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「部長は俺のことなんだと思ってるんですか? からかって楽しんでるんですか?」  切羽詰まった顔で俺に歩み寄る岸本を視線から外す。岸本がゆっくりと伸ばしてきた手を俺は勢いよく払った。  岸本は目を見開いて動かなくなる。 「前からお前のことが邪魔だと思っていた」  口に出すたびに、胸が締め付けられる。まだ足りない。もっと強い言葉を。そう思っても言葉が出てこない。 「お互い運命の番に出会えたんだ。そっちを試す方がメリットは大きいだろう」  岸本は俯いていた顔を上げた。初めて見る本気で怒った顔をしている。 「たかがビジネスの番じゃ物足りないってことですか?」 「ああ」  俺の乾いた答えに岸本は何も言わなかった。ただ、目を吊り上げて俺を睨む。 「……っ」  何か言いたいのに何も言えないのだろう。唇がわなわなと震えている。俺は今すぐにでもその唇を奪いたかった。でも、それはできない。まだ23歳の岸本には未知なる世界が広がっている。天海が本当に運命の番ならば、俺といるよりずっと良い人生を歩めるはずだ。ビジネスの番なんてものよりずっと豊かなものを岸本は得る直前にいる。その邪魔だけはしたくなかった。 「出て行け」  岸本の顔を見るのが辛くて床を見下ろしていると、ぽたぽたとフローリングに雫がこぼれるのが見えた。岸本は声を押し殺して泣いていた。俺が泣かせた。その事実が痛いほど胸に突き刺さる。  そこからはよく覚えていない。岸本は何も言わずに、自分の荷物をキャリーケースに詰め出した。入りきらないものは俺の家に置いていくようだった。ドアが勢いよく閉まった後で、俺はようやく椅子に座れた。  テーブルの上には岸本が作った夕食と、岸本の香りだけが残っていた。

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