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「小鳥遊。この資料佐久間に渡しておいてくれ」
同僚の百田がデスク越しに資料を渡してくる。ホッチキスでとめられた書類に軽く目を通しながら小鳥遊は席を立った。営業部のエースを競う百田とはいいライバルだった。毎月どちらが多く契約を取れたか競い合い、営業成績を伸ばしていた。そして負けた者は居酒屋で奢るのがルールとなっていた。百田は人を寄せつける何かがあるらしく、常に人々の円の中心にいる。快活で明るく朗らかな百田は男も女も簡単に虜にする。スマートな体型に整えられた髪は艶がある。清潔感があるのに、たまにふざけておちゃらけるから、親しみやすさがある。後輩にも上司にも好かれる男だった。加えて営業の商談を取り付けるのが得意で、人を惹き込む力のあるスピーチや発表において百田の右に出る者はいない。唯一いるとするならば、小鳥遊くらいだ。円の中心に百田がいるように、一方では小鳥遊は周りを寄せ付けぬ空気を身にまとい、その円の外からその様子を眺めているといったふうだった。全体を俯瞰し、様子を眺めてから行動に移す。百田から「小鳥遊は人間観察力に長けている。それで気が利くから、取引先の人ともすぐに信頼関係を結べる。まったく、いい性格しやがる」と褒められているのか嫌味のなのかの半分あたりの評価を受けたことがある。その言葉通りだなと小鳥遊は自覚した。
「佐久間。百田から回ってきたぞ」
「小鳥遊さん。わざわざすみません」
爽やかな笑みを浮かべて佐久間が頭を下げる。黒髪の中に綺麗なつむじをしているとしげしげ眺めていると、「部長?」と訝しげに見つめられた。まるで台風の目みたいなつむじだな、なんて口にしたら引かれる可能性があるので言わない。
「すまない。少しぼんやりとしていた」
「お疲れですか。今日ですもんねキジマ鉄鋼との合同会議」
「ああ。午後1時に向かう予定だ」
壁にかけられた時計に目をやりながら小鳥遊は目を伏せる。佐久間はそのきりりと引き締まった横顔に見入っていた。他を寄せつけない一匹狼のような小鳥遊だが、指導は手厚く新人の頃は非常に世話になったことを思い出してくすりと笑う。すると、なんだと言わんばかりに小鳥遊が眉をひそめた。小鳥遊の表情はほとんど真顔で笑顔などは見たことがないのだが……。「小鳥遊部長には仏頂面や眉をひそめるのが似合いますね」なんて冗談でも言えない、と佐久間はそれを想像して青ざめる。
「小鳥遊さんの熱いご指導を思い出してしまって……怒涛の研修期間だったなと」
そういうと佐久間は眼鏡のブリッジをひょいとつまみ上げた。小鳥遊は「そうか」と呟く。まだ佐久間がひよっこだったときを思い出して堪えきれずに苦笑すると、佐久間は少しばつが悪そうに肩をすくめた。佐久間が入社した当初はまだ緊張のせいか、ケアレスミスが多くその都度指摘をしたものだ。自分で行うダブルチェックの重要さや、グラフや表の見やすい作り方のコツを教えると、てきぱきと覚えがよくすぐに飲み込んだものだ。だんだんと社内の人間関係や仕事内容にも慣れてくると、ようやく余裕が持てたらしく今では落ち着いたクール系な部下としてうまくやってくれている。そんな佐久間の存在に助けられていたのは、他でもない小鳥遊だった。
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