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58 この出逢いを運命と呼ぶのなら
「社長……これは」
小柄なほうの男も苦しそうに眉をひそめている。その男の姿を目におさめると小鳥遊の胸の鼓動はぴたりとおさまった。動悸が嘘のように消えていく。いったい、なぜ。どうして?
「すまないが君、その抑制剤をうちのオメガにも与えてくれないか?」
副作用は理解している、と言って社長と思しき男が小鳥遊に声をかける。予備の抑制剤を持ち男のところに歩いていく。
「はっ……うっ……」
膝から崩れ落ちている男の口元を掴んだ。そのまま抑制剤と水を流し込む。こくん、と小さな喉仏が跳ねた。
「……まずいな」
社長と思しき男が苦しげに笑う。見ると苦笑しながら岸本を見つめていた。
「まさかこんなところで出会うなんてな」
大きくため息をつくと椅子に深く座り込んだ。少し落ち着いてきた様子の岸本を抱えて小鳥遊は椅子に座らせてやる。デスクに向かい合うようにして席についた。社長と思しき男の前には小鳥遊が、小柄な男性の前には岸本が座る。
両者ともに重い沈黙が流れた。それをかき消したのは男の一言だった。
「とりあえず先に仕事のほうを済ませてしまおう」
整えられた黒髪の毛先を押さえながら男が言う。隣に座る小柄な男性がにこりと人のいい笑顔を見せた。
「では社長、まずは名刺を」
「ああ、そうだったな」
そう言って男は胸ポケットから名刺の入ったケースを取り出す。小鳥遊と岸本もそれにならうように立ち上がった。差し出してきた名刺を見つめる。
「リブハウス社長の天海恭平 です。どうぞよろしく」
続いて小柄な方の男性が細い腕で名刺を差し出してきた。
「リブハウス社長秘書を務めております。綿貫楓 と申します。新米社長なので勝手に疎く……たびたび私の指導が入ることもあるかと思いますが、どうぞ広いお心で無視してください」
小鳥遊と岸本も2人にならって名刺を交換した。
こいつが若社長と呼ばれている男か。
小鳥遊は目の前に鎮座する男の相貌をまじまじと観察する。歳は30代といったところだろうか。同族の匂いには慣れているが、この男の匂いは特殊だった。アルファ特有の人を見下すような匂いを放っていない。いたって温厚そうに見える。
見た目は少し厳ついかもしれないが、心根は優しそうだ。意外性のあるアルファかもしれない。心の余裕と懐の余裕が目に見えて明らかだ。
そしてもう1人。社長秘書と呼ばれる彼は先程の様子から見てオメガに違いなかった。オメガが社長秘書として働くことができる会社はそうそうないだろう。
若社長が改革を進めているとは聞いていたがオメガを側に置くとは。この社長はただものではないらしい。そしてその秘書を勤める若者もただものではない。2人のビジネススキルの高さが予想される。
「では、かねてよりお約束していた両社の目指す住まいについての意見交換を始めさせていただきたいと思います」
綿貫が司会を務めるらしい。それに応じて小鳥遊は資料を見つめた。綺麗に整理された資料を端から端まで黙読する。
「まずは本来ここに出席予定だった横溝の不在を謝罪させてください。急な予定といえども仕事を部下に任せることとなり大変申し訳ありませんでした。本日はスバルホームズの営業部部長である小鳥遊が担当いたします。よろしくお願いいたします」
小鳥遊が横溝の不在を謝罪し、深深とお辞儀をすると、天海がいえいえと手を振る。目元に薄い皺ができている。笑い皺だろうか。気を悪くしているような様子はない。
「そちらの敏腕営業部長の噂はかねがね……。ぜひ1度お会いしたかったんです。それに今日はいい収穫もありましたから」
天海はそう言ってちらりと岸本を見た。天海の目の奥が熱を帯びているのが見えて小鳥遊は無意識に体が強ばる。
岸本は抑制剤の副作用のせいかぼんやりとしていて天海の視線に気づいた様子はない。しかし天海の視線は、おそらく運命の番である岸本を見つけて喜びに満ちているものらしかった。それがなぜか小鳥遊には無性にもやもやとした。
「その話は後ほどにして、まずは未来の住まいについて討論しましょう」
たっぷり1時間かけて2社の未来を話し終えると、小鳥遊はどっと疲れを感じていた。目の前にいる天海の熱弁を大したものだと聞きながら、彼が極めて優秀なアルファだということが理解できた。
容姿端麗、頭脳明晰、コミュニケーション能力が高く人と距離を縮めるのが上手い。さすが大改革を成し遂げた有能な若社長という印象を受けた。
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