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43 欠陥αの失った恋愛(過去編)

「駿輔」  ベッドサイドの隅で小柄な体を抱き寄せていると、胸元から掠れるような声が聞こえて体を離した。丸い輪っかが彼の頭の上にあるように錯覚して小鳥遊は目を擦る。 「おはよう。昨日はよく眠れた?」  高く透き通った声でそう問われて小鳥遊は彼の頬に軽くキスを落とす。するとくすぐったそうに身をすくめた。 「やめてよ」  顔を両手で押されて少し不機嫌になる。すると、ごめんってと言って彼が微笑んできた。天使のようだと小鳥遊は思う。 「守《まもる》。そろそろ寝るときには服を着ろ」  風邪をひくといけないとぴしゃりと言い放つと、守は大きな瞳を丸めて笑う。 「だって素肌の方が駿輔の温もりを感じられてぐっすり眠れるんだもん」 「……馬鹿な考え方だな」  守にもこもこしたパーカーを着せて体を抱き寄せる。ふにっとした柔らかい唇を軽く吸った。 「ん」 「おはよう」  惚けたような顔にそう囁いてやれば守は磁器のように白い頬をほんのりと紅くさせて目を伏せる。 「おはよう」  今度は守のほうから恭しく唇にキスをされる。丁寧な口づけに微睡んでいると、目覚まし時計を見た守が慌てて靴下を履き出した。  守とは付き合って1年になる。出会いは恋愛ドラマのようなありえない状況でだった。休日の昼下がり、散歩に寄った本屋で同じ本を取ろうとして指先が触れ合った。その瞬間お互いに深い繋がりを感じて食事に誘い合った。それが何度か続くと守は一人暮らしをしているアパートに小鳥遊を呼んだ。 「駿輔……僕ずっと隠してたことがあるんだ」 「どうした」  ぎゅっと胸の前で両手を握る守を見てすぐにも抱きしめたくなった。小柄な守にはいつも庇護欲を掻き立てられていた。聞き上手の守に職場での愚痴や私生活の不満なども話していた。誰かに心を開くのは初めてだった。 「僕ね、ベータって言ったけどほんとは違うんだ。幻滅させるかもしれないって思うと怖くて言えなかった。でももう嘘はつきたくないから」 「おまえのことなら全部受け止めてやる。言ってみろ」  潤んだ瞳からつうっと雫が溢れるのを見て、愛らしいと思ってしまったのは間違いだったろうか。 「僕、オメガなんだ」  震える声で呟いた守がしくしくと泣き出す。薄々勘づいていたがまさかと思って目を見張る。 「駿輔がアルファなのは見てわかったんだ。こんな僕にすごく優しくしてくれてほんとうに嬉しくて……気がついたら駿輔のことが大好きになってた」  守の必死の告白を小鳥遊は静かに受け止めた。ふるふると震えている肩にそっと手を回す。するとびくっと肩を大きく震わせて守が顔を上げた。 「ん…っ!?」  桃色の唇に蓋をするように口づけを落とした。もごもごと何かを言おうとするのを遮る。守のまんまるとした後頭部を撫でながら背中に手を回す。お互いの体温を感じ合うほどに距離が縮まった。 「守がオメガでよかった。俺はおまえと家族になりたい」 「駿輔……」  涙腺が崩壊したようにわんわんと泣く守の背中をトントンと叩いてやる。ぎゅっとくっついてきて離そうとしない。 「僕も駿輔と一緒に生きたい……家族も欲しい」 「ああ。約束だ」  その日、初めて守と繋がった。あのときの煌めくような瞳を小鳥遊は一生忘れることはできない。  貯金を切り崩して守との愛の巣を購入したことも後悔はない。将来2人くらいは子供が欲しいねと笑う守に小鳥遊も頷いたのは夏の終わりだったろうか。秋口から冬にかけて2人で何度も繋がった。しかし、妊娠検査薬には望むような結果は現れなかった。  苦しげな表情を浮かべる守を見たのはそれが初めてだった。ひとりっ子だった守は祖母に育てられたという。両親を幼い頃に亡くした守は家族というものに強い憧れを持っていた。自らがオメガと判定されたときには、いつか必ず好きな人との子供を産もうと固く決心したらしい。  産婦人科で検査を受けたあと結果を聞いて守は顔面蒼白になった。あのときのショックを受けた顔を小鳥遊は忘れられない。今でも瞼の裏に強く焼き付いてしまっている。驚愕と諦めと悲しみの色が折り混ざった表情。 「なんで。なんでこうなっちゃうの?」  ファミリータイプのマンションがいつもより広く感じた。ソファの上で膝を抱え込む守にかける言葉が見つからなかった。子どものように泣きながら次第に小鳥遊を責めるような目つきになる。 「駿輔はなんで平気そうなの? 僕との赤ちゃん欲しくないの?」  ヒステリックに叫ぶ守を宥めながら小鳥遊は目を閉じる。  まさか自分に種がないなんて……。  不完全なアルファという言葉が頭に浮かんだ。正直、子どもがどうだとかの話の前に自分の体質を受け入れられなかった。しかし守は自分の唯一の夢がついえたのを悟ったのか睨むようにこちらを見つめてくる。 「駿輔のこと信じてたのに。僕と一緒に生きていこうって言ったのに! ほんとうは僕のことなんてどうでもいいんだね」  泣きじゃくる守の声がきりきりと頭を締めつける。だから小鳥遊は勢い余って怒鳴ってしまった。 「辛いのはおまえだけじゃない。頼むから声を抑えてくれ」  こめかみを押さえてそう言うと守はキッと睨んできた。無言で荷物をかき集めるとキャリーバッグに詰め込んだ。小鳥遊はその様子を黙って見つめていた。 「駿輔。僕は赤ちゃんのいない人生は生きたくないんだ」  じゃあねと静かに言い去ると守は玄関を勢いよく閉めて出て行った。このとき小鳥遊は3日もすれば頭も冷えて戻ってくるだろうと軽く考えていた。しかし1週間が過ぎて1ヶ月が過ぎても守は戻ってこなかった。手元にいた小鳥が旅立っていったかのような一抹の寂しさを覚えた。

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