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 小鳥遊が驚いたのは岸本の緊張している姿だった。正座に慣れていないのか、ぷるぷると震えている。そうしてぎこちなくお酌をしてくれるが、その手が微かに震えているのを小鳥遊は見逃さなかった。緊張? 不安? 不慣れ? こんな一面もあるのかと知って少し興味がわいた。常に100点を出し続けてきた岸本の小さな弱点かもしれない。小鳥遊はそう思い、脅しへの対処法として岸本の弱みを発見することから始めようと考えた。完璧そのものだと思っていた部下の意外な一面に百田も笑っていた。そのおかげで空気が柔らかくなり、他の2人も話しやすそうだった。2人はだいぶ会社の雰囲気に慣れてきたようで、小鳥遊はここまで信頼を得た百田の指導手腕を素直に感心していた。 「おいこらあ、たかなしぃ、なんなんだよ、てめえ、おら、なんとかいえよぉ、こンの仕事馬鹿があ、おれだってなあ、おれだって、契約とるために死ぬほど努力してんだよ。くそがあ。おれもいつかたかなしを越える契約とってきて 港区のラウンジで接待されてぇわ。ラウンジ嬢バンザイ」 「俺で憂さを晴らすのはやめろ。いい大人の癖にみっともないぞ。うちの会社は実績がいのち。悪態ついてないで、さっさと寝て忘れてまた仕事に打ち込め。新人の研修だってまだまだこれからが大詰めだってのに。後輩に見られたらみっともないな。天下の桃太郎」  百田と桃太郎の響きが近かったので軽くジャブを打ってみた。締めの言葉は完全に煽りだが、もはや百田の意識は曖昧で呂律もまわっていない様子だ。聞こえていなかったのだろう。酔いも深まり悪酔いした百田を背の高い岸本と引きずってタクシーに押し込む。これがいつもの小鳥遊の飲み会ルーティンだ。 「小鳥遊ーおやすみー」  タクシーの窓からぶんぶんと大きく手を振る百田を遠い目で見つめながら新入社員の3人に解散を告げる。岸本以外の2人はすぐに駅に向かっていったが、1人だけぽつんとその場に立ち尽くす姿を見て小鳥遊は違和感を覚える。目が虚ろでふらついている岸本の肩を支えると、酔いが回ったのかしんどそうに目を伏せていた。見たところ、息が荒く呼吸が苦しそうだ。もしかしたら無理して飲んでいたのかもしれない。それを見抜けなかったことに小鳥遊は少しイラついた。いつ何時も部下の様子を監視・監督するのが上司の役目だと自負していたからだ。 「おい。大丈夫か」 岸本の顔を覗き込むように声をかける。息をふっふっ、と荒らげて顔は白く青ざめている。いつものような自信に満ち溢れた彼の姿はそこになかった。小鳥遊にはまるで別人のように見えた。 「すみません、酒は得意じゃなくて……」 こほこほと咳き込み、目を伏せる岸本の睫毛は長くてアーチ型にカールしている。睫毛の陰が岸本の目元に翳り、クマができているように見えた。  急にか弱い雰囲気を醸し出す岸本に驚きつつも、「少し休憩していくか」と馴染みのカフェに連れていく。夜遅くも開店しているそこは人のいいマスター目当てでサラリーマンから主婦、老夫婦まで幅広い年代の客で賑わっていた。酒以外にもフードの提供が好評で、特にフィッシュアンドチップスやベイクドポテト、オニオンリングなどの軽食が人気だ。だがしかし、今の状態では油物を摂取したらさらに岸本の顔色が悪くなるような気がして、ミネラルウォーターだけを注文した。マスターが具合の悪そうな岸本を見て、1番静かそうな隅のテーブルに案内してくれた。席につくと岸本は大きなため息をついた。ちらり、と横にいる岸本を見れば目元が赤く染まっている。本当に酒に弱いらしい。マスターにおしぼりをもらって岸本に差し出した。 「ありがとうございます」  岸本は猫が毛繕いをするように、おしぼりを額にあてて、しゅんとうなだれていた。熱を冷ますようにミネラルウォーターもちびちびと飲み干す。目も虚ろで1人にさせるには小鳥遊の良心が傷んだ。心の奥がぴりぴりと痺れるような痛みだ。 「楽になるまでここに座ってろ」  いつもの岸本らしくない姿になぜか心がざわめき出す。大きなガタイがやけに頼りなく見えた。だらん、と伸びた腕には有名な海外ブランドの腕時計がのぞく。シルバーのそれは店内のオレンジ色のモダンライトに照らされてきらきらと光の粒を放っている。 「すみません……ちょっとお手洗いに」 気分が悪くなったのだろう。掠れた声で呟くと岸本は足取りおぼつかない様子で手洗いに立った。今にも倒れそうな勢いである。

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