4 / 11

4 領主様との対面

 想いを寄せる人に触れられて乱れたことは、シュエシにとって残酷な記憶となった。囁かれた言葉を思い出すたびにヴァイルに呆れられたのだと痛感させられ、シュエシは一睡もできなかった。  明け方、もう一度浴室で湯に浸した布で体を丁寧に拭い、ヴァイルが起こしに来る前になんとかドレスに着替えた。選んだのは露出の少ないふわっとしたもので、一見しただけではシュエシが男だとは気づかないだろう。  それも無駄なことかもしれなかった。昨夜、ヴァイルは寝衣を持ち上げ熱く滾っている下半身を目にしている。それを主人である領主様に伝えていれば、すでにシュエシが男だということは露呈しているはずだった。  もし男だと知られていたら、前に考えたとおり「東の国の者は高値で売れるので売ってほしい」と訴えるしかない。もし男だとわかったうえで花嫁としての行為を求められれば、受け入れるしかない。  たとえ男であっても、懲罰としてそういった行為をされることがあるということは知っている。それにこの土地でも東の国の者は珍しいから、興味があるという意味で脱げと言われるかもしれない。どんな理由でも、領主様に命じられれば拒むことはできなかった。 (もう、どうでもいいんだ)  シュエシは諦めていた。想いを寄せていたヴァイルに「とんだ淫乱だ」と言われたことがひどく堪えた。  それなのに、顔や指の動きを思い出すだけでいまでも体が熱くなる。自分はこんなにも厭らしい体だったのかと思い、ヴァイルとは顔を会わせられないと痛感した。  それはヴァイルも同じだったのか、随分と早く起きたのに、居間にあるテーブルには「朝食後に旦那様がお見えになります」と書かれた紙が置かれていた。テーブルには温かな食事がすでに用意されていて、まるでシュエシが早くに起きることを知っていたかのようだった。  シュエシは、ひとり静かに食事を始めた。しかし半分も食べないうちに手が止まり、屋敷に来て初めて食事を残してしまった。  それからはいつ領主様がやって来るかばかりが気になって、ただじっと椅子に座っていることしかできなかった。  冷めた朝食の残りを見つめながら、領主様はどんな人だろうかと考える。  十年近くこの土地に住んでいれば、シュエシも領主様の噂はいろいろと耳にしていた。不男だとか眉目秀麗な貴族だとか、中には次々と若い娘を求めることから娘を食らう化け物ではないかといったものまであった。  もし不男だったとしても、シュエシに思うところはない。もし美しい貴族だったら、と考えたところで、すぐにヴァイルの顔が思い浮かんだ。  きっと眉目秀麗な貴族というのは彼のような人を指す言葉に違いない。最初に執事だと言われなかったら、彼こそが領主様だと勘違いしたほどだ。  それほどヴァイルは美しく優雅で、そんな彼が仕える領主様がどんな人なのかと考えていたとき、カチャリと扉が開く音がした。  ついに領主様が現れたのだと思ったシュエシは、慌てて椅子から下りて腰をかがめ頭を下げた。これは屋敷に送り出される前に育ての親から教えられた貴族への挨拶の仕方で、領主様から声をかけられるまで決して頭を上げてはいけないとも言われた。  シュエシは、ただ教えられたとおりひたすら頭を下げ続けた。カチャリという音で扉が閉められたのだと思い、布が擦れるような音で領主様が近づいているのだと悟る。その足音が止まったことで、領主様が目の前に来たことがわかった。  じっと声をかけられるのを待った。しかし、いくら待っても領主様の声は聞こえない。さすがにおかしいとシュエシが思い始めたとき、ふと甘い香りが漂っていることに気がついた。  それはヴァイルが毎晩髪の手入れに使っていた香油に似た香りで、それよりももっと濃密な気もする。遠い昔、両親と旅をしていたときに初めて目にした大輪の薔薇の香りにも似ていて、どうしてそんな匂いがするのだろうと香りに意識が向いたときだった。 