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31 欠陥αと偽りΩのビジネス番契約の始まり
軽く息を吐いてから小鳥遊は目を閉じた。こいつとの出会いは最悪だったが、今はこうして冷静な話ができるまでになった。またいつ豹変するかわからないが、小鳥遊はこの岸本という男に振り回されるのも悪くないと思うようになっていた。
なぜだろう。自分ではわからない。けれどこの男といるのは、意外にも心地がよかった。誰かに頼られることが久しぶりで、それは自分を欲してくれているのだと勘違いができることで生まれる安堵だった。今はただ、この言葉にしえない心地良さにひたっていたかった。
「わかった」
ほっとしたように岸本が微笑む。じゃあ早速と言わんばかりにうなじを見せてきた。色白の肌は透き通っていてきめ細かい。
「どんなふうに噛まれたいとかあるのか」
一生に一度のことだからそこはなるべく希望に沿ってやりたかった。痛みを伴うのは岸本の身体だからと、大切にしてやりたかった。
「……あんまり考えたことないですね。部長はどんなふうに噛みたいですか?」
この間の一夜の過ちが鮮明によぎるが、首を振って頭をクリアにする。これでは岸本は体目当てと思われてしまう。そんな馬鹿なアルファには成り下がりたくない。あくまでも俺たちはビジネス番だ。それを忘れてはならないと、小鳥遊は肝に銘じる。
「特にない」
「じゃあ背中から抱きしめてください。それで十分です」
「わかった……」
言われた通り岸本の背中に回り込みゆっくりと両手をお腹にまわす。筋肉質な腹を撫でながらそっと首筋に舌を添わせた。ぴくんと岸本の広い肩が跳ねる。やや爪先立ちになってうなじに歯を当てがった。ゆっくりと慎重に歯を立てていく。
「っ」
痛そうに身を捩る岸本を力強く抱きしめ、うなじに噛み付いた。びくっと岸本の体が跳ねる。前にきつく回した手に岸本の手が重なった。唾液で濡れた首筋を軽くタオルで拭き取ってやる。赤々とした跡がくっきりと残った。歯型も残っている。
「部長ありがとうございます。今日のこと一生忘れません」
目に涙をためながら、うなじをさすって岸本が笑う。その笑顔は初めて見せるとびっきりの笑みでつられてこちらも笑ってしまいそうになった。こんな表情もするのか、岸本は。そしてそれを見ると小鳥遊のこころは気持ちが凪ぐのだ。
「化膿しないようにガーゼを当てておいたほうがいい」
椅子に座らせて救急箱からガーゼとサージカルテープを取り出す。処置の間、岸本は黙っていた。うなじを綺麗に覆うとくるりと岸本が振り返った。
「じゃあこれからどうしますか。ここに引っ越してきて一緒に住んでもいいですか。住み込みの方が楽なので」
ちょうど空いている部屋もあったので快諾する。やったぁと子どものようにはしゃぐ岸元を見てビジネス番になったことを後悔はしなかった。
これほど喜んでくれるならいいか……。
「じゃあ早速なにからしますか?」
「何って……落ち着いたんなら帰ればいいだろう」
「嫌です……寂しくて死んじゃいますよ俺」
おまえは駄々をこねる餓鬼か!
小鳥遊はやれやれと頭を振る。すると唐突に岸本が小鳥遊の肩を引き寄せた。背中に岸本の体温が広がる。
こいつ平熱高いんだな。子ども体温か。
そんなことを思っていると、さらに後ろから強く抱きしめられる。
「部長……どうされたいですか? もう脅したりしませんから……部長のお願いならなんでも聞きますから言ってください」
「まずは離れてくれ」
ぐぐぐ、と抵抗する動きを見せるが岸本の腕にとらわれてしまう。
「それはダメです。離したら戻ってこないでしょう?」
その通りなのだが、今は早く風呂に入って寝たい……。
手のかかる子どもだなと思いながら、目の前で組まれた腕を軽く叩く。
「今日はもう遅い。俺にも自由な時間をくれ」
「残念です……」
名残惜しそうに岸本の体が離れていく。空き室に客用の布団を引こうとするとその手を掴まれた。
「俺ベッドがいいです」
「じゃあ俺は布団で寝る……いや、仮にも上司を差し置いておまえはベッドで寝るのか?」
違いますよとふにゃりと笑って岸本は言う。
「ベッドに2人で寝るんですよ。ダブルベッドなら2人でも寝れるでしょう?」
「……なんで男2人で寝なきゃならないんだ」
呆れて喜び顔を眺めていると、岸本がくすくす笑って口もとを手で覆う。
「なぜって……俺たち番じゃないですか」
照れ笑いのようだ。なぜか新婚さんのような雰囲気を押し出す岸本に笑いが込み上げてきそうになって、耐えた。
「理由になってない」
冷静に言葉を選ぶと、ふふっと岸本が口端を上げる。
「俺決めましたから。引きずってでも2人で寝ますからね」
そう言う岸本を置いて小鳥遊はさっさとシャワーを浴びにいった。後ろをついてくる足音は聞こえなかったのでホッとした。さすがに一緒に風呂に入ろうと言われたら全力で拒否するつもりだ。
シャワーを浴び終えて寝室に向かうと宣言通りベッドの上に横になる岸本の姿があった。手足を伸ばしてぱたぱたとしている。小鳥遊はその様子をまじまじと見つめながら心の中で呟く。
こいつ上司の家でくつろぎすぎじゃないか?
ベッドサイドに腰掛けドライヤーで乾かした髪を櫛で整える。朝起きた時の寝癖をなるべくなくすためだった。その様子を岸本はじっと見つめてきている。
「部長の髪ふわふわしてますね」
「……急に触るな」
「だって綺麗なんですもん」
手を伸ばしてきた岸本に髪の毛を触られる。軽く撫でるような手つきを心地いいと思ってしまった。美容室でヘッドマッサージをされているときのようなリラックスする感覚と似ていた。これ以上接近されたら埒が明かないと思い、はっとしてその手を振り解く。
「寝るぞ」
掛け布団を引き寄せて横向きになる。岸本とは背中合わせで眠ることにした。こいつの寝相が悪くないことを願う。
「はい。おやすみなさい部長」
枕元でふにゃっと笑ったかと思えばすぐさま夢の世界に旅立ってしまった岸元を見て吹き出しそうになるが、真顔で耐える。今日は何度笑うことを耐えただろう。笑ってはいけない選手権を1人で開催していた気がする。もちろん勝利したが。小鳥遊もそっと目を閉じた。
誰かと添い寝するのもたまには悪くないな。
すぐ隣の温もりを感じながら深い眠りに落ちていった。
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