8 / 11

8 同じものに

「おまえの母は、もしや人を(あや)めたことがあるのではないか?」 「え……?」  いつものように髪の毛に香油を施していたヴァイルが、ふと思いついたように問いかけてきた。  突然の内容にシュエシは一瞬、言葉に詰まった。母からは自分を身ごもっているときに人を(あや)めたと聞いたが、それをヴァイルに話していいものか迷ったのだ。ヴァイルは人ではないが、人である自分の母が人殺しというのをどう思うだろうか。 「勘違いするな。珍しい色合いの髪を見ていて、そういえばと思い出したことがあっただけだ」 「思い出したこと、ですか……?」 「あぁ。東の国には夜叉という鬼神がいると聞いたことがある。この夜叉は悪人を殺し食らうという話だが、夜叉の美しい黒髪は罪人の返り血で鮮やかな紅に染まるというのを思い出してな。もしやと思っただけだ」  ヴァイルの口調は淡々としたもので、シュエシの母が人殺しかどうかに関心はないように見える。それならと、シュエシは口を開いた。 「…………僕の母は僕を身ごもっているときに、人を(あや)めたことが、あるそうです」  ヴァイルに隠し事をする必要はない――そう思ったシュエシは、母のことを包み隠さず話すことにした。最後までじっと聞いていたヴァイルの口元が笑むように歪んでいくのが鏡に映る。 「やはり人というのは化け物だな。腹の子を流してまでも女を手に入れたいなど、獣にも劣る行いだ。なるほど、そのときにおまえの母は夜叉になったのか」 「え……?」 「おまえを守るため、人の業を超えるほど深い憎しみを抱いたのだろう。憎悪の業が腹にいたおまえにも移ったのだ。その証拠がこの美しい黒髪だとすれば、さもありなん。紅をさしたようなこの艶は、まさに返り血を浴びたようではないか?」  ヴァイルが「ほぅ」とため息を漏らすように微笑んでいる。そういえば執事だったときも、こうして何度も自分の髪の毛をうっとりと眺めていたことを思い出した。 「あの、……気持ち悪くはないですか……?」 「なぜだ?」 「だって、人殺しの母を持つ証のような髪、なんて……」 「それを言うなら、わたしは年に一人とは言え食事として娘を(あや)めているぞ? あぁ、気持ちが悪いというよりも、人を食らう恐ろしい化け物にしか見えんか」 「そんな……っ、そんなことはないです! ヴァイル様は恐ろしくないですし、……その、とても美しいと思います」 「ふっ、美しい、か。わたしには、この髪こそどんな宝石よりも美しく見えるがな」  そう言って一房の髪の毛を手にしたヴァイルが、そっと口づけを落とす。まるで一枚の絵画のように美しい姿に、鏡越しに見ていたシュエシはぼうっと見惚れてしまった。そのまましばらく惚けていたが、髪に口づけたまま視線を寄越しているヴァイルに気づいて慌てて俯く。 「顔が真っ赤ですよ、奥様?」 「……!」 「くっくっくっ、相変わらず執事のわたしに弱いみたいだな」 「……ヴァイル様……」 「あぁ、これくらいで泣くな。毎晩あれだけ泣いているというのに、よくもまぁそんなに涙が出るものだ」 「ヴァイル様……っ」  いつものように惚ければ、それがおもしろいのか執事のような口調でからかわれる。からかわれて戸惑えば、今度は夜のことを口にして羞恥心を煽る。シュエシはヴァイルの言葉に翻弄されっぱなしだった。 (恥ずかしい内容じゃなければ、こうして話ができるのは嬉しいんだけど……)  寝台での話をされると恥ずかしくてたまらない。最中は訳がわからなくなってシュエシ自身も厭らしいことを口にするのに、淫らな熱が収まると行為を匂わせる言葉だけで全身がカッと熱くなる。こんな気持ちは当然ヴァイルにも悟られていて、わざと恥ずかしがる言葉を言っているのではと疑いたくなる。 「そうむくれるな。花嫁がまだ子どもだということを、つい忘れてしまうだけだ」 「……もう、子どもじゃありません」 「わたしからすれば、十五歳など赤子に等しいぞ?」 「…………でも、子どもじゃないです」  ヴァイルは二十代に見えるが、実際は百五十年ほど生きているのだという。そんなヴァイルから見れば、十五年しか生きていないシュエシなど赤子のようなものだろう。それでも子ども扱いされるのには納得いかない気持ちもあり、つい駄々をこねるような口調で答えてしまう。口にしてから、今度はヴァイルの気分を害したのではないかと心配になり、そっと鏡に視線を向けてしまうのはいつものことだった。 「そうだな、おまえはもう子どもではないのだな。……であれば、正式に我が花嫁となるか?」 「正式に……?」 「我が眷属になるか、という意味だ」 「けんぞく、ですか……?」 「簡単に言えば、わたしと同じ化け物になるかということだ。