「今朝は随分と早起きだったようですね、奥様」 「え……?」  聞き覚えのある声に驚いて顔を上げると、そこには執事であるはずの美しいヴァイルが立っていた。 ・ ・ ・  目の前のソファに座っているのは、たしかに昨夜まで執事としてシュエシの世話をしていたヴァイルだった。けれど執事のときの派手さのない服と違い、見るからに貴族らしい華やかな飾りのついた服を着ている。いつも結わえていた銀色の髪は長く伸ばされたままで、美しく白い指にはいくつもの指輪が見えた。  目の前にいるのは、どこから見ても優美な貴族だった。柔らかい色合いだった黄金色(こがねいろ)の瞳は強く光っていて、それさえもヴァイルの貴族らしさを際立たせるように見えた。  毎日のように顔を合わせて想いを寄せていた相手なのに、表情も雰囲気も別人のようなヴァイルの姿にシュエシは困惑した。  それでもシュエシから声をかけることはできず、ヴァイルが何か話してくれることをひたすら待つ。しかし声をかけられることはなく、優雅にソファに座り、肘置きについた手の甲に顎を載せ、観察するように立ち尽くすシュエシを眺めるだけだった。  そんな時間がしばらく続き、ようやくヴァイルが口を開いた。 「さて、まずは弁明でも聞かせてもらいましょうか」 「……べん、めい?」 「わたしは若い娘の花嫁を所望したはずですが、こうして来たのは若い男ですから、その理由を聞くのは当然だと思いますが?」 「……あの、……」  ヴァイルの声に、執事のときのような柔らかなものはなかった。丁寧な言葉遣いは同じなのに、硬質な声にぶるりと体が震える。  それでも何か言わなければと唇に力を入れるのに、どうしてか喉が詰まったように声を出すこともできない。 「まぁ、いいでしょう。どうせ娘を差し出すのが嫌だったとか、そういった理由でしょうしね」 「……」 「しかし、まさか異国の少年を替え玉にするとは思いませんでしたよ。せめて出戻りの娘くらいなら、まだ見逃してもやれたでしょうに」  その言葉にビクッと肩が震えた。  ヴァイルは……いや、領主様は、自分が身代わりの花嫁になったことを怒っている。娘を出せと言ったのに、男を寄越したのを不快に思っている――ため息をつきながらの言葉はひどく冷たく、それが心底怒っているのだと証明しているようだった。  領主様を怒らせてしまったことに、シュエシには恐怖を感じた。 (このままでは土地の人たちが、育ててくれた人が大変な目にあってしまう……!)  そう思ったら、先ほどまで動かなかった口から勢いよく言葉が出てきた。 「僕はどうなってもかまいません! あの、東の国の者は、高値で売れると聞きました。だから、僕を売ってください……!」 「売って、どうしようと言うのです?」 「……売って、お金を……」 「このとおり、わたしはすでに余るほどの金銭を持っています。いまさら異国の少年ひとりを売って得られるような、微々たる金銭に魅力は感じませんよ」 「…………でも、ほかには……」  ほかにシュエシに差し出せるものは何もなかった。売って金にしても仕方がないと言われたら、代わりにできることは何もない。それでも何かしなければ皆が大変な目にあうと思い、シュエシは必死に考えた。  体の前で両手をギュッと握りしめ、領主様に喜んでもらえる金銭に代わるものはないだろうか考えを巡らせる。しかし、シュエシの唯一の価値といえば東の国の者だということだけで、それ以外に役に立ちそうなものは何もなかった。  それでも何かしなければ、皆がひどい目にあわないように何とかしなければ……。そう必死に考えていると、どこからともなく甘い薔薇の香りがしてきた。惹かれるようにおそるおそる顔を上げると、黄金色(こがねいろ)の瞳が笑うようにシュエシを見ていた。 「ほかにもあるでしょう? あなたが差し出せるものが」 「ほかに……?」  