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その日の午後、小鳥遊は研修室で岸本を待っていた。今日は営業のイロハを叩き込むつもりだった。横溝課長からも念を押されている。岸本は10年に一度の見込みのある新人かもしれない、と。そして、驚いたことに横溝課長は入社当初の小鳥遊と雰囲気が少し似ているとさえ言ったのだ。小鳥遊はがんとしてそれを受け入れることができないでいた。まさかあんな脅し野郎が自分と似ているなどと思いたくもなかった。そろそろ時間なので、横溝課長に言われたことは忘れることにする。小鳥遊は長年の経験で得た営業の基礎を押さえたプリントを持って当人が来るのを待つ。
「失礼します」
ぬっと大きな影がドアから出てきた。厚みのある胸板がのぞく。かなり筋肉量があるように思う。ジムに通って体作りをしている小鳥遊には相手がどんな体型をしているか、服の上からでもわかる。席に座るように促すと岸本は素直にそれに従う。
「じゃあ早速これを見てくれ」
プリントを手渡し小鳥遊も岸本の向かいに腰掛ける。すると、ごつごつとした手のひらが小鳥遊の指に触れた。内心びくりとしてぱっと指を離す。すると小馬鹿にしたような笑い方で岸本が口を開いた。
「朝からびびりすぎですよ部長」
「っ」
ばれていたのか。
軽く睨みをきかせるが岸本はそれを笑って受け流す。社内で見せる人のいい笑顔ではない不愉快な笑みでこちらを見つめる。纏う空気が濁る。
「今日は別のお願い聞いてもらいますから。終業時刻を過ぎたらすぐに5階の資料室に来てくださいね」
遅れたら許しませんから、と言葉を添えていつものように爽やかな笑みを浮かべる。その落差に目を見張りながらも仕事は仕事と割り切って小鳥遊は指導を始めた。
それからみっちり2時間の個人指導を終えた頃には小鳥遊は軽く目眩を覚えていた。また脅されることが確定しているせいで、正直うまく説明できたかわからない。しかし覚えのいい岸本は理解しきったようだった。
「じゃあ、またあとでお願いしますね」
口端を歪めて笑う岸本を気味悪く思って自分のデスクに戻る。同じ部署だと目と鼻の先に岸本の姿があるせいで集中できない。それを言い訳にしたくなくて頭を振る。パソコンのキーボードを軽快に叩いて気持ちを切り替える。
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