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翌日も終業時刻の直後に呼び出された。今日は3階の喫煙所で待っているという。岸本が煙草を吸うイメージがわかないから、意外だった。フットサルに力を入れていたと聞くから、アスリート並みに煙草を吸わないとばかり思っていた。これも偏見かと小鳥遊は内省する。岸本はまだ入社したばかりなのに人気のない場所をよく理解しているのでそれがまた末恐ろしい。いつそんな穴場を見つけたのか気になるところではある。まさか業務時間中にうろついてたりなどしていたら、小鳥遊が鉄拳を食らわせてやるところだ。昨日に引き続き小鳥遊の足取りは重たかった。また意味不明なお願いをされるのではないかと気が気ではない。一応今日も財布に10万を突っ込んできたが、岸本の言いなりになっている自分に浅い笑いが込み上げてくる。いつから従う側になったんだ、自分は。
「今日は早いですね」
煙草をふかしながら岸本が言う。紫煙の薫る空気に息が詰まった。小鳥遊は非喫煙者で煙草の匂いが苦手だった。電子ではなく紙だったのにも驚きを隠せない。煙たい喫煙所は狭く、暗い。
「偉いですよね。毎回ちゃんと律儀に来て」
煙草の火を灰皿に押し付けながら、岸本が言う。じゅう、と火が細かく爆ぜる音が聞こえた。
「おまえのせいだろう」
呆れてものの言えない小鳥遊は、うんざりとした表情を浮かべた。
「それだけ皆には知られたくないことなんですね」
ニヒルな笑みを浮かべた岸本は、からかうのが楽しいとでもいうように目を細めている。まるで女狐のように弧を描く瞳。いじわるそうな目だと心の底から思った。
「……今日はなんだ」
小鳥遊が早く済ませて帰ろうと思っているのがばれたのか、岸本はゆっくりと間を持たせる。その時間すら惜しい小鳥遊は、早く済まそうと覚悟を決める。今日は帰ったら男子バレーの世界大会の準決勝が放送されるのだ。学生時代、高身長を買われて男子バレー部に所属し、中学・高校・大学でキャプテンを務めてきた。日本代表戦種の中には高校の頃のチームメイトもいる。古豪の強豪校と呼ばれたバレー部だった。そんな思い入れもあり、今日はなんとしてもリアルタイムで試合を見たいのだ。酒もつまみも冷蔵庫の中で待っている。
「最近仕事が忙しくてリラックスできてないんですよね」
首の後ろをかきながら岸本が呟く。
「おまえの時間の使い方が下手だからだろう」
律儀に指摘されたことを不快に思ったのか、岸本は眉をひそめている。形のいいきりりとした眉だ。眉毛サロンに通っているのか、綺麗に整えられている。
「誰かさんが期待してくれるおかげで家でも勉強してるんですけど」
それは意外だった。やはり仕事の方は真面目にやっているらしい。ならばプライベートもその真面目な皮を被っておいてくれればいいものを。誰かさんというのは、小鳥遊を含め横溝課長や百田のことだろう。これは期待できるなと考えているとおもむろに岸本が自身のベルトを外し始めた。状況の理解ができなくて固まっていると、岸本は
「だから舐めてくれます?」
「……っ馬鹿言うな。見たくもない」
ジーっとジッパーを下ろす音が聞こえて慌てて目を逸らすと、岸本が目の前に迫ってきた。やや身長差があるせいで小鳥遊は上を向かなくてはならない。この地味な身長差がうざい。
「拒否するなら社内メールで一斉送信しますけどいいんですか?」
スマホを片手に見せてくる。画面を見ると「小鳥遊部長は種無しのアルファです」という文字が打ってあった。宛先は社内の連絡網のメールアドレスだった。背中がヒヤリとして立ち尽くす。それだけは阻止しなければ、と小鳥遊の体がこわばる。
なんて用意周到なやつなんだろう。
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