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22 秘密の共犯者

「おまえオメガだったのか」  全く予想もつかなかったが、今の状態を見ればそれは明らかだった。小鳥遊がそう聞くと岸本は項垂れるようにゆっくりと頷いた。その表情は暗く深い影を落としている。こんな表情をした岸本を小鳥遊は知らない。 「正規雇用で昇進するために選んだ茨の道でしたけど、3ヶ月でその夢も散りましたね」  はぁ、と大きなため息をひとつして岸本がこちらを見つめてくる。その瞳がゆらゆらと揺れていた。諦めと、恐れと、不安に満ちた表情だった。 「横溝本部長に報告しますか?」 「……いや報告はしない」  じわりと汗の滲んだこめかみをハンドタオルで拭きながら答える。小鳥遊の身体の疼きはなかなかおさまらない。それを悟られぬよう、真顔で応じると岸本は少し驚いたように目を見張った。口をぽかんと開けている。 「おまえは仕事に対しては真面目だし実力もある。オメガだとバレなければこのままアルファとしてやっていけるはずだ」  それは小鳥遊の本音だった。見た目も性格もアルファ以外の何者にも見えない。発情期さえ抑えられれば。  仕事ぶりはアルファの中でもトップクラス。そんな逸材を小鳥遊は手放したくなかった。もちろん、会社の大切な人材であるとともに小鳥遊の部下であるからだ。  この3ヶ月の間に岸本が貢献した仕事が山ほどあった。先輩である佐久間にひけをとらないほどだった。横溝本部長からの信頼も少しづつ得てきている。そんな社会人としておいしい時期に辞めさせたりなどしない。それが小鳥遊の心情だった。 「大学時代はうまくやっていけたんですけどね。抑制剤を隠れて飲みながら……ベータの友達に助けてもらったり。発情期で大学の授業を休んだときには、代わりにノートやレジュメをコピーしてくれたり。でも、社会人はそう甘くないみたいです。毎朝、思うんです。会社の人にバレやしないか。発情期のせいで仕事を休んでしまったらどうしようって寝る前にも不安に駆られるんです」  ベッドに突っ伏す岸本の表情はここからではよく見えない。片腕を顔に載せている。よほど今の顔を見られたくないらしい。  もし、これが小鳥遊の立場だったらと仮定する。自分はオメガだが高い意欲と恵まれた体格を活かして大企業でバリバリ働きたい。キャリアを形成したい。けれど、発情期やそれに伴うフェロモンの対処は必須だ。さぞ、苦労をしてきただろうと思う。  小鳥遊とはまったく異なる人生を歩んできた若者の未来を潰したくなかった。努力家で真面目な彼を失いたくない。部長の自分が守ってやらなくては、と責任を感じた。ふと、ある考えが小鳥遊の頭をよぎる。気づけばそれを口にしていた。 「……俺に種がないということを他人に公言しない代わりに、俺はおまえをオメガだと会社に報告はしないと言ったらこの条件のむか?」  ぴくん、と岸本の身体が揺れる。そうして、ゆっくりと岸本が身体を起こす。 「取引ですか」 その表情は真顔で何を考えているのか小鳥遊には読み取ることができなかった。小鳥遊は言葉を続ける。 「そう思ってもらって構わない。俺はもしおまえが社内で発情期になったら助けてやるし、言い訳もしてやる。だから、俺のことは誰にも言わないと誓ってくれ」 提案のようでいて、それは自分の知られたくない秘密を守る言い訳のようだった。 「ほんとに助けてくれるんですか?」  ふっと鼻で笑う岸本を真剣な目で見つめる。「馬鹿にするな」と、岸本のそのアーモンド型の目が言っている。しかし、ふと表情が抜け落ちたように岸本は笑うのをやめた。 「おまえが約束を守るならそうしてやる」 自分で考えても上から目線な提案だと思う。受け取り方によってはほとんど命令に近いかもしれない。しかし今はこれが小鳥遊のできるギリギリの交渉だった。 「……ずいぶんと優しいんですね」 訝しむような岸本の目を真っ直ぐに見ることがためらわれる。見定められているように感じたからだ。 「俺はおまえの遊びに付き合ってやれるほど暇じゃないんでな」 小言をつくように言い放つ。自分が下手に出てはいけないと、仕事の場でも経験済みだ。交渉は自分のペースで、自分の態度で示さなければ成功しないことを小鳥遊はよく知っている。 「残念です。せっかく楽しめると思っていたのに」  憎らしい笑みを浮かべる岸本を見下ろす。今は俺が有利だ。一気にたたみかける。 「うちで昇進したいんだろう? 今のうちに上司に恩を売っておくのも大事だとは思わないか」  我ながら酷なことを言っていると思う。しかし自らの秘密を暴かれるくらいならここまで脅した方がいい。今までさんざん脅されてきたのだから。岸本はしばらく黙っていたが、数分悩ませた後に、観念したようにベッドに正座をした。 「……わかりました。小鳥遊部長の秘密は死んでも他言しません」 まるで教師に注意された中学生のようなふてくされた態度だ。しかし、その顔つきは少し元のような凛々しいものに戻っている。 「取引成立だな。じゃあ俺は帰る」  話は終わったと言わんばかりに話をまとめて突き放すと、岸本は大きな体を縮こませてこちらを見つめてくる。 「もう帰っちゃうんですか」  迷子の子どものような目で見るな。  小鳥遊はうんざりしてため息をつく。一度しっかり言っておかなくてはならない。この先の二人の契約のために。 「いいか。俺は上司でおまえは部下だ。友達じゃない。これ以上俺の生活圏に入ってくるな」 「……そんな言い方しなくてもいいじゃないですか。可愛い部下でしょう?」  急にしおらしくなって岸本は肩を落とす。固い殻を破ったかのような繊細な一面を見せる岸本に微かに目を奪われてしまう。こいつはこんな表情もできるのか。 「もう2度と脅すな。これからはお互い一線を引いて仕事に取り組むのがいい」 「……わかりました。もう脅しません」  忠犬のようにこちらを見つめてくる岸本から目線を外しホテルのカードキーを手渡す。そのまま後ろを振り返りもせずにホテルを後にした。余韻は一切残したくない。せいせいした。これでもう脅されることはなくなるのだから。今日はよく眠れそうだと確信して家路についた。

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