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42 欠陥αと偽りΩの不完全な番

「……もと、岸本」 「ふあっ!?」  ジェットコースターから落ちたかのような感覚に体が浮き上がりそうになる。岸本はここが産婦人科だったことを思い出した。 「だいぶ眠そうだな」  ぺちりと頬を軽く叩かれて頭が冴える。  そうだった。これから診察の結果を聞くんだった。  当初の目的を思い出し背筋が伸びる。小鳥遊の後ろにくっついて診察室に足を踏み入れた。そこには40代くらいの女性が軽く微笑みながら椅子に座っていた。 「お久しぶりです」 「あら、今度は新しい子なのね」  小鳥遊が軽く挨拶をすると女医の瞳が細くなった。再会を喜んでいるように見える。小鳥遊の隣の椅子に促され岸本は腰を下ろした。 「早速だけど岸本さんから結果を報告するわね」 「はい」  初めて来た産婦人科にどきどきしながら女医の言葉を待つ。 「あなたの精子の運動量は充分です。それにいたって健康みたいですから安心してください」  問診票にここ最近の体調についての項目があったことを思い出し静かに頷く。まずはほっとした。しかしふとそれじゃあなぜ発情期がやってきてしまったんだろうと女医を仰ぎ見る。 「問題はね小鳥遊さんにあるみたいなの」  ちょっぴり苦笑しながら女医が告げるのを小鳥遊部長はどんな思いで聞いているんだろう。岸本は端正に整った横顔をじっと見つめた。 「まずね、以前と同じく小鳥遊さんの精液には精子がありませんでした。体質なのでこれから変わる可能性もあります。年齢や生活習慣が関わってくることもありますからね。充分な睡眠は取れていますか?」 「はい。食事もバランスの良いものを心がけています」  それは俺のおかげだろと岸本は心の中で突っ込みながら女医の話に耳を傾ける。 「あなた達は番の契約を結んだと伺っているのだけれど……岸本さん、うなじを見せてもらえますか」  岸本はくるりと可動式の椅子の向きを変えて、着ていたTシャツを下げた。赤い歯形の跡がうっすらと浮かび上がっている。女医は何度か確認するようにうなじを押してみたりつねったりした。特にこれといった痛みもないので無反応でいると「いいですよ」と声をかけられたので前に向き直った。 「噛み跡はしっかりついていますね。やはり原因は小鳥遊さんにあると考えられます」  小鳥遊の体が一瞬だがぴくりと反応する。 「番とはアルファとオメガの間に生まれる特異な契約関係です。通常、この番関係はどちらかが死ぬまで有効となります。あなた方のようなケースは前例がないので憶測になりますが、不完全なアルファである小鳥遊さんの体質の影響が番となった岸本さんにも現れたのだと考えられます」  小鳥遊は毅然とした表情で女医を見つめる。岸本もそれにならった。 「オメガの発情期は基本的には3ヶ月に1度の周期で現れますが、今回は不完全な番契約となってしまったため、岸本さんの体になんらかの異常が現れたのだと推測されます」 「異常というのは?」  小鳥遊がそう問うと女医は小さくかぶりを振った。 「発情期不順です。周期がバラバラになりいつ訪れるか予測がつかない状態のことをいいます」  岸本は発情期不順という言葉に頭がきりきりと痛みだした。ただでさえ辛い思いをするのにこれからはそれが不定期にやってくる。それを考えると叫び出したい衝動に駆られる。 「それを治す方法はないんですか」  岸本の不安を代弁するように小鳥遊が聞く。女医は静かに首を振った。 「現在の医療では治療方法が確立されていません。しかし、唯一発情期を抑える方法があります。問診票に書いてくださったことになりますので詳しくお聞きしてもよろしいですか?」 「はい」  ゆっくりと小鳥遊が頷いたのを見て女医は岸本に向かい合った。 「発情期のとき小鳥遊さんとの性交渉後すぐにそれが治ったと書いてありましたよね。何か心当たりはありますか?」 「体の熱がスッとなくなったみたいで、体が軽く感じました。性欲が飛んでいったみたいな感覚でした」 「その感覚の引き金になった行為に心当たりはありますか?」  えっと、と岸本が恥ずかしそうに目を伏せるのを見て小鳥遊が代わりに口を開く。 「アルファの精液を体内に吸収した直後でした。彼の発情期が収まったのは」  かぁっと頬を染めながら岸本が小さく頷く。女医はなるほどと相槌を打った。 「通常オメガの発情期を抑える方法は2種類あると言われています。1つは発情期が始まったときに抑制剤を飲むこと。薬の種類にもよりますが5分から30分前後で発情期を抑えることができます。  そして2つめは、番の契約をしているアルファの精液を体内に吸収することです。これには即効性があるので大抵の番契約者のアルファとオメガはこの方法をとっています。発情期はパートナーとの愛情を確認する時間にもなるんです」  岸本はオメガと判定された直後に受けた保健体育の授業のことを思い出していた。発情期を抑える方法はいくつかあることを教わっていたが、番の相手の精液を体内に取り込むことで発情期が抑えられるということは初めて知った。あのときはオメガである自分を守るための方法だけを教えられていたから、番になったあとの行為については詳しく教えてもらわなかった。 女医が処方してくれた抑制剤の入った袋をぶら下げながら家までの道を歩く。お互いに無言でいた。小鳥遊はなんと声をかけていいのか迷う。  俺のせいで岸本にさらに辛い思いをさせることになるとは……。  無言で後ろをついてくる岸本の歩幅に合わせて歩いていると時間がゆっくりと進んでいくように思えた。以前の恋人に振られたときを思い出して体に緊張が走る。あれは秋の空が見えた初秋のことだった

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