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7 真相

 シュエシは、顔に当たる日差しが眩しくて目が覚めた。窓のほうを見るとわずかにカーテンが開いていて、そこから朝日が漏れているようだった。 「……朝?」  たしか目が覚めたのは朝だったはずで、どうしてまた朝になっているのだろうかと不思議に思う。そのままぼんやりと窓のほうを見ていたら、隣からクスクスと笑う声が聞こえてビクッとした。  反対側に視線を向けると、寝衣を身につけて大きな枕にもたれながら座っているヴァイルの姿がある。初めて見る寝衣姿はとても綺麗で、シュエシは一瞬にして目を奪われた。 「……領主、様」 「その呼び方は好かんと言ったはずだが?」 「……ヴァイル様、あの、どうして……」 「どうして隣にいるか、か? それはおまえがわたしの花嫁だからだろう?」 「はな、よめ……」  そう言われて、シュエシはようやく淫らに交わったことを思い出した。何度も後ろにヴァイルの楔を受け入れ、精を注ぎ込まれた。何度も気が遠くなり、自分がどのくらい果ててしまったのかもわからない。そのくらい淫らで厭らしい時間を過ごした。  濃厚すぎる行為を思い出すだけで、シュエシの肌は真っ赤に染まった。あまりの恥ずかしさから慌てて掛布に顔を埋めようとしたが、それより先にヴァイルの指に顎を掴まれ逃げ場を失ってしまった。 「東の国の者の血は美味だと有名だが、おまえの血はとくに極上だな」 「血が、有名……?」 「西の国にいるわたしのような者の間では、有名な話だぞ。だから東の国の者は高値で売れる。わたしたちは人よりも多くの財産を持ち、常に極上のものを求めているからな」 「そう、なんですか……」 「過去に一度、東の国から来た母の愛人を盗み食いしたことがあったが、あの女よりもおまえのほうが随分と美味だ」 「……」  うっとりした黄金色(こがねいろ)の瞳に見つめられるのは嬉しかったが、ヴァイルの話はシュエシにとってあまり気持ちのいいものではなかった。口では花嫁と言っているが、内容はただの食事のようにしか聞こえないのだから当然だろう。  想いを寄せる相手にそう思われるのは、やはりつらい。シュエシにとって、ヴァイルが人か化け物かはどうでもいいことだった。ただヴァイルが好きで、だからこそ自分がただの食事に見られるのがつらかった。 「最初に少女の格好をしたおまえを見たときは、なんの冗談かと思ったがな。男の匂いがしたから、その場で殺してやろうかと思ったくらいだ。だが久しぶりの東の国の者だ、もしやと思って生かしておいたが正解だった」 「……あの、どうして執事に……?」 「最初に(たばか)ったのはおまえのほうだろう? ならば、わたしもその余興に乗るかと執事の真似事をしたまでだ。それでまさか好かれてしまうとは思わなかったがな」  そう言ってクスクスと笑う声は優しいものだったが、きっとヴァイルに想いを寄せていることに気づいていたのだろう。だからあんな悪戯を仕掛けてきたに違いないと思うと、胸がツキンと痛くなる。 (花嫁と言っても、僕らの言う花嫁とは違うのかもしれない……) 「そう拗ねるな。おまえをからかっていたのは途中までだ。おまえはこれまでの輩とは違っていたから、興味を引かれたのだ」 「違う……?」 「これまで屋敷に来た娘たちは、わたしの姿を見た途端に気に入られようと媚びへつらう者ばかりだった。厭らしい笑顔を浮かべ、勝手に部屋に入ってきては股を開く者までいたくらいだ。歪んでドス黒く濁った眼差しを向けながら、わたしの愛が欲しいと口にする。それでいて勝手に屋敷のものをくすね、売り払おうとする。あれだけの闇を撒き散らしておきながら、手癖の悪さが露呈していないと思っていたのだから滑稽でならん」  ヴァイルの目がわずかに細められ、口元にクッと笑みが浮かぶ。 「はじめは(あや)めようとまでは思っていなかったんだがな。段々と不快になって、食い尽くすことにした。絶望と恐怖にまみれた血は美味くもなんともないが、血がなければ我らは生きることができん。我ながら、よくもまぁあれほど不味いものを食い続けたものだと感心してしまう」  美しい眉がわずかに寄せられ、笑んだ唇が不快そうに歪んだ。それでも、ヴァイルの美しさが損なわれることはなかった。 「しかし、おまえはいつまで経ってもそうした行動を取ろうとしなかった。それどころか、必死にわたしへの想いを隠そうとしただろう? それが段々と可愛らしく思えてな。正体を明かし放置してみても心を変えず、より一層純粋なまでにわたしを求めた。それほど強く純粋な欲はますます血を芳醇にし、わたしを永遠に満足させるだろう。だからこそ花嫁に相応しいと考えたのだが、わたしの花嫁というのは気に入らないか?」 「そんなことは、ないです、けど……」 「なんだ?」  問われても、食事と思われるのがつらいとは言えない。それに、人とは違うヴァイルにとってそれこそが重要なのかもしれないと考えると、嫌だと言うことはできない。そもそも人とは違う花嫁なのだろうから……、そこまで考えたシュエシは、あることに気がついた。 「……僕は男だから、花嫁の役目というのは、……その、」 「男であることが気になるか? それとも、わたしの子を孕みたいとでも思ったのか?」  ヴァイルの言葉に、今度こそ全身が真っ赤になった。  花嫁と言われて思い浮かんだのは、子を生むことだった。人同士とは違うのかもしれないが、もし子を生む役目も花嫁に必要だったら今度こそ役に立たないと思ったのだ。 (そんなことを思ってしまったなんて、恥ずかしい……!)  男の自分がそんなことを思うなんてと、シュエシは羞恥心でいっぱいになった。自分はそんなことを望んでいたのかと、思わず掛布の中で自分の薄い腹に触れていた。  昨夜、それこそ女性なら孕みそうなくらいヴァイルに精を注がれた。思い出すだけでジワジワと腹の奥が熱くなってくる。それはまるでヴァイルの子を孕みたいと体が言っているようで、そんなことを思ってしまう自分に戸惑った。  同時になんと厭らしいことを考えてしまったのかと、ますます恥ずかしくなった。せめて真っ赤な顔だけでも隠したいと思っているのに、相変わらずシュエシの顎はヴァイルに捕らわれたままで隠すこともできない。 「くっくっくっ、おまえには花嫁の才能があるな。あぁ、怒るな。そのときがきたら、子はどうにかしてやる。孕みたいというのであれば叶えてもやろう。しかし、わたしの求める花嫁の役目はそれではない。昨夜のように熱く交わり、甘く熟成したおまえの血でわたしを満足させることだ」 「血、ですか……?」 「そうだ。わたしは少々好みにうるさくてな。東の国の者でもこれほど満足できる者は珍しい。それに、おまえの黒髪はなんとも言えず目を惹く……。これでは満足できないか?」 「……そういう、わけじゃ……」 「では、正式に婚姻の儀式でも執り行うか。あぁ、なんといったか……。そう、人は結婚と呼んでいたか」 「……!」  クスクスと笑うヴァイルの美しい顔に、「結婚」という言葉に、シュエシは胸が震えるような歓喜に包まれた。  花嫁が食事のような存在だとしても、もはや気にならなかった。ヴァイルの話で、極上の血こそがもっとも重要だということもなんとなく理解できた。ヴァイルにとっての極上の血が自分しかいないのだということもわかった。 (ヴァイル様が、僕を求めている……!)  シュエシの心は、自分という存在を求めてくれるヴァイルへの想いでいっぱいになった。誰かに求められるのは両親を失ってから初めてのことで、ジワジワとした喜びに満たされていく。  それに、シュエシにとって結婚は特別強く思う行為だった。母が人を(あや)めてまでも父と添い遂げようとしたのは、結婚という絆があったからだと思っていたからだ。その結婚を、ヴァイルは自分としようとしてくれている――それだけでシュエシには十分だった。 (ヴァイル様が化け物であったとしても、かまわない。この方のそばに、ずっといたい)  それはあまりに強烈な感情で、気がつけばシュエシの口は勝手に言葉を紡いでいた。 「僕は、……あなたのそばにいられるなら、それだけでいいです。僕の血を、ヴァイル様にもらってほしい、です」 「いい返事だ。では我が花嫁に、目覚めの口づけを」  美しい顔が近づいてきて、冷たい唇がそっと唇に触れた。それだけでシュエシの体はジンと熱くなり、何度も楔を咥えた場所が厭らしくひくつくのを感じた。 ・ ・ ・  ヴァイルの屋敷にはほかに人は住んでいないらしく、屋敷の手入れやヴァイルの世話などは影のような奇妙な者たちが行なっていた。彼らは見た目どおり“影”と呼ばれる存在で、ヴァイルのような存在に仕える使用人のようなものだという。もちろん普通の使用人もいるそうだが、この屋敷に住み始めてからは影だけを使っているとヴァイルが説明してくれた。  影はヴァイルが命じれば人のような姿にもなれるが、土地の者が来たときにしか人の姿を取らない。はじめはそんな奇妙な影の姿に何度も驚いていたシュエシだったが、いまではぼんやりと人の輪郭のようなものを認識できるまでになった。  何人かいる影の中で一番に判別できるようになったのは、シュエシと同じ濃い髪の色をした男性だった。気のせいか、顔もなんとなく東の国の人っぽく感じる。  そうした奇妙な影たちのいる生活にも慣れ、ヴァイルと生活するようになってからひと月ほどが経った。  その日の夜も、シュエシはヴァイルの美しい手で髪の手入れを施されていた。  ヴァイルが領主様だとわかった直後は、さすがに髪の手入れは遠慮しようとシュエシも思っていた。だがシュエシの紅を載せたような黒髪はヴァイルをひどく惹きつけるようで、結局以前と同じように手入れをされることになってしまった。そうして最後には、執事のときと同じように、半月のような形をした櫛で丁寧に整えてもらう。  その櫛を鏡越しになんとなく見ていたときだった。 「……あ、れ?」  不意に、ヴァイルの手と母の手が重なるような錯覚を覚えた。  記憶の中に残る母は豊かな黒髪をしていた。ところが洗い髪のときは紅の艶が現れて、その美しい髪を櫛で梳いている母の姿がシュエシはとても好きだった。そのとき母の手に握られていた櫛が、いまヴァイルの手にある櫛に似ているような気がしたのだ。 「あの、ヴァイル様、その櫛、」 「これか? 黒髪にはこの櫛が一番だと聞いてな。おまえの母も使っていたのだろう?」 「……え?」 「これはおまえの母のものだろう。土地の者が買ってくれと持ってきたからな」 「…………え?」 「おまえの両親の持ち物は、土地の者たちが売り捌いていたのだよ。だから手元にはほとんど残っていなかっただろう?」  ヴァイルの言うとおり、シュエシの手元には両親の形見のようなものは何ひとつなかった。もともと旅の資金にと持ち物を売っていたから、そのせいで何もなかったのだと思っていた。ところが、そうではなかったのだ。 「おまえは土地の者たちに恩を感じているようだが、そんな必要はない。東の国の品は西の国では我ら以外にも高値で売れる。土地の者たちはおまえの両親が残した品を売って金銭に替え、自分たちの懐を潤していた。最後には、おまえ自身まで寄越してきたというわけだ。前の領主は東の国のものなら何でも好んでいたようだから、たとえ男だと露呈しても問題ないと踏んだのだろう」 「そんな……」 「人のほうこそ化け物だと言っただろう? 血の繋がらない、土地の者でもないおまえを善意で養うほどあの者たちは善人ではない。あぁ、わたしの家族を手にかけたのも土地の者たちだ。この土地に人が住むよりずっと以前から森の奥にただ住んでいたというだけなのに、言うことを聞かないことが気に入らなかったらしい。そのうえ、あまりに美しい者は化け物に違いないと言いがかりをつけて皆殺しにしたのだから、あの者たちのほうこそ化け物だと思うがな」 「そんな、ことを……」 「最初は母を手篭めにしようとして抵抗され、土地の男がひとり死んだ。それに逆上して母を殺し、一緒にいた幼い弟を殺した。まだ少女だった妹は男たちに犯されて殺された。異変を感じて屋敷に戻った父も殺された。人というのは我らよりも、よほど化け物なのだよ」  シュエシは言葉が出なかった。旅の途中でいろいろなひどい話を見聞きしたけれど、ここまでひどいものは聞いたことがなかった。そんなひどい目にあったというのに、それを話すヴァイルの表情は冷静なままで、それがシュエシにはたまらなくつらかった。 「母を手篭めにしようとしたのは、この屋敷の主人だった領主だ。刃向かわれて逆上し、母と弟に妹、それに父を殺せと命じたのも領主だ。だからわたしが領主の首をはね、燃えた屋敷の代わりにここに住んでいるだけのこと。西の国にいたせいで、首をはねるまで多少時間がかかってしまったがな」  淡々と話すヴァイルの様子は、あまりにも悲しかった。家族に起きた大きな出来事のはずなのに、表情も声色もまったく変わらない姿にシュエシの胸が痛む。 「土地の者たちは、領主が心底恐ろしいのだろう。いまだに前の領主がいて、娘を要求し続けていると思って怯えているくらいだ」  鏡に映るヴァイルの黄金色(こがねいろ)の目が、わずかに歪んだ。 「前の領主は一年に何人もの若い娘を求めては犯し、飽きれば売り払い、気に入らなければ散々いたぶって殺していたらしいがな。そんなことを喚き散らしながらの最期は、なんとも醜いものだった。それに比べればわたしは何倍も優しいというのに、人という生き物はさっぱり理解できん」  蔑むような黄金色(こがねいろ)の目から、そっと視線を外す。そうして旅の間に見聞きしたことを思い出した。  旅をしているときに見た人の恐ろしさは、シュエシの心にいまでもはっかりと残っている。笑顔で話しかけてくれる人が横を向いたときも笑顔とは限らないと知ったのも、旅の途中だった。 (……だからだったんだろうか)  土地の人たちも育ての親だった人も、シュエシにとっては優しい人たちだった。しかし彼らの笑顔が仮面のように見えることがあり、恐ろしいと感じることがあった。きっと自分が東の国の者だから、そう感じるのだとずっと思っていた。  だが、恐ろしく見えたのはシュエシの勘違いではなかったのだ。彼らは両親が残した東の国の品が必要で、シュエシが高値で売れるとわかっていたから優しかったのだ。  しかし執事だったヴァイルには、一度もそんな違和感を感じたことはなかった。いつも見惚れるほど美しい笑顔を見せ、仮面のような得体の知れない顔はしなかった。 (そうか、だから僕は……)  そんなヴァイルだったから、より一層惹かれたに違いない――シュエシはそう思った。  ヴァイルの過去に触れ、気持ちに触れたいま、シュエシはますますヴァイルのそばにいたいと思っていた。こんなに美しくて悲しい人を一人きりになんてできないし、したくはない。 「僕はずっと、この先もずっと、あなたのそばにいます。ずっと、そばにいさせてください」 「花嫁なのだから当然だろう。永遠に、たとえ死んでも、おまえはずっとわたしの花嫁だ」 「……はい」  椅子から立ち上がったシュエシは、ヴァイルの肩に両手を載せてつま先立ちになった。そのまま顔を近づけ、綺麗な唇にそっと口づける。それは初めてシュエシからした口づけだったが、ヴァイルの唇はとても冷たいのに、ひどく温かくもあった。

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