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6 姫の秘密
自分が姫に抱いている気持ちについて、ミティアスは延々と考えた。すでに答えはわかっているのに、腑に落ちないせいか無駄に考え続けてしまった。
それでも二日も経てば、いい加減認めざるを得ない。
「なるほど、僕は姫が好きなのか」
声に出すと、ますますそんな気がしてくる。伴侶に恋をするなんておかしな話だと思いながらも、どこか心躍るような気もしていた。
そもそもミティアスは、これまで恋をしているかどうかなんて考えたことがなかった。好きだと思えばすぐに行動に移していたし、立ち止まって自分の気持ちについて考えたこともない。
「好きかどうかなんて、初めて考えたな」
そのせいか「恋とはこういうものだっただろうか」と不思議な感じがする。これまでよりも胸が高鳴るような気がするのは、初めてじっくりと考えたからだろうか。
そんなことを思いながらも、ミティアスは今後のことについて考えた。
「ダンには話しておくとして……、いや、話さなくてもわかっていそうだな」
何事にも敏 いダンは、これまでの行動からミティアスの気持ちなどわかりきっているに違いない。それなら、先に話しておくべき相手はシュウクだ。
この先もメイリヤ姫との関係を邪魔されないためにも、姫の侍従であるシュウクを味方につけておく必要がある。奇妙な姫なのだから、何かあったときのためにも姫のことをよく知る人物を手中に収めておくべきだろう。
そう思いながらも、ミティアスは別の感情も抱いていた。
「なんていうか……、これも一種の牽制なのか……?」
自分の気持ちをシュウクにはっきりと示しておきたい。それは「だから、わかっているよな?」と告げるような感覚でもあった。
シュウクは正真正銘、姫の侍従で、邪な感情を抱いていないこともわかっている。それなのに、どうしても牽制しておきたいという不可解な気持ちになった。
「……まぁ、いいや」
考えたところで無意味だろうことは、後回しにする。それよりもいまは、シュウクを完全に自分の味方にすることのほうが先決だ。
メイリヤ姫の立場は、いまなお微妙なままだ。ミティアスの伴侶として認められはしたものの、何事かがあればその地位を剥奪されかねない。タータイヤ王国にいる諜報員の報告次第では、国と王家を第一に考える宰相がどう判断するかもわからない。戦争を嫌う父王が兵を挙げるとは思えないが、状況次第ではどうなるか不透明なままだ。
そんなとき、姫がもっとも信頼している侍従が味方であれば何かと心強く、都合がよかった。
「それに、ダンも信用しているみたいだしね」
最近、二人が親しげに話している姿をよく目にする。以前よりも親密になったようにも見える。それだけ二人の仲が縮まったということだろうが、同時にあのダンが心を許している結果とも言えた。
ダンは、気さくな雰囲気からは想像できないほど警戒心が強い。王宮騎士だったときよりも、ミティアスの護衛側近になってからのほうが格段に厳しくなった。それはミティアスが逢瀬を重ねているときにとくに発揮され、常に危険がないか周辺を監視していたことにはミティアスも気づいていた。
そんなダンが、シュウクには多少なりと気を許している。シュウクに特別な感情を抱いているからかもしれないが、ダンがある程度信用していることは間違いない。
ダンのお眼鏡にかなった人物なら、少なくとも自分の立場を危うくすることはない――そう判断したミティアスは、まずは姫への気持ちをシュウクに告げることにした。気持ちを伝え、伴侶としてそばにいたいのだと訴える。それが姫にとってもっともよいことだとわかっているシュウクなら、ミティアスの味方になってくれるはずだ。
“捕リ篭 ”でいつもどおりに過ごしたあと、ミティアスは花茶を用意するシュウクに近づいた。
「僕は姫のことが好きなんだ」
突然の宣言に、シュウクがパチパチと小さく瞬きをする。
「ミティアス殿下は伴侶でいらっしゃいますから、わたしにそのようなご報告をいただかずとも問題ございませんが」
「きみもわかっているでしょ? 僕と姫は伴侶だけど、そういった意味の伴侶じゃない」
「この国では、それでも問題ないと承知しております」
「うん、これからも僕の伴侶である限り姫は王族として扱われるし、死後も丁重に葬られる。きっとタータイヤにいたときよりも、ずっと王族らしく過ごせるだろうね」
ミティアスの言葉にシュウクが答えることはなく、いつものように微笑みを浮かべながら花茶の用意を再開した。
これまでの状況から、メイリヤ姫は祖国で幽閉か軟禁されていたのではとミティアスは考えていた。姫の王族らしからぬ様子からそのあたりは想像できたし、シュウクが牢部屋にしか見えない“捕リ篭 ”に驚かなかったのもそういう理由からだろう。
疑り深い宰相が念入りに調べさせた結果、たしかに姫はタータイヤ王家の一員、現国王の息女だったと聞いている。それなのに姫は王族らしからぬ、いや、人らしからぬ奇妙な状態だ。
そんな姫のことをシュウクが心から心配していることは、普段の様子からもよくわかった。ということは、姫にとってよい結果になるのなら進んで味方になってくれるはずだ。
(それに、姫のことが好きだという気持ちは嘘じゃないしね)
「僕は、本当の意味で姫を伴侶にしたいと思っている」
改めてそう告げれば、シュウクがほんのわずか微笑んだ。やや淋しそうにも見える笑みに、もう少し喜んでもいいのではとモヤモヤしたものが湧き上がる。
もう一度はっきり言っておくべきかとミティアスが口を開きかけたとき、視界の端に動くものが映った。
「……シュウク、痛い?」
姫の細い指が、シュウクの目元をそっと撫でている。それはミティアスが初めて見る、姫が他者に心を寄せる瞬間だった。
そんな姫の姿を目にした途端、ミティアスの胸に黒く重いものがぶわりと広がった。どす黒いそれはあっという間に頭を埋め尽くし、ふつふつとした激しい感情をも湧き立たせる。シュウクを味方にしようと考えていたことも、一瞬にして吹き飛ぶほどだった。
「姫ときみは、とても仲がいいんだね」
「……侍従は、わたしひとりでしたので……。兄のように、思っていらっしゃるのだと存じます」
ミティアスの微妙な声音の違いに気づいたのか、シュウクが言葉を選ぶように返事をする。そのことに気づきながらも、ミティアスの心は黒い感情で覆われていった。
シュウクの姫を見る眼差しは兄のように感じられるが、姫がどう思っているのかまではわからない。シュウクは二十六歳だと聞いた。これだけ美しく若い侍従なのだから、どんな女性でも、それこそ子どもであっても恋に落ちないとは限らない。親兄弟と引き離され、ほかに頼る者がいなかった状態の姫だったとしたら、家族以上の思いを抱くこともあるだろう。
そこまで考えたミティアスは、勝手に抱いた妄想に不愉快になった。なんて馬鹿馬鹿しいことをと自嘲しながらも、それが真実だったらと思うだけでますます不快になる。
これ以上見ているとろくなことを考えないなと思ったミティアスは、二人から無理やり視線を逸らした。すると、今度は先ほどまで姫の膝で寝ていた黒猫と視線が合った。起こされて不満そうにしている緑眼が自分の目のように見え、眉間にしわが寄る。なんとか気持ちを静めようと深呼吸をしたところで、ふわりと花のような香りが鼻をかすめた。
「ミティアス様も、痛い、ですか……?」
「……ひ、め……?」
細い指先が、自分の眉間に触れている。初めて、姫が自分の名を口にした。わずかながらも心配そうな色を乗せた美しい瞳が、自分を見ている。
視界の隅でシュウクが瞠目していることに気づきながらも、ミティアスは思わず姫を抱きしめていた。
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これまで積極的に話すことのなかったシュウクから「お伝えしたいことがございます」と声をかけられたのは、昼寝のために姫が寝室へ行った直後のことだった。何かを決意したようなシュウクの様子に、ミティアスも気を引き締めてソファに腰を下ろす。
そうして香しい花茶の香りに包まれながら聞いたのは、メイリヤ姫が本当はタータイヤ王国の第一王子キライトであるということだった。さらに王子が長らく監禁されていたこと、本来は控えめな性格ながら利発で感情豊かな少年だということも語られた。
(やっぱりな)
ミティアスは、自分の予想が大方当たっていたことに納得した。
(昔から僕の予想はよく当たるんだ)
だからこそ、華やかな浮き名を流しながらも大きな問題を起こすことはなかった。ダンの監視警戒のおかげもあるだろうが、危険が及びそうなことや厄介事の一歩手前で必ず手を引いた。
しかし、今回は手を引くわけにはいかない。重大な問題に発展することになったとしても、メイリヤ姫を手放すつもりはさらさらない。
「そういえば、きみは姫と呼んだことがなかったっけ」
「いつも殿下とお呼びしておりましたので……」
「姫……じゃなかった、殿下は、自分が姫として人質に差し出されたこと、わかってるの?」
「理解されております。言葉が拙 いので幼く感じられるかと存じますが、年相応の理解力はお持ちです。ただ……、あまり人と話をされる機会がなく、お考えがうまく言葉にならないのでございます」
聞けばシュウクは、着替えや入浴、食事のときにしか世話を許されていなかったのだという。王子の唯一の侍従だったシュウクも共に軟禁され、それでも必要最低限の接触しか許されず、かろうじて聞き入れられた願いが黒猫の存在だった。
いまも寝室で一緒に寝ているであろう黒猫は、もともとシュウクが可