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4 分厚い仮面

「横溝課長。松山市の古民家リノベーションの件、佐久間に引き継ぎました。後で確認お願いします」  オフィスの一角で同期の百田《ももた》の声が聞こえてくるのを小鳥遊はキーボードを打ちながら聞いていた。近年人口減少に待ったをかけるため松山市の援助によって使われていない古民家のリノベーション計画が進んでいた。最近はアメリカのように中古の家を家主がDIYをするのも流行っているせいか地方都市のニーズが増えてきている。  小鳥遊はこれから向かう鉄鋼会社の先方に配る資料の最終チェックをしていた。災害に強い家は建材からというのが小鳥遊の務めるスバルホームズの社念だった。  今年で50年を誇る老舗の不動産会社で、全国の不動産会社の中でも三つの指に入るほどの大会社だった。そこの営業部に配属されている小鳥遊は勤続9年目を迎えている。育て上げた部下は真面目に仕事に取り組んでいて文句の一つもつけようがないし、営業成績も悪くはなかった。しかし、いつも何かが足りないような気がしてプライベートを充実させようとジムに通ったり、囲碁や将棋を始めてみたり、アロマなんかも焚いてみたりしていたが一向に気分はすっきりしない。仕事にやりがいはあるためこうして真剣に取り組むことができるが、会社を出たらただの31歳の独身男だ。恋人と呼べるような人間もいない。  中学生の頃に学校で受けた性別診断によって、小鳥遊はアルファと診断されていた。両親ならびに親族ともに全員がアルファだったため、そうなるだろうなと思っていた。級友の中には思わぬ結果を受ける者も少なくなくその様子を見ると小鳥遊も少なからず同情した。  残念ながらこの世界ではアルファがどんな場所でも優位で、第二の性によって得られるものと得られないものがはっきりとしていた。  ベータは慎ましい平均的な年俸と生活を。  オメガは特別手当といって、発情期に働けない代わりに国から支援金が支給されていた。しかしそれも雀の涙ほどしかなく、多くのオメガは働くのを余儀なくされている。社内にも数人のオメガが勤めているが、重要な案件は任せられていない。お茶汲みや書類のコピー、会議室の準備など簡単な仕事しか与えられていなかった。発情期を迎えてしまえば1週間から2週間ほどは出社できなくなる。サラリーマンにとってはその休暇は死活問題になる。大事な会議に出席できなかったり、取引先に向かえなくなったりと弊害はいくつも挙げられる。そのため社内のオメガには欠けても支障の出ない仕事だけが割り振られていた。 「小鳥遊。この資料佐久間に渡しておいてくれ」  同僚の百田がデスク越しに資料を渡してくる。ホッチキスで止められた書類に軽く目を通しながら小鳥遊は席を立った。営業部のエースを競う百田とはいいライバルだった。毎月どちらが多く契約を取れたか競い合い、営業成績を伸ばしていた。百田は人を寄せつける何かがあるらしく、常に人々の円の中心にいる。一方の小鳥遊は周りを寄せ付けぬ空気を身にまとい、その円の外からその様子を眺めているといったふうだった。 「佐久間。百田から回ってきたぞ」 「小鳥遊さん。わざわざすみません」  爽やかな笑みを浮かべて佐久間が頭を下げる。綺麗なつむじをしているとしげしげ眺めていると、「部長?」と訝しげに見つめられた。 「すまない。少しぼんやりとしていた」 「お疲れですか。今日ですもんねキジマ鉄鋼との合同会議」 「ああ。午後1時に向かう予定だ」  壁にかけられた時計に目をやりながら小鳥遊は目を伏せる。佐久間はそのきりりと引き締まった横顔に見入っていた。他を寄せつけない一匹狼のような小鳥遊だが、指導は手厚く新人の頃は非常に世話になったことを思い出してくすりと笑う。すると、なんだと言わんばかりに小鳥遊が眉をひそめた。 「小鳥遊さんの熱いご指導を思い出してしまって……怒涛の研修期間だったなと」  そういうと佐久間は眼鏡のブリッジをひょいとつまみ上げた。小鳥遊は「そうか」と呟く。まだ佐久間がひよっこだったときを思い出して堪えきれずに苦笑すると、佐久間は少しばつが悪そうに肩をすくめた。 「じゃあ、松山の案件頼むぞ」 「はい。必ず成功させます」  佐久間と別れ一旦コーヒーを飲みに休憩室に向かう。事務で働く女性社員が小話に花を咲かせていたが、小鳥遊の姿を見つけるやいなやぱっと会話を止めてしまう。部長という肩書きがそうさせているのだと理解しているから、さっと飲み干して営業課のあるフロアへ戻っていく。  

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