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キジマ鉄鋼との合同会議はこれが3回目になる。最近できた新しい鉄鋼会社だが、そこで作られる鉄パイプは頑丈で長持ちすると評判で今回の商談が成立することになったのだ。課長の横溝から念入りに指導を受け、部長としては初めての営業になる。シャツの襟を正して書類に不備がないかもう一度確認する。
同行する米原《よねはら》に声をかけて本社を出た。移動中、桜並木が風に吹雪いて花びらが散るのを米原は写真におさめていた。重要な会議が迫っているというのに米原は緊張もせず、いつものように妙な歩き方で後ろをついてくる。
オンとオフと切り替えが上手く、先方の前では礼儀正しくなるものだから二重人格ではないのかと疑うほどだった。米原はベータの一家に産まれた生粋のベータだ。大学時代苦労したと聞いている。住販会社で働くのを夢見てさまざまな資格を取りインターンに足繁く通い、ようやく面接にこぎつけたのだという。スバルホームズは8割型アルファの社員で構成されていて、ベータはほんの1割しかいない。いかに米原が優秀かがわかる。新人の頃も手のかからない頭のきれるやつで苦労しなかったことが印象的だった。
「スバルホームズの方ですね。社長がお待ちしております。どうぞこちらへ」
エントランスホールの受付の女性に案内されて高層ビルの最上階に案内される。新しい会社だが非常にいい立地に社を置いているのを見ていかにこの会社が急成長しているかが見て取れる。米原はガラス張りのエレベーターの中でどんどん離れていく地上をじっと眺めていた。小鳥遊は軽く息を吐く。目を閉じて心を整えた。
「宇津木《うつぎ》社長。スバルホームズ様の小鳥遊様がいらっしゃいました」
扉の奥から入れという低い声が聞こえた。すぐに事務員が扉を開ける。小鳥遊はゆっくりと会議室に足を踏み入れた。
宇津木社長の他にキジマ鉄鋼の本部長と営業部の葉山《はやま》が既に席についていた。葉山とは初回から顔を合わせているので少し緊張がほぐれる。葉山はユーモアのセンスに長けており、会議中も煮詰まった際には気の利いた話題を振ってくれるのが常だった。
席の真ん中に座る社長に近づき一礼する。米原は右斜め後ろに立った。
「この度は宇津木社長自らこちらの話をお聞きになるということで、課長から強く肩を叩かれて参りました。小鳥遊と申します」
丁寧に名刺を受け渡す。無骨で肉のついた指が力強く名刺を引っ張っていった。ついで本部長、葉山の順で名刺を渡していく。
宇津木社長はまだ30代の若手社長だが、高校を卒業後建築会社に勤め現場を深く知り、自ら鳶職として働いてきた異色の経歴を持つ人物だった。現場第一を掲げる理由には社員の安全と安心を考慮する慈愛の念がうかがえる。
用意された向かいの席に腰をかける。米原は資料を3人の手元に置くと、ゆるやかな足取りでこちらの席に戻ってくる。緊迫した空気を一新するように葉山が言葉を発した。
「向かいの土手の桜見ましたか? 今が散り頃とは少し物悲しいですが、それも趣があって良いというものです」
「そうですね」と小鳥遊は微笑む。正直、草花に想いを馳せるような性格はしていないが話をスムーズに進めるためにいつでも嘘をつく準備はできている。それを真意と受け止めたのか葉山が「さて」と呟いた。
「こちらとしては最終案を確認次第すぐに契約をと思っているのですが、説明をお願いしてもよろしいですか?」
「はい」と小鳥遊が大きく頷く。宇津木社長はじっとこちらのほうを見つめてくる。その瞳は小鳥遊の内面の奥深くを覗き込むようでしばし体に緊張が走った。米原が咳払いをして小鳥遊はハッと意識を戻す。こんなことはめったにないのだが緊張しているのだろう。資料を握る手が微かに震えている。自分でも笑ってしまいそうなほど掠れた声が出た。
「弊社の方針といたしましては、キジマ鉄鋼さんの上質で半永久的な硬度を保つL10番からP3番までの部品を主要鉄骨に組み入れようと考えております。我が社の社訓である『世代を超えた家づくり』のためにも御社の鉄鋼技術は不可欠なものであり、長い目で契約を結んでいただきたいと考えております」
「次のページをご覧ください」と米原が促す。3人の指がページをめくったところで小鳥遊は一呼吸置いた。
「こちらの図面が実際の着工部分になります。スミから天井の70パーセントの部位に先程の鉄骨を入れる予定です。注文住宅においては、オプションの納屋や屋根裏部屋、ロフトなどの部分も御社の鉄材を導入する予定です。腐りにくい鉄材は湿気の多いこの日本の住環境にはもってこいの材料なので恒久的に家を保てます。また、近年激増する水害や地震などの自然災害にも強い家づくりを御社とともに目指していければと思います」
「なるほど。では、キジマ鉄鋼はスバルホームズの一番客になると?」
本部長が鋭い視線で指摘する。小鳥遊は大きくゆっくりと頷いた。
「はい。スバルホームズの社長直々に長いお付き合いをと命じられております」
「それではウチは子会社のような扱いになると?」
先程まで黙って話を聞いていた宇津木社長が口を開く。途端に緊迫した空気が流れた。
「いいえ。まだまだ成長途中の御社を子会社として扱うつもりは毛頭ありません。公平な取引の元で対等の関係を築きたいと考えております」
横溝課長に何度も口添えされたことを思い出す。相手を不快にさせないように、かつ自社の提案が通るように話を進めるのは容易なことではない。堂々と下手《へた》に下に出ず話をしてこいと口酸っぱく言われていた。微かな手応えを感じながらも、社長の顔には変化がない。しばし考え込むような間があいた。
「スバルさんは住宅販売の中でも大きな会社ですからねぇ。社長、ここは話に乗ってみるのもいいのではないですか?」
キジマ鉄鋼は社員と社長との距離が近い会社だということで有名だった。社員は家族と位置付けているらしい。そこではアルファもベータも関係なく対等に仕事をしているという。まだオメガの雇用の機会はないと聞いているが、この会社ならたとえオメガであっても安心して仕事をすることができるだろうと小鳥遊は考える。
「ウチの鉄鋼が広く使われるのは最もです。宣伝効果もあるのでしょう?」
本部長がやや上向きにこちらを眺める。小鳥遊ははっきりと頷く。
「もちろん。契約成立の折にはコマーシャルの中にも宣伝文句をつけさせていただく予定です」
ほう、と宇津木社長の表情が柔らかいものに変わった。何度か頷くと小鳥遊をまっすぐ見据える。その瞳は何年も先の会社の未来を探っているような目だった。
「契約しよう。サインをするから少し待ってくれ」
「ありがとうございます」
小鳥遊は深々と頭を下げてほっと肩の力を抜く。前期一番の大仕事を掴み取ることができ、米原も上機嫌になって営業スマイルを見せている。
「長く頼むよ。何かあったら君に話を通せばいいかな? ええと、小鳥遊くんだったね。資料とても見やすかったよ。資材の詳しいことは葉山になんでも聞いてくれ。こいつは現場から上がってきた鉄鋼博士だからな」
「博士ってなんですか」
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