむなしくなるんだろう。 埋もれた名作を探り当てる能力なんかないくせに、数で判断しないでなんて偉そうなことを言っている自分がばかみたいだと思った。 彼のように、高評価を得ていたのに不幸になっていった人間を知っているから、こんなことを思うのかもしれない。 どれだけ後悔しても時間は戻らない。私も年老いていく。受け入れたくないことばかりが起き続けるこの世の中を生きていくには支えが必要なのだ。 朝顔が支柱を頼りに上へと伸びていくように、自分を支えてくれる何か。 それが彼の漫画だった人たちは、きっと今でも私の事を恨んでいる。お前がもっと彼の精神面を丁寧に探ることができていたら、こんなことにはならなかったと、何度言われたか分からない。後悔という文字では表現しきれないほどの感情が、自分の心の中で重く沈み続ける。 私にできることは、この感情を腹に据えたまま生きていくことだけなのだと、 泣きそうになるたび言い聞かせた。 街の大きなウィンドウに、有名な漫画がドラマになるニュースが流れている。 心が少し、ざわついた。

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