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48 波乱の夏季研修

 夏季研修の当日、駅前で集合となっていたのでその駅にある銅像の前でみんなを待つ。先についているのは責任者の百田先輩と小鳥遊部長、佐久間先輩と俺の4人だけだった。  百田先輩はうっきうきで小鳥遊部長にたくさん話しかけている。しかし、部長は軽くあしらうだけ。  そうだよね。部長、朝すごく眠そうだったから少し不機嫌。  そんな2人を佐久間先輩が、どうどうと、落ち着かせる。佐久間先輩は優しくてほんとにいい人。業務で困ってるとき、いつもサポートしてくれる。面倒見のいいお兄ちゃんみたいな存在。そして俺はそんな先輩たちを眺めてのほほんと癒されている。  ちら、と一瞬小鳥遊部長を見たら、ばちりと目が合った。その目は「早く百田の相手を代われ」といわんばかりに眉を寄せているので、小鳥遊の代わりに俺が百田部長の相手をすることになった。 「っておいー小鳥遊ーこっからがおもしろい山場なのに無視するなよー悲しいなあ」 すーっとどこかへ消えた部長を名残惜しく見ながらしょんぼりとしている百田部長に声をかける。 「百田部長。その話、俺に聞かせてくださいよ!」 すると百田部長の顔が花が咲き誇ったかのように、ぱぁぁあと輝く。この人太陽みたいに眩しい人なんだよなあ。ウルトラポジティブだし、面白いし、めっちゃ仕事できるし。 「この前、大学の同期と合コン行ってさあ。めっちゃどタイプの女の子いてさー。連絡先げとったから、今度はサシ飲みしましょーって誘ってくれて。もう超楽しみなんよ」 「へえ。百田部長のタイプってどんな人なんですか?」 ふと気になり聞いてみると、百田部長は照れた乙女のように頬を赤らめる。 「えーっと、清楚なお姉さん系がタイプ。よしよしされたいからね。黒髪ロングとか最高だね」 鼻血が出そうな勢いでグッドポーズを決めた姿は漢の中の漢だった。やっぱこの人おもしろいなーと聞いていたら、思いがけない質問をされた。 「俺だけに聞くのはフェアじゃないよ。岸本くんのタイプは? どんな人が好きなの?」 一瞬、小鳥遊部長の顔が浮かんだ。突然の質問にぎょっとして周囲をうかがう。幸いそこには部長の姿はない。佐久間先輩も目線をこちらに投げかけている。聞いているのは2人だけみたいだ。意を決して岸本は話す。 「一生懸命で、真面目で、笑顔がかわいい人がタイプです」 「へえ。しっかりしてるね。やっぱ笑顔かわいいと燃えるよな、男は」 百田部長は目の奥がめらめらと炎を灯している。佐久間先輩はくすくすとその様子を見ていた。 集合時間より30分も前にやってきてしまったからか駅前の人は少ない。米原先輩は予定があって来られなくなったと連絡が入っている。それを聞いて俺は内心ほっとしてしまった。ちょっと苦手なんだよなあの人……。独特の雰囲気というか、距離感というか。悪い人ではないんだろうけど、変わってる感じ。  全員が集合して宿舎に向かうバスに乗り込む。明日は朝食後またバスに乗って駅で解散と聞いている。 「うわっすげー」  佐久間先輩がおおーっと言葉を漏らす。あたり一面原っぱで無駄な草木は1本も生えていない。ここなら楽しくピクニックもできそうだ。宿舎に到着して集合写真を撮る。少し小高い場所に宿舎があるせいか空気や風が少しひんやりとしている。じめじめとしていないカラッとした暑さに慣れていないからかすごく過ごしやすく感じる。  夕飯の時間まで各自で活動することになった。近くの山にハイキングする班もあれば、近くの畑に行って農作物の収穫体験をする班もある。俺は夕食の準備のために駅前のスーパーで買ってきた食品をさっそく開封していた。ほかにも食事係の数人の社員とともに準備に取り掛かる。特にみんな行きたい場所はなく一緒におしゃべりしながら料理をしたかったようで食事の話題で意気投合した。 「お待たせしましたー」  宴会場となる一室に器を持っていく。みんなが料理を運ぶのを手伝ってくれたおかげで時間はかからなかった。メインの豚汁と白米、農業体験でもらったさつまいもの甘煮と豚バラ大根の煮物とキャベツの卵炒めをテーブルに並べた。みんな目をキラキラさせて喜んでくれていて嬉しい。いっぱい食べてもらえるようにおかわりの分も用意してある。 「あれ小鳥遊部長は?」 きょろきょろと辺りを見渡すと、部長の姿がないことに気づく。姿が見えなくてしょんぼりとしてしまった。まるで自分は飼い主を見失った犬のようだ。 「あー、あいつならちょっと散歩に行ってくるって。先に宴会始めることになったから岸本もほら、缶ビール選んで」 「あ、はい」 百田部長の言葉につられて缶ビールを選ぶ。  缶ビールを手に取りみんなで「カンパーイ」と口々に言う。ごくりとひと口飲んでから、ほうっとため息をつく。酒に弱い体質のせいで1日に1缶くらいしか飲めなかった。百田先輩はガンガン飲むと意気込んでいるので、ちびちびと飲む佐久間さんの隣でみんなの盛り上がりを眺める。佐久間さんもお酒が弱いらしい。色白の肌をぽーっと赤く染めている。目もふにゃりとしていて、こんな一面もあるんだと知れてなんだか嬉しかった。 「なんだー。おまえも酒が弱いのか」  意外だなぁ、と呟く佐久間先輩に軽く頷き返す。 「百田先輩は酒乱だからなぁ……かまちょされないように気をつけろよ」 「はい」  さっそく酒にのまれはじめた百田先輩が他の新入社員に絡んでいる。腹踊りをしろだとか無茶な注文をつけているのを佐久間先輩と一緒になって笑って見ていた。  ふと窓の外を見るとまんまるな月が浮かんでいた。自然と足が部屋の外に向かう。もっと近くで月を見たくて玄関で靴を履いた。一歩足を踏み出せば、むっとした夜の空気に包まれる。 「……うわ」  空気が澄んでいるのだろう。藍色の空にはまんまるな月と小さく煌めく星がまたたいている。息を吸うのも忘れて見入った。地球とか宇宙とかの次元を考えることはなかったが、今初めて俺は惑星にいるんだと思った。その中のちっぽけな1匹の人間。俺が死んだってきっと世界は1ミリたりとも変わらないし、職場だって新しい社員を立て替えればまわっていく。俺ってなんなんだろう。ふとそんな寂しさを感じて立ち尽くした。  そのときだった。悪夢が襲ってきたのは。

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