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28 曖昧な線引き
「小鳥遊部長」
小鳥遊は顔を見なくてもその声が誰のものか嫌でも理解できるようになっていた。
「……なんだ」
あの夜から2ヶ月が経った。相変わらず岸本は仕事中は優秀な部下として小鳥遊に接してくる。その相反する態度に鳥肌が立ちそうになる。夏日の今日は朝から蒸し暑く、社内は冷房が効いている。あの過ちの一夜以外は特に脅されることはなかった。嵐の前の静けさのようだと小鳥遊は感じていた。
「今日の飲み会は部長も参加しますよね?」
今日は部署一同集まって酒を飲む日だった。暑い夏も頑張りましょうという建前のどんちゃん騒ぎが許される1日だった。横溝本部長の主催で用事がない限りは半強制参加となっている。部長の小鳥遊は気乗りしなくても参加することが決定づけられていた。
「ああ」
「俺も行くんですけど、そのとき隣に座ってもいいですか?」
なぜそんなことを聞いてくるのだろう。
小鳥遊は眉を顰める。すると岸本はにかっと笑って言った。
「部長にお酌がしたいんです。いつもお世話になってますから」
「好きにしろ……今日は無理して飲まなくていい。前回の過ちを繰り返すなよ」
苦々しい記憶を思い出したのか岸本は苦笑する。それを傍目に見てやっぱりこいつは二重人格なんじゃないかと疑ってしまう。
「それじゃあ乾杯っ」
本部長の一言で宴の幕が上がる。百田がジョッキを掲げて生ビールをごくごくと喉に流し込んでいる。
今日来た居酒屋はネオン居酒屋という形態らしい。SNSで人気で、グラスがかわいいと女性の間で流行っているのだとか。またフルーツサワーが格別で、ストロベリーサワーなら、串刺しにされたストロベリーが8粒ほど連なってマドラーの役割をしているらしい。他にもシャインマスカットサワーやパインサワー、甘いカクテルなど女性ウケを狙った酒が沢山置いてあった。小鳥遊は本部長の話を聞きながら相槌を打っていた。1人娘を持つ本部長はでれでれとしながら愛娘のことを話す。
「美波がパパにってクレヨンで描いた絵をくれたんだよ。それが6歳児の画力じゃないわけ。ほらこれだよ。すごいだろう?」
スマホの画面をタップしてわざわざ絵を見せてくれる。小鳥遊は目を細めて笑った。
「ほんとに上手ですね」
子どもの描いた絵に上手い下手と評するのははたしてどうなんだろうと考えていると、隣に座る岸本が肩を叩いてきた。突然の接触に体がびくりと反応する。
「部長の頼んでいたウーロンハイがきましたよ」
「ああ」
グラスを手元に置いてくれた岸本をしげしげと眺める。小鳥遊の忠告を守っているらしく、ノンアルコールの梅酒しか頼んでいないようだった。
宴も終盤に差し掛かり大半の社員に酔いが回ってきた頃。潰れてしまった本部長を百田と背負ってタクシーに乗せる。いつもの光景だった。今日は少しセーブしているのか百田の目は据わっている。
「健康診断の結果がよくなくてさ。酒は控えろって医者から言われたんだ」
つまらなそうに呟く百田の話を受け流しながら宴会場と化した座敷を見渡す。そこに岸本の姿はなかった。なんとなく嫌な予感がしてトイレや喫煙所を探し回ったが姿が見えない。
廊下で別の客とすれ違う瞬間、ふわりと甘い香りがして急いで振り返った。3人の男がゆったりとした足取りで1番奥の座敷に向かっていく。
「まじか。おまえ運がいいな」
「見た目はまじでアルファなんだよ。あれはそそられるわ」
「で、外の裏手でやっちまったのか? 俺も呼べよな」
その言葉に体が凍りついた。男たちに詰め寄り声をかける。
「おい。今なんて言った」
アルファの雰囲気が強い3人がにたにたと笑いながらこちらを見つめてくる。
「なんだよ。あんたも興味あるのか」
「……」
小鳥遊は無言で男の話を聞いていた。
「外の喫煙所の裏にさ、発情してるオメガがいるんだよ。さすがに懇親会の途中だから軽く遊んでやっただけだけど」
最後まで聞き終えることなくその場を立ち去る。大股で廊下を進んでいった。まさか社外で他社のアルファに襲われるとは考えもしていなくて鼓動が早まった。これでは小鳥遊の提案した契約が守れていない。
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