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18 脅しの達人
翌日の朝の朝礼の間も、小鳥遊は岸本の動向に目を光らせていた。鋭い眼光で岸本を見つめているのを、佐久間に心配されたがそれにはスルーしておいた。
出社してから顔を合わせると、昨日のことには全く触れず真面目そうな笑顔で挨拶をしてきた。そんな様子を不気味に思いながらも他の社員が見ているので言葉を返すと、嬉しそうに目を輝かせる。こいつ二重人格か何かか。
「小鳥遊。ちょっといいか」
午前の業務を終え社内食堂に向かう途中に百田に呼び止められる。小鳥遊は腹が減っていたので早く昼食にありつきたいのだが。
「岸本のことなんだけど」
ぴくりと体の動きが停止する。岸本。今1番聞きたくない名前だった。ぎこちなく百田のほうを振り返る。百田には気づかれたくないので、普段通りに振舞った。
「……岸本がどうかしたのか」
「今日の研修も1番出来が良くてさ。もう実践に持ち込もうと思ってるんだけど、担当のおまえの意見を聞きたくてな」
仕事は真面目にこなすタイプらしい。やはり二重人格のようだと思いながら百田の言葉に頷く。
「俺の元で実践に入ってもらう。岸本の研修は終わりでいい」
そうかと呟いて百田がじっとこちらの顔を伺うように見つめてくる。小鳥遊は眉を寄せた。
「なんだ。無言で見つめられると気分が悪い」
百田はふっと口端を上げた。猫のような笑い方だと小鳥遊は思う。たぶんミヌエット。
「岸本に期待してんのかなぁって思っただけ。ビシバシ鍛えてやれよ。それと、俺との勝負忘れるんじゃないぞ。どっちの新人が契約たくさん取れるか勝負だぜ」
百田の後ろ姿を見送ってから再び憂鬱な気持ちになる。岸本に弱みを握られてしまって正直平静でいられない。二人きりで仕事に取り組むとなれば、また豹変するかもしれない。仕事中にそんなものに付き合うつもりは毛頭ないのだが、また金をせがまれるのかと思うと気分は晴れなかった。
そしてこんなに弱る自分は久しぶりで驚きもあった。種がないと診断された直後と同じくらい動揺していた。清く正しい上司と部下の関係を乱したくない小鳥遊は、今後は毅然と岸本からの脅しに応じようと決意して天ぷら蕎麦をすすった。
その日の午後、小鳥遊は研修室で岸本を待っていた。今日は営業のイロハを叩き込むつもりだった。本部長からも念を押されている。岸本は10年に一度の見込みのある新人かもしれない、と。そして、驚いたことに本部長は入社当初の小鳥遊と雰囲気が少し似ているとさえ言ったのだ。小鳥遊はがんとしてそれを受け入れることができないでいた。まさかあんな脅し野郎が自分と似ているなどと思いたくもなかった。
そろそろ研修の時間なので、本部長に言われたことは忘れることにする。小鳥遊は長年の経験で得た営業の基礎を押さえたプリントを持って当人が来るのを待つ。
「失礼します」
ぬっと大きな影がドアから出てきた。厚みのある胸板がのぞく。かなり筋肉量があるように思う。ジムに通って体作りをしている小鳥遊には相手がどんな体型をしているか、服の上からでもわかる。席に座るように促すと岸本は素直にそれに従う。
「じゃあ早速これを見てくれ」
プリントを手渡し小鳥遊も岸本の向かいに腰掛ける。すると、ごつごつとした手のひらが小鳥遊の指に触れた。内心びくりとしてぱっと指を離す。すると小馬鹿にしたような笑い方で岸本が口を開いた。
「朝からびびりすぎですよ部長」
「っ」
ばれていたのか。
軽く睨みをきかせるが岸本はそれを笑って受け流す。社内で見せる人のいい笑顔ではない不愉快な笑みでこちらを見つめる。纏う空気が濁る。
「今日は別のお願い聞いてもらいますから。終業時刻を過ぎたらすぐに5階の資料室に来てくださいね」
遅れたら許しませんから、と言葉を添えていつものように爽やかな笑みを浮かべる。その落差に目を見張りながらも仕事は仕事と割り切って小鳥遊は指導を始めた。
それからみっちり2時間の個人指導を終えた頃には小鳥遊は軽く目眩を覚えていた。また脅されることが確定しているせいで、正直うまく説明できたかわからない。しかし覚えのいい岸本は理解しきったようだった。
「じゃあ、またあとでお願いしますね」
口端を歪めて笑う岸本を気味悪く思って自分のデスクに戻る。同じ部署だと目と鼻の先に岸本の姿があるせいで集中できない。それを言い訳にしたくなくて頭を振る。パソコンのキーボードを軽快に叩いて気持ちを切り替える。
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