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4 姫と侍従と黒猫と

 姫の世話をするにあたり、シュウクは姫と同室での生活を希望した。そのことにミティアスは少なからず驚いた。  どんなに貧しい貴族であっても、主人と使用人が同じ部屋で生活することなどあり得ない。しかしシュウクは、タータイヤ王国では寝室は別ながらも姫と同じ部屋で生活をしていたのだという。  そう言われてしまえば駄目だと突っぱねる理由はなくなる。そもそも姫の世話をさせるためだけに呼び寄せた侍従なのだから、シュウク専用の部屋があるわけでもない。  それでもミティアスは、珍しく少しばかり考えていた。 「まぁ、きみがそうしたいと言うなら許可するけど……。ええと、この部屋から出られないのは、わかっているんだよね?」  誰が、とはあえて言わなかったが、シュウクには十分伝わるだろう。 「はい、承知しております。幽閉の身であれば致し方ないでしょう。仕える身であるわたしも同様の扱いで問題ございません」 「…………そっか。うん、わかった」  幽閉とはいえ、窓のないこの部屋に表情ひとつ変えないシュウクの様子に、ミティアスは再び疑問を抱いた。 (なぜ、この状況を嘆いたり批判したりしないんだ?)  貴族が幽閉される場合、部屋を出ることは禁じられるものの大抵は貴族らしい暮らしを続けることができる。王族ともなれば豪華な屋敷そのものを幽閉場所にすることがほとんどで、このような窓一つない部屋に閉じ込められることはなかった。大罪を犯したなら話は別だろうが、メイリヤ姫自身が何かしたわけでもない。それなのに、シュウクは当たり前のように現状を受け入れている。  それに、いかに見た目が女性らしくないとは言え、年頃の女主人と侍従が四六時中同じ部屋で過ごすのをおかしいと考えていないことも腑に落ちなかった。 (シュウクは王家と遠い血縁関係にあるって話だけど、それでも変だよね)  もしシュウクが乳兄弟だとしたら、二人は兄妹のような関係なのかもしれない。それでも主従が、しかも身分ある男女が同じ部屋で生活するのはあまりに不自然だ。  それにもまして、姫とシュウクが同じ部屋で過ごすと思うだけでミティアスはモヤモヤとした気持ちになった。姫の瞳にしか興味がないというのに、芽生えた感情に思わず眉をしかめる。 (……まぁ、タータイヤのときと同じ生活をするほうが、姫にもいいだろうし)  何より姫の瞳の秘密は守られる。ミティアスはそう納得することにした。 「ミティアス殿下、ひとつお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」 「うん? いいよ、何?」 「猫の日向ぼっこを、お願いできればと存じます」 「あぁ、猫ね……」  姫の膝の上で気持ちよさそうに寝ている黒猫に目を向ける。  シュウクが持ち込んだ荷物のなかで、もっとも大きく変わった形をした鞄には黒猫が入っていた。艶々とした天鵞絨(ビロード)のような毛をした猫は、ミティアスと同じ緑色の目をしている。この黒猫は姫が可愛がっていた愛玩動物(ペット)で、姫が国を去るときにシュウクが引き取ったのだそうだ。  今回、姫の慰めにと連れて来たが、猫は日光浴をしなければ体調を崩してしまうらしい。「まぁ、そのくらいなら……」と、ミティアスは日向ぼっこの役を引き受けた。  翌日からミティアスは、日向ぼっこをすべく黒猫との触れ合いを開始した。多少面倒とは思うものの、取り立てて忙しい身ではないからできない話でもない。それに、黒猫をとおして姫と何かしら話ができるのではという期待もあった。  黒猫ははじめ、尻尾を逆立てうなり声を上げていた。ところがひと撫でふた撫でするうちにすっかり警戒心が解けたようで、ミティアスが抱き上げても文句一つ言わなくなった。  それを見たダンは、「人だけでなく猫たらしでもあったわけですね」と、随分な感想を述べニヤリと男臭く笑った。そんな護衛側近に、ミティアスは「僕は博愛主義者なんだ」と笑顔でうそぶく。  こうして黒猫と仲良くなったミティアスは、“捕リ篭(とりかご)”の近くにある中庭のベンチへ通うようになった。ちょうどよく陽が当たるベンチは、座っているだけで眠くなる。気がつけば猫を膝に乗せたままミティアス自身もウトウトしてしまい、どちらが日向ぼっこしているのかわからないほどだった。  こんなふうに十分日光浴をしたあと、黒猫を片腕に抱えて“捕リ篭(とりかご)”へと連れて行く。そして人形のような姫にそっと手渡すのがミティアスの日課になった。 「……ありがとう」  黒猫を渡すとき、こうして声を聞くことができるようになったのは四日前からだ。 「どういたしまして。奥方様の猫の相手をするのも夫の役目ですから」 「……」  冗談めかした言葉に反応がないのは淋しいが、こうして少しでも姫と言葉を交わせるようになったのは大きな進歩だろう。なにより、言葉を交わすときに姫の瞳が必ず自分に向けられることには、それなりに満足していた。  そう、人形のようだった姫の瞳に、ようやく自分の姿が映るようになったのだ。可愛い愛玩動物(ペット)のついでに見ている、というだけかもしれないが、ミティアスにとって心地よいことに変わりはない。あの瞳に映るのなら、少し面倒だと思っていた黒猫の相手も楽しく思えるのだから不思議なものだ。 「ミティアス殿下、どうぞ」 「あぁ、ありがとう」  黒猫を手渡したあと、シュウクが入れる香しい花茶を飲むのもミティアスの日課になった。もちろん花茶を楽しむのが目的ではなく、黒猫と戯れる姫をゆっくりと眺めるためだ。  表情に乏しく出来の悪い人形のような姫だが、黒猫と一緒にいるときは人間らしく見えなくもない。それでも聞いていた十八歳には到底見えず、本当は十四、五歳ではないかと思うほど姫は細く小さく頼りなかった。口にする言葉が短いものばかりなのも幼く見える要因で、ついシュウクに年齢を確認してしまったほどだ。 「間違いなく十八になられております。ただ、あまり人とお話になる機会がありませんでしたので、言葉が少々(つたな)くございますが……」 「なるほどね」 「行儀作法など厳しくされておりませんで、ご不快に思われることがあるかと存じます。どうぞお許しくださいませ」 「あぁ、それなら大丈夫。ほら、僕もこんなだし」  ミティアスの言葉に少し困ったような表情を見せたシュウクだが、姫に向ける視線はとても優しく慈愛に満ちたものだった。 「このように心の広い方に(めあわ)せていただき、わたしも安堵しております」  その横顔は心底ホッとしているような、それでいて喜んでいるようにも見える。兄姉たちが浮かべる表情に近いものを感じたミティアスは、「やはり兄妹のような関係なのだろうな」と推測した。  それでも小さなモヤモヤとしたものが湧き上がってくることもあるが、あえて気づかない振りをする。そうしてシュウクの視線を追うように姫の横顔を見た。 「姫は、あまり笑わないんだね」 「…………そうでございますね」  日光浴と昼寝に満足した黒猫が、姫の手や腕にすり寄ったり膝の上で寝転がったりと愛嬌を振りまいている。そういう愛らしい姿を見ても、姫が笑顔になることがないと気づいたのは数日前のことだった。  もともと表情のないところばかり見ていたミティアスは、姫はそういう人物なのだろうと思っていた。それでも少しの笑みも見せないのはさすがに奇妙だ。  そう思って疑問を口にしたのだが、シュウクは歯切れの悪い様子を見せた。 「なにか、あったりする?」  横目でちらりと美しい侍従を見る。柳眉をわずかに下げたシュウクが、すぅっと息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。 「……殿下の心は、硬い氷の中にあるのでございます」 「硬い氷?」  ミティアスの疑問に、シュウクはわずかに笑みを浮かべただけで答えることはなかった。  ミティアスは、再び黒猫がじゃれついている姫を見た。王宮の大広間で見たときよりも髪は艶を取り戻しつつあるが、体は全体的に痩せ細ったままだ。  ――それが答えなのかもしれない。  ミティアスは、胸に重石がのしかかっているような不快なものが広がるのを感じた。

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