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17 岸本に欠陥アルファだとバレる

「もしもし、三井産婦人科の四谷と申します」 以前通院したことのある産婦人科の受付事務だろうか。はきはきと話している。 「はい。小鳥遊です。どういったご用件でしょうか」 こんな忙しい状況でかけてきた電話に、だらだらと付き合う義理はない。小鳥遊はすぐさま電話の要件を聞き出したかった。 「当院では定期的に性病検査と精子の運動状態を見る検査を行っております。何年もご予約がない患者様に診察のご案内をしているのですが、いかがですか?」  なんだ。セールスじみたものじゃないか。もう何年前になるだろうか。ここで検査をしたのは。考えていると、ふと前に付き合っていた恋人の声や仕草を思い出してしまいそうになり頭を横に振る。いいや、忘れろ。小鳥遊は苛々としながら「いいえ」と伝える。すると、電話越しにカタカタとキーボードを押す音が聞こえてきた。 「ご本人の確認のために前回の検査結果の内容をお聞きしてもよろしいですか?」  押しの強い営業だなと思いながらも早く電話を済ませたいので静かな声で伝える。その声は怒りで低く震えていた。 「無精子症と診断されましたが……もういいですか」 小鳥遊の声音に電話口の女性は、ようやく機嫌が悪いことを悟ったらしくそこからは事務的なやりとりにとどまった。 「大変失礼致しました。またなにかありましたらお気軽にご相談ください」  壁時計を見つめて大きくため息をつく。やっと切れた緊急性のない電話にイライラとする自分に嫌気が差した。もとはと言えば、己が迂闊にもカードケースを忘れたせいだ。それにこの時間では予約の時間には間に合いそうもない。歯科医院にキャンセルの電話を入れようとしたそのときだった。  チャリンと高い音がフロアに響いたのは。驚いて後ろを振り返ると、フロアの入り口に大きな影が見えた。ゆっくりと床に落とした物を拾うとその影はなぜか小鳥遊の方へ近づいてくる。 「……岸本。まだ帰ってなかったのか」  まさか聞かれていないよなと冷や汗が小鳥遊の背中を伝う。どくんどくんと忙しなく胸が鼓動し始めた。岸本の表情は逆光でよく見えない。 「部長、アルファなのに種がないってほんとですか」  ああ、終わった。  一番、この世の誰にも知られたくない秘密を岸本は察知したらしい。小鳥遊は薄笑いを浮かべて首を振る。ここは不審に思われても、たとえ信頼を失ってでも嘘をつくしかない。そうしなければ、アルファとしての自分の価値が無くなるような気がしたためだ。 「昔、一時期そういう病気になっただけだ。今は健康そのもので──」 嘘だ。もうずっと、それは生まれつきの症状だと診断されている。しかしそれをまだ知り合って間もないアルファの部下、岸本に知られたくない。この問題には人を遠ざけたい。決して知られてはいけない秘密なのだ。 「嘘つかないでください」  いつにも増して真剣な目で見つめられ、小鳥遊は声が出なくなる。こんなに真面目な顔をしている、冷静で落ち着いている。そんな岸本を見るのは初めてだった。それは優しさでくるものではなかろうというのはわかりきっていた。  岸本の威圧的な瞳が食い入るようにこちらを見つめてくる。そんな目で見つめられるのは初めてのことで、小鳥遊は息をひそめて成り行きを待つ。 「俺は嘘なんてついていない」  大丈夫。まだ言いくるめられる。どくんどくんと嫌に足早になる鼓動を沈ませようとする。息をするのも緊張に包まれた。岸本は小鳥遊の一挙一動をアーモンド型の瞳で観察している。自分がまるで実験用のモルモットになったみたいだ。  小鳥遊は静かに余裕を持って微笑んだつもりだった。しかし岸本は些細な空気の変化を察したのか静かに頷く。その瞳はめらめらと燃えるようにたゆたう。 「アルファなのに種がないって可哀想ですね」 「っ」  こいつ、今なんて言った? 可哀想だと。  ふっと初めて見せる表情で岸本が笑う。綺麗な笑みとは言い難かった。例えるなら、蛇が笑ったらこんな顔になるのだろうなというような邪悪な笑顔。部下に同情されているという状況に納得のいかない小鳥遊は無言で岸本を凝視する。こうなったら眼力で大人しくさせるしかない。しかし岸本は全く動じずに薄笑いを浮かべている。 小鳥遊は岸本の変化に戸惑い動けないでいた。岸本はぐるりと小鳥遊を円の中心に見立てて歩く。まるで生殺しだ。蛇に睨まれる蛙の気持ちが今ならなんとなくわかるような気がした。岸本にやや背の劣る小鳥遊は目だけを上に向けた。 「部長の秘密ゲットなんて俺的には大ニュースなんですけど」  くくっと喉の奥で岸本が笑う。これがあの真面目な岸本なのか。今まで業務中に見せてきた朗らかな笑顔はもうそこには浮かんでいない。その光景に小鳥遊は言葉を失う。 「どうしよっかなぁ。早速お願い聞いてもらおうかな」  ひらり、と手を出される。無言でいると睨むような目で岸本がこちらを見てきた。そうして驚くべき行動に出たのだ。 「金。あるだけ出して」  口止め料というのだろうか。ゆすられている。上司であるはずの俺が。 小鳥遊は2つの選択肢に悩む。今ここで金だけ払って口止めをするのか、ここは穏便に話し合いをして口外を禁じるか。心もとない小鳥遊は自身の財布に手が伸びそうになるのを必死で止めた。だめだ。上司としてここで新人社員に屈するわけにはいかない。 「俺が素直に従うとでも?」 あえて岸本を挑発するようにあしらう。 「従わないとあなたの秘密ばらしますけど。いいんですか小鳥遊部長。きっと今の俺みたいな憐れむような視線で見られることになりますよ」  ぐっとバックを持つ手に力が入る。小鳥遊はふう、と溜息をついてから渋々と財布を取り出した。一万円札を5枚取り出し岸本に向けると、勢いよく札を奪っていった。普段の丁寧で物腰が柔らかな姿からはあまりにもかけ離れている。 「少ないな……まぁいいや、また今度もらいにきますから。ちゃんと現金の用意しといてくださいね」  おぞましいことを言い終えると、岸本は背をひるがえしてフロアから出ていった。背を向けて廊下に歩き出す岸本の姿を小鳥遊は呆然として眺めていた。まさか自分の秘密をこのように明るみに出されるとは思わなかったのだ。  これから起こりうるであろう様々な不都合を頭に思い描き、小鳥遊は眉間を指で押さえた。どう口止めをすればいいのか頭を悩ませる。歯科医院のことなどもう頭から抜けていた。  岸本雄馬──最悪の部下を持ってしまった。

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