そう返事をすると、ヴァイルの瞳が一瞬、赤く変わったように見えた。 「そう、おまえ自身だよ」  そう言って笑う姿は執事のときより妖しく、圧倒的な美しさと威厳を漂わせるものだった。  シュエシは、ただ呆けたように見ることしかできなかった。ぼんやりとした目に、ヴァイルの人差し指が自分に向けられたのが見えた。その指先がクイッと動くと同時に、どうしてかシュエシの体は勝手に領主様のほうへと動いていた。  慌てて踏みとどまろうとしたものの、両足ともシュエシの意志に反して止まろうとはしない。そのまま足は動き続け、ヴァイルのすぐ目の前で床にしゃがみ込んでしまった。このとき、シュエシはようやく自分の体がおかしいことに気がついた。 「あぁ、いい香りだ」  鼻先が触れそうなくらい近づいたヴァイルに、ハッとした。慌てて離れようとするものの体は動かず、今度は耳たぶをカリッと噛まれてビクッと肩が跳ねた。同時に昨夜のことを思い出して、顔が真っ赤になってしまった。  これ以上怒らせないためにも早く離れなければと思っているのに、シュエシの体はまったく動こうとしない。さらに首すじに生温かいものが触れ、今度は上半身すべてがビクッと震えた。  それがおかしいのか、クスクスと小さな笑い声がすぐ近くで聞こえる。その声は昨日までの執事のときと同じ雰囲気で、わずかにシュエシの気が緩んだ次の瞬間、生温かいものが触れていた場所に激痛が走った。 「ひぃ……っ! いたっ、や、い……っ!」  何か鋭いものを突き刺されたような痛みに、一瞬意識が飛んだ。直後、そこが発火したかのように熱くなり、同時に心臓のようにドクドクと脈を打ち始める。次第に頭がぼうっとしてきて、痛みと眩暈に耐えられず目を閉じた。気がつけば手足が痺れたようにジンジンしていて、ますます頭が霞みがかったようになっていく。  その間も、首すじに鋭い何かが刺さったままなのははっきりとわかった。それが何なのか、一体何が起きているのかわからないことが、シュエシにはたまらなく恐ろしかった。  そんな果てしなく続く痛みの中で、奇妙な感覚がした。ギリ、と鋭い痛みが走ると、ズク、と疼くような気がする。恐怖で震えるくらい痛いのに、その奥にジリジリとした違うものを感じる。それが何か気を取られたとき、鋭いものがグッと深く突き刺さった。仰け反るような痛みとともに、どうしてか背筋に甘い痺れが走る。 「ひぁ……っ」  思わず漏れたシュエシの声は、悲鳴ではなく嬌声だった。一度気持ちよさを感じると、激痛なのか快感なのかわからなくなった。  たしかに首すじには激痛を感じているはずなのに、それが頭にたどり着く前に快感にすり替わってしまう。気がつけばズクズクと燻るような淫らな熱が腰の奥深くに生まれ、それを放ってしまいたい衝動に駆られた。  シュエシの手は、小さく震えながらもヴァイルの服を必死に握りしめていた。それどころか直接的な快感がほしいあまり、無意識に下半身を目の前の足に擦りつけていた。それでも何も与えられないことがつらくて、閉じていた目をそっと開く。  最初に視界に映ったのは、銀色のものだった。 (髪、の毛……?)  自分の顔のすぐ近くに髪の毛がある。耳たぶにかかる吐息や首すじに触れているものが何か、シュエシははっきりと悟った。 (口が、首すじに……?)  そう思った途端に、ゾクリとしたものがシュエシの体を這い上がった。激痛だったものはすっかり消え、あっという間にすべてが快感に置き換えられていく。想いを寄せた相手が首すじに口づけているという状況に興奮し、吐精前のようなどうしようもない感覚がせり上がってくるのを感じた。 「ぁ、ぁ……ぁあ……ん……」  遠くで自分の厭らしい声が聞こえる。直後、下半身が濡れた気がした。 「美味だな」  艶やかな声がする。しかしはっきりと聞き取ることはできず、シュエシはそのままゆっくりと意識を手放した。

ともだちにシェアしよう!