人に吸血鬼などと呼ばれる化け物にな」  すぐには理解できず、シュエシは何度か瞬きをした。それからヴァイルの言葉をゆっくりと頭の中でくり返す。 (僕が、ヴァイル様と同じに、なる……?)  自分がヴァイルと同じ存在になれるのだと理解した途端に、シュエシの中に興奮にも似た感情がわき上がった。  シュエシは、こんなにも想いを寄せているヴァイルと自分が違う存在だということが、内心ずっと気になっていた。ずっと一緒にいたいと思っていても、それが叶うのかわからなくて不安だった。百五十年以上生きているヴァイルがこれだけ若いということは、いずれ自分だけが先に年を取り天に召されるのではないか……。そう考えるだけで胸がズキズキと痛んだ。  ところが、正式な花嫁になればヴァイルと同じ存在になれるのだという。同じ存在になり、ずっと一緒にいられるのだと思うだけで、シュエシの心は歓喜に満たされた。 「嬉しいです」 「化け物になるというのに嬉しいと言うか。本当におまえは物好きだな」 「……僕は夜叉の子ですから、きっと生まれたときから人ではなかったんです。だから、ヴァイル様の花嫁になることで化け物になるわけじゃ、ないです」 「おもしろいことを言う。なるほど、夜叉の子ならば我が眷属に相応しい。返り血を浴びたような美しい髪と言い、美酒のごとき血と言い、(みだ)りがましい体と言い、わたしを求める純粋な心と言い、おまえは素晴らしい花嫁になるだろう」 「僕も、嬉しいです……」 「……本当に、おまえはよく泣く」  嬉しくてたまらないのに、どうしてか涙が止まらない。シュエシは慌てて涙を拭おうとしたが、その手を優しく止められた。代わりに冷たい指で目元を撫でられる。たったそれだけのことで、胸が締めつけられるように苦しくなった。  苦しいほどのヴァイルへの想いが体中を巡り、体の奥がじんわりと熱を持ち始める。そうなると、シュエシには訴えるようにヴァイルを見ることしかできなかった。 「我が花嫁は、なんとも愛らしい」  美しく微笑んだヴァイルに手を取られ、ゆっくりと椅子から立ち上がる。すぐにふわりと抱きかかえられ、頬に口づけられた。そうしてシュエシがぼうっとしている間に寝室へ運び込まれ、大きな寝台に横たえられるのはいつものことだ。 「(みだ)りがましい体も、また可愛いものだ」  仰向けになると少女が着るような寝衣の裾が敷布の上に広がり、性器が薄い布を持ち上げているのがはっきりと見えてしまう。それはたまらなく恥ずかしいことのはずなのに、シュエシの体はこれから始まる行為に一層昂ぶった。 「次に目覚めたときは同じものになっている」とヴァイルに言われて、シュエシはそっと目を閉じた。これから自分が変わるのだと思うと、緊張からか体が勝手に強張ってしまう。ヴァイルから「緊張しているのか」と問われて首を横に振ったが、ぎこちない動きにクスクスと笑われてしまった。  これではいけないと思い、シュエシは小さく深呼吸をくり返した。フゥと何度目かの息を吐き出したとき、首すじにわずかにチクリとしたものを感じた。続けて皮膚の内側にグッと入り込む感触がして、体が少しだけ震える。もう何度も牙を受けているからか痛みを感じることはほとんどなく、代わりに牙だと思うだけでシュエシの体は快感を拾うようになっていた。  今夜も血を吸われながらヴァイルの楔を深く受け入れていたからか、後ろが忙しなくひくついてしまうのが恥ずかしい。何より腹の中まで勝手に動いて、注がれたものがこぼれ出してしまう気がして仕方がなかった。  そんなシュエシの状態に気がついたのか、一度牙を抜いたヴァイルが首すじに口づけたまま小さく笑う。 「わたしの牙に感じてしまうのは仕方のないことだ、諦めろ。目覚めたら、また慰めてやる」 「……っ!」 「そう恥ずかしがるな。もう一度、穿ちたくなるだろう?」  驚いて目を開けた先には、まだ情欲をともなった黄金色(こがねいろ)の瞳があった。慌てて目を閉じたものの、そんなシュエシの様子がおかしいのかヴァイルのクスクスという笑い声はしばらく続いた。そうして最後にフッと息を吐いたあと、再び牙がシュエシの皮膚を貫いた。  牙の存在を感じるとどうしようもなく体が疼いたが、シュエシはヴァイルに言われたとおり力を抜き、ただじっとそのときを待った。  痛みはないが、牙を感じるところがジンジンと熱を持ち始める。血を吸われるときとは違う感覚がし、次第に指先がジワジワと痺れてきた。痺れは少しずつ全身に広がり、手足の先から頭のてっぺんまで行き渡ったとき、プツンと何かが途切れたような気がした。  そのままシュエシは、死んだように眠り続けた。

ともだちにシェアしよう!