54 / 75

54 酒乱・小鳥遊

 小鳥遊は翌朝もやもやとした気分で目が覚めた。岸本が作ったベーコンエッグをつついているときも、歯磨きをしているときも、ワイシャツに袖を通しているときも昨夜の言葉が耳から離れない。岸本は小鳥遊の異変を感じ取っていないらしく、いつものように仕事に行く準備をしている。 「おーい。小鳥遊! タカナシ!」  百田の声で頭の霧が晴れる。 「すまない」 「ぼーっとするなんて珍しいな。やっぱおまえ疲れが溜まってるんじゃねえの?」 「……そうかもな」  小鳥遊が力なくそう呟くと、百田は待ってましたと言わんばかりに肩を組んできた。 「そんなときこそ、ぱーっとやって疲れなんて忘れちまえ」  ぐいっとお猪口を傾ける仕草をしてきたので小鳥遊はやれやれと眉間をさする。言い出したら止まらない百田のことだ。きっと引きずってでも飲みに連れていかれるだろう。  案の定、小鳥遊は仕事を終えると百田に肘を掴まれて行きつけだというバーに連れていかれた。水槽の中で泳ぐ熱帯魚を見つめながらグラスを合わせる。シックな大人の雰囲気漂うバーに百田が通っているなんて少し意外だった。こいつはどんちゃん騒ぎがしやすい居酒屋だけに行くものだとずっと思っていた。 「それで、悩みがあるんだろう?」  なんでもわかってますよというふうに百田がこちらを見つめてくる。その視線が鬱陶しくて手を振った。俺を頼りなさいモードをオフにしてくれ。 「おまえに話すようなものは何もない」 「おまえなぁ……同期で親友の俺に話せないことなんてあるのかよ」  ある。岸本との関係は他言できない。言ったら最後、全てが崩れてしまう。小鳥遊が築き上げた信頼と実績と、岸本が血のにじむような努力の末に残した実績と信頼を。そんなことはあってはならない。上司として、ビジネスではあるが番として決して口を滑らすようなことはあってはならないのだ。 「まーだ引きずってんのかよ。元恋人のこと」 「っそいつは関係ない」  急に振られて声が詰まった。声に動揺が走る。百田はにやにやと笑いながら顔をのぞいてくる。 「いつだっけ? 入社してわりとすぐの頃だったよなぁ。おまえに恋人ができたのって」  男と男の恋愛を百田は特に突っ込むようなやつではない。だから当時は様子が変わったのは恋人ができたせいだなと詰め寄ってきた百田に渋々白状してしまったのだ。オメガの恋人ができたことを。 「振られてすぐはすげえ落ち込んでたもんな、おまえ。仕事もミスの連発でさぁ」  思い出したくもない過去のことを突かれて頭が痛む。百田は琥珀色の液体を口に流し込みながら呟いた。 「似てるんだよなぁ。あの頃のおまえと最近のおまえ。なんつうか、プライベートで何かあったんだなって見えるっていうか」  よく見ているなと小鳥遊は思う。まさかこいつがそこまで観察しているようなやつだとは思いもしていなかった。 「無理に話さなくてもいいけどさ、またおまえにミスされたら今度はクビになるかもしれないだろ。それは同期としては困るし悲しいわけさ」  カルーアミルクのおかわりを注文して百田がこちらを頬杖をついて振り向く。  ああ、やっぱりおまえモテるほうのアルファだよ。  その仕草は自然でにかっと笑う顔が人を惹きつける。店内にいた全員が百田に視線を送っているのがわかる。こいつはアルファでもベータでもオメガでも関係なく人を惹き寄せる何かを持っている。そしてそれを自覚してうまく使いこなしている。俺にはそんな器用なことはできない。才能だと思う。 「まあ無理せずゆっくり解決しろよ。仕事にプライベートは持ち込むなっておまえの口癖だろ」 「わかってる」 小鳥遊のやや苛立ちのつのった声にも、百田は飄々としている。 「今日は思う存分飲め。ここのカクテルは俺の知ってる中じゃ1番だからな」  そう言って勝手に小鳥遊の空になったグラスにマスターを呼びつけ青色の液体を注ぎ込む。それはレモンを絞ると紫色に変わった。青と紫の混ざり合う色がなんともいえない煌めきを放つ。さらにその上から銀箔が舞う。グラスの中できらきらと照らし合う銀箔に少なからず心が動いていた。  たまには深酒も必要か。  家ではたいてい缶ビール1本程度しか飲まない小鳥遊だが今日くらいは1日羽目を外したかった。  明日は休みだしな……酔い潰れても問題ないだろう。  岸本には呑んで帰ると伝えてあるから大丈夫だろう。そう思ってグラスの中の液体を全て飲み干した。がぶがぶと酒を煽り、百田と下世話な話をして盛り上がり、熱はぐんぐん上がっていく。これが社会人のやけ酒というものだ。 「おまえ飲み過ぎだろ。俺が介抱する側になるなんて……ほらしっかり歩け。今タクシーに乗せてやるから」  頭が鈍く痛む。視界がぐらぐらと揺れて足元がおぼつかない。目も半開きだ。さすがに飲み過ぎてしまったか。こんなに飲んだのは初めてで、悪酔いしているという自覚はなかった。 「住所は自分で言えよ。じゃあな」  バタン、とタクシーのドアが閉められて百田と別れた。朧げな意識の中で運転手に住所を伝える。間違いなく伝えられただろうか。どのくらい車に揺られていたのだろうか。気づけば家の前に車が停まっていた。料金を支払いふらふらとしながらオートロックを開ける。エレベーターに乗っている間もズキズキと頭が痛んだ。  早くベッドに突っ伏したい。シャワーは朝浴びればいいか……。水が飲みたい……。

ともだちにシェアしよう!