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45 部長って格好いいな(side岸本)
「部長。おはようございます」
「ああ、おはよう」
スーツを着て家から一歩でも外に出れば俺と部長は部下と上司の関係に戻る。部長は切り替えるのが上手で、俺はたびたび家での雰囲気のまま話しかけてしまいそうになる。しかしお互いの秘密を共有しているから、この関係が他の人にバレないようにと気を張るのが常だった。何か噂を立てられでもしたらたまったものじゃない。
「佐久間さん。おはようございます」
デスクの上でコーヒーを飲んでいた佐久間先輩に声をかけると、とびきりのスマイルで応じてくれた。
「岸本くんおはよう。あ、部長もおはようございます」
部長の姿を一目見て佐久間先輩は椅子から立ち上がった。俺は佐久間先輩の隣のデスクに荷物を置く。大きく伸びをして眠気覚ましのコーヒーを淹れに休憩室に向かうと、百田部長がテーブルに突っ伏しながらうとうととしているのが見えた。最近、新規の取引先との細かい擦り合わせで残業続きらしい。その仕事を佐久間先輩とともに行っているという。
7月半ばのうだるような夏の暑さには閉口する。朝、電車に乗って会社に向かうだけなのにワイシャツにはじっとりと汗がしみついている。制汗シートが手放せなくなっていた。額にかいた汗を拭き取りながらカップにコーヒーが溜まるのを待っていると背後に気配を感じたので振り返る。
「やぁやぁ。岸本」
「米原さん。おはようございます」
にゅっと後ろから現れた米原さんに内心びくつきながらも堂々と接する。この人、独特な雰囲気があるんだよなぁ。悪い人じゃないんだろうけど、ちょっと合いそうにない。
「明星《みょうじょう》のとこの契約取れそう?」
「なんとか取れそうです」
現在部長とともに出向いている明星建材との長期の取引の件だった。この会社は良質な国産の材木を扱っているため、若者向けの集合住宅の建材の注文先になる。メリットとしては材料費が安く押さえられるので入居者の賃貸料が低くなり入居しやすくなることだが、デメリットとして鉄骨とは違う木造の家は音が響きやすいというものがある。
最近の一人暮らし向けの部屋はバス・トイレ別、温水洗浄機付きトイレ、エアコン、IHキッチン等、外観よりも内部の設備に重点が置かれることが多いため、似たような賃貸住居が全国で建てられている。だいたいが2階建てから3階建ての建物になるため、横に広くもできるし上に高くもできるのが利点だった。
「岸本行くぞ」
「はい」
朝礼を終えて軽く資料に目を通していると小鳥遊部長に名前を呼ばれた。身なりを整えて後に続く。「いってらっしゃーい」という米原の声が背中に突き刺さった。プレッシャーをかけられているようで少し不安になるがそれを振り切って前を見据える。
今日こそ契約を取ってやる。部長のサポートに全力で取り組もう。
明星建材のオフィスは有名な都内の高層ビルの7階に入っていた。人々が忙しなく行き交うエントランスホールでそわそわとしていると、部長にしゃきっとしろと睨まれる。
きっとここにいるほとんどがアルファの社員なんだろうな。
威圧的な空気を身に纏う見た目も華やかな人々が行き交っている。それを見ているとふつふつと悔しさが込み上げてきた。仕事中に雑念は不要とばかりに頭を振る。そうしていると、「何してるんだおまえ」と言わんばかりの目で部長に見つめられた。苦笑いをしてなんとかやり過ごす。
受付の女性社員にエレベーターでフロアに案内される。数ヶ月は経ったといえ営業先に出向くのはやはり緊張する。手に持った鞄をぎゅっと握りしめて余計な力を抜く。深呼吸をしてフロアに足を踏み入れた。とくとくとく、と心音が高鳴る。
「スバルホームズの方がいらっしゃいました」
「どうも。担当の|谷崎《たにざき》と申します。会議室にご案内いたします」
「よろしくお願いいたします」
部長にならって軽く頭を下げる。まったく緊張などしていないような飄々とした顔で部長は前を歩いている。その後ろ姿が格好良くてこの人ならきっと大丈夫だという安心感に包まれる。それは仕事でもプライベートでもそうだった。
会議室の中に入るとすでに明星建材の社長が席についていた。名刺交換を済ませ席につく。俺は用意していた資料を社長と谷崎さんに手渡す。
「それではさっそく本題に入りましょうか」
谷崎さんの軽快な一声で会議が始まった。すらすらと説明をする部長を見ながら素直にすごいなと思う。
自分がプレゼンや説明をするとなったらきっと緊張して内容を飛ばしてしまうかもしれない。噛んでしまって何度もやり直す羽目になるかもしれない。しかし小鳥遊駿輔という完璧そのものの男はなんなくそれをこなしてしまう。
「説明ありがとうございました。こちらとしてもこの条件で良いと思っています。社長から一言いただいてもよろしいですか?」
うむ、と頷いて50代前後の男性が重々しく口を開いた。
「小鳥遊さんだったかな。若いのに物怖じしないところはすごくよかった。しかし1つあげるとするならば、もう少し笑顔を見せた方がいい。真剣な会議だが目だけ微笑むとか、柔らかい雰囲気を出すとか。そのほうが聞いていて気分がいい。今の君とはまるでAIと話しているような錯覚を覚えたよ」
そうだろうか? 小鳥遊部長は真剣に話をしていて間違いなんてなかったと思うが。俺は明星建材の社長の顔を眺めながらそんなことを考える。部長はなんて返すんだろうと思って横を見たそのとき。
「ご指摘ありがとうございます。昔から仏頂面と言われておりまして、今後の課題として精進していくつもりです」
はきはきと答え、ついでに爽やかさ100%のスマイルを添えて言った。俺はびっくりして部長の横顔をまじまじと見つめてしまう。
この人こんな顔もできるんだ。っていうか部長がこんなに笑うところ初めて見たかも……。爽やかで好青年という言葉が頭に浮かぶ。部長にとっては営業職が天職と呼ぶべきだろう。
「それじゃあよろしく頼むよ」
社長と部長が固い握手をするのを見つめながら俺は先程の部長の笑顔が頭に焼き付いて離れない。いつかあの笑顔を俺だけに見せてほしい。
「お疲れさん」
本社に戻ると米原さんにそう声をかけられた。お辞儀をして昼食を取るために食堂に向かう。すると数メートル先に部長の姿があった。他の部署の人と話をしているらしい。
この食堂にはほとんどアルファしかいないのだが、時折席の端っこにオメガと思しき人が座っている。体格、雰囲気からしてアルファとは異なる。見た目でわかることも多いが、自分のように見た目ではわからないケースもある。自分を逞しい男として産んでくれた母には感謝しかない。
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