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4 分厚い仮面

「横溝課長。松山市の古民家リノベーションの件、佐久間に引き継ぎました。後で確認お願いします」  オフィスの一角で同期の|百田《ももた》の声が聞こえてくるのを小鳥遊はキーボードを打ちながら聞いていた。近年人口減少に待ったをかけるため松山市の援助によって使われていない古民家のリノベーション計画が進んでいた。最近はアメリカのように中古の家を家主がDIYをするのも流行っているせいか地方都市のニーズが増えてきている。特に限界集落と呼ばれる村民のみの村や、孫世代が上京していなくなった村など、さまざまな事情を抱える村落は多数ある。村の長老たちは、ぜひにうちの村へやってきて町おこしをして欲しいと集いをかけるほどだ。移住してきた人への社会保障も手厚いところが多く、引越しお祝い金や余った土地の畑を無料で使えるサービスも充実している。また、古民家暮らしに憧れを持つのは日本人だけではなくなってきている。主にアメリカやヨーロッパの国々の観光客が日本の風情のある古風な軒並みや家造りを鑑賞するために渡航してくる。インバウンドへの拍車がかかる昨今において、観光資源へ投資するのはさも当たり前のようだ。  小鳥遊はこれから向かう鉄鋼会社の先方に配る資料の最終チェックをしていた。数ページにまとめたパワーポイントの資料とExcelで計算した表を指で示しながら点検する。ホチキスはきちんととめられているか、印刷に不備はないか、表は見やすいか。小鳥遊の仕事は大手企業の営業という役目でどこへ行っても会社の顔になる。社訓にあるように、社員はみなこの会社の代表として振る舞うようにと口酸っぱく言われている。そのため、一部のミスすらも許されない。もしミスをすればこの会社は隙がある、と見られかねないからだ。また、小鳥遊の働く不動産会社にはひとつの大いなる理念がある。それが「災害に強い家は建材から」というのが小鳥遊の務めるスバルホームズの社念だった。  今年で50年を誇る老舗の不動産会社で、全国の不動産会社の中でも三つの指に入るほどの大会社だった。創業者の昴 洋二郎氏は土建会社の下っ端の出で、そこから一代でその名を全国に知らしめた敏腕社長であったと聞く。オフィスの社長室にはにこやかな笑みを浮かべる昴氏の写真が讃えられている。長くくるんと巻かれた口ひげが特徴的な、日焼けのせいか色黒の肌にはハリがあり美しささえ感じられる。高齢の老人には見えぬほど快活極まりないのである。聞けば、昴氏は名家の出だが嫡男であったために本家から追い出され養子に出されたと聞く。まだ小学生だった昴氏には酷であったことだろう。養子先の父親が土建屋の営業部長をしていた縁で、中学を卒業後その会社に入社する。当時、高校へ行く金やツテもなかった昴氏は迷いなく就職の道を選んだ。コンクリートを練り、土台を作った。そして土台の上には材木を用いて枠組みを作った。そうして雨風を凌ぐための屋根をかけ、いくつもの家を建てていった。養子先の父親を流行病で亡くした頃には、その土建屋はその地域では目を引く存在だった。一時は極道にも吸収されそうな勢いだったが、昴氏はこれを決して認めなかった。しゃっきりと、裏表のない商売をして人々の生活を潤したいのだと声たかだかに放った。それから50年余りの月日が経ち、昴氏は90歳まで生きてある日突然息を引き取る。老衰によるものだった。今は昴氏の息子の長男が会社の代表取締役社長である。また、スバルホームズは特に欧米地域にて提携する子会社の経営もしているインターナショナルな不動産会社だ。そこの営業部に配属されている小鳥遊は勤続9年目を迎えている。大学在学中のインターンを経て縁あってスバルホームズへ入社。そこから数年間叩き上げの社員で、上司からは熱烈な歓迎を受けた。「君のような仕事熱心な若者は少ないからね。いやあ、めでたい。君、これからもよろしく頼むよ」と。人間性の逞しい上司に恵まれ、いろいろなことを吸収していった。最近は専ら後輩指導をメインに仕事を進めている。小鳥遊の育て方は、その他の社員からすると手厳しいと思われているらしいがそのようなことは知ったことではなかった。小鳥遊はただ、淡々と営業のいろはを伝え続けなければ会社の存続に支障が出ると考えたからだった。育て上げた部下は真面目に仕事に取り組んでいて文句の一つもつけようがないし、営業成績も悪くはなかった。しかし、いつも何かが足りないような気がしてプライベートを充実させようとジムに通ったり、囲碁や将棋を始めてみたり、寝室でアロマなんかも焚いてみたりしていたが一向に気分はすっきりしない。最近はもう疲労感を得るためだけに夜にランニングをしている。春の心地よい宵の夜に自然公園を走るのはいい気分転換になる。桜や梅、チューリップの香りなどが漂ってきて季節も感じられる。 仕事にやりがいはあるためこうして真剣に取り組むことができるが、会社を出たらただの31歳の独身男だ。恋人と呼べるような人間もいない。そしてもう、欲しいとさえ思わなかった。小鳥遊の性欲は落ち着き始めていた。  中学生の頃に学校で受けた性別診断によって、小鳥遊はアルファと診断されていた。両親ならびに親族ともに全員がアルファだったため、そうなるだろうなと思っていた。級友の中には思わぬ結果を受ける者も少なくなくその様子を見ると小鳥遊も少なからず同情した。特に、両親がベータで突然変異で子どもがオメガになるケースがまちまちだった。ベータの収入ではオメガの子どもを養うことはかなり厳しい。そんな運命を辿ったオメガの旧友は、名家のアルファに嫁いでいった。幸せかどうかは知らない。連絡先も知らない。ただ少し同情する。自分の運命さえ、選択できない人生とはどれだけ苦しかろう。どんなに泣いただろう。どんなに叶わぬ夢を描いたことだろう、と。  残念ながらこの世界ではアルファがどんな場所でも優位で、第二の性によって得られるものと得られないものがはっきりとしていた。  ベータは慎ましい平均的な年俸と侘しい生活を。ベータの中でも上流、中流、下流と家庭がカテゴライズされる。しかしどれもどんぐりの背比べのごとく、アルファの生活からすると大差のない貧富の差である。ベータは平社員として一生涯を終えることが多く、社長になることや起業してうまくやっていくような人間はほとんどいない。そのため、自分の運命は第2の性である「ベータだから」という理由で中途半端に手を抜いたり、時給分の仕事しかしないと割り切っているタイプがいる。そういうやつの尻を叩き上げて一人前の営業マンにするのはとても手がかかる。緩みきった思考や学生気分を捨てさせ、会社のためにいのちを捧げるほどの熱量を無から生み出さなければならない。そういった面倒くささはあるものの、ベータの人間はこちらの期待を超えこそしないが、最低ラインの仕事をするだけの能力はあるので生産性は一定にやや低めと言えよう。  特筆すべきはオメガの生態である。オメガは両親、あるいは片親がオメガのときに、子どももオメガに生まれる。しかし、まれにベータの両親の間に突然変異としてオメガの子どもが生まれることがある。母親がベータで父親がベータの場合、通常はベータの子どもか生まれる。しかし、ごく稀に母親がベータで父親がベータ、そしてその二人の子どもがオメガといったふうに。 オメガは特別手当といって、発情期に働けない代わりに国から支援金が支給されていた。しかしそれも雀の涙ほどしかなく、多くのオメガは働くのを余儀なくされている。社内にも数人のオメガが勤めているが、重要な案件は任せられていない。お茶汲みや書類のコピー、会議室の準備など簡単な仕事しか与えられていなかった。発情期を迎えてしまえば1週間から2週間ほどは出社できなくなる。サラリーマンにとってはその休暇は死活問題になる。大事な会議に出席できなかったり、取引先に向かえなくなったりと弊害はいくつも挙げられる。そのため社内のオメガには欠けても支障の出ない仕事だけが割り振られていた。書類への押印や、システムへのデータ入力、オフィス内外の清掃、社員食堂のキッチンで皿洗いや簡単な盛り付けなど。オフィスにはオメガが急な体調不良になった際に休めるように半個室にソファが置かれている。小鳥遊は数度見ることしかなかったが、項垂れて横になっているオメガを見るとこの世はやはり厳しさを受容しなければならないと強く思うのだ。

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