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たまらず葉山が柔和な笑みを浮かべる宇津木社長につっこむ。ほんとうによくできた関係だなと考えていると、受付の事務員がやってきてエレベーターのボタンを押してくれる。軽く会釈をして目の前まで見送りに来てくれた3人に頭を下げた。
「よくやった。小鳥遊!」
オフィスに戻ると商談の結果を待っていた横溝課長に背中を何度も叩かれる。おまえもよくやったぞといわんばかりに米原も熱い抱擁を受けていた。少し加齢臭の漂い始めた課長から離れるようにして米原は身を悶える。
「課長の助言のおかげです。キジマ鉄鋼の社長は若くてもしっかりされています。無茶な注文もなく話が決まりました」
「ほんとによくやってくれた。俺の指導のおかげだな」
胸を張る課長を横目に米原が隠れてガッツポーズを小鳥遊に見せてくる。それに軽く微笑んでやれば物珍しそうに目を見開くものだからその顔が面白くて吹き出しそうになった。
翌朝の朝礼ではこの時期のお約束のテーマが話された。
「えー、来月からウチに新入社員が入ってくることになってる。例年通り百田と小鳥遊の下でみっちり営業のイロハを叩き込んでもらう予定だ。中堅社員の諸君も二人を見習って新人とコミュニケーションをとるように。これからは皆でひとつのチームになるからな。以上、解散」
もうそんな時期かと思ってデスクの椅子に腰掛けると、向かいでコーヒーブレイクを楽しむ百田が声をかけてきた。
「どっちの新人が最速で契約を取るか勝負といくか。負けたら奢ってもらうからな」
「わかった。去年は惜しくもおまえの負けだったからな」
「いつか絶対その澄まし顔を歪めさせてやる」
鼻で笑って百田の噛みつきを横に流す。しかし、毎年どんな新人が入ってくるかは検討もつかない。スバルホームズの人事部には信頼を置いているが、大卒上がりのひよっこ共は社会人としての体力も思考もゼロに等しい。佐久間が言っていたように小鳥遊は研修期間に厳しい指導をすることで有名だった。どれも新人と社の命運を祈ってのことだったが、小鳥遊の指導に耐えきれず百田の下につく者も少なくなかった。どちらかといえば小鳥遊は嫌われ者の狼上司で、百田は部下から信頼され好かれる警察犬のような上司だった。
キジマ鉄鋼との取引を無事に終え部長として部下の仕事の進捗などを見るようになってからは、だいぶ社員の性格や思考が手にとるようにわかるようになっていった。
その日の勤務終わりに今回の大取引を祝して営業課総出の飲み会が行われることになっていた。主役の小鳥遊は上座に座らされ横溝課長にお猪口を注ぐ役目を仰せつかっていた。人のいい課長だが酔うと無茶振りを言ってくることもあるので、小鳥遊は女性社員を近づけないように気を配る。大衆居酒屋のような店なので、どんちゃん騒ぎをしている席もあれば、数人で酒を嗜んでいる席もあった。このざわめきの空間が意外にも小鳥遊は嫌いではなかった。一人で家にいると沈黙の時間が長くなるため、この程度のうるささに身を包まれていた方が夜更かしもせずに早く休むことができる。
案の定酔っ払った横溝課長を百田とタクシーに送り込んだあと自宅へ帰った。シンと静まり返る部屋で服を着替える。以前の恋人にせがまれて買ったダブルベッドの上にビジネスバッグを放り投げた。テレビをつけると来週1週間の天気予報が流れていた。横目で見ながらネクタイを緩める。桜前線の予報も同時に流れた。来週には散り終えて完全に葉桜に移行するのだという。さして興味もなかったが、なんとなくベランダの外に出てみる。高層階のこの部屋からは街の風景が一望できた。橋のかかる桜並木は電極でライトアップされている。夜風が頬を撫で部屋の中に舞い込んでいく。それを鬱陶しそうに眉をひそめて小鳥遊はシャワーを浴びにいった。
これから小鳥遊の身に大きな春の嵐がやってくるとも知らずに眠りについた。
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