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56 部長、はっきりしてくださいよ(side岸本)
部長にキスされた。あのときの記憶が、唇のふにふにした感触や温かさが頭から離れない。
昨夜、ずいぶんと酔っ払って帰ってきた部長に壁際に追い詰められた。もしかしたら、と思っていたところで軽いキスが降ってきた。純粋に嬉しいと思った。
いつもはつり上がっている眉毛が平行になっていて、目元はほんのりと色づいている。酒のせいでもなんでもよかった。部長からのキス。その事実に胸が震えるようだった。いつもは俺からしかしないから。とびきりのご褒美だと思った。お留守番を頑張っていた俺へのご褒美。
ほんとうはもっと深いキスも期待していたのだけれど、眠気に勝てなかった部長は俺の腕の中で寝息を立ててしまった。
スーツからスウェットに着替えさせるとき一瞬だが不埒な考えも浮かんだのだが、そういうのはもうやめておこうと思ってベッドに寝かせた。部長の気持ちを尊重してからそういうことはしたいと思った。
あー。こういうのを幸せっていうんだろうか。
隣で眠る部長の背中にひっついてみる。起きるかなと不安になったが、ぐっすりと寝入っているのか反応はない。ここぞとばかりに背中から柔らかく抱きしめた。広い肩に鍛えられた背中の筋肉が頬に触れて熱を生む。
もうだめかも。
どくどくと鳴る自分の心臓の音がうるさい。きっと今、俺は顔を真っ赤にさせて満足げな顔をしているんだろう。この気持ちに蓋を被せることはできない。初めて会ったときからずっと気になっていた。堅物なこの人の顔が歪むところを見たくてあの手この手で脅迫した。困る顔が見たかった。そういう顔を見て俺は興奮した。体だけじゃなく心までも奪われてしまった。
この想いは果たして部長に届くのだろうか。それがいちばん怖い。届かなかったら家を追い出されてしまうだろう。番を解消されてしまうかもしれない。そう思うとこの気持ちは決して伝えてはいけないんだと思った。このままこの人のそばにいたいなら、黙っていたほうが身のためだと。知らんぷりしていたほうが、互いのためだと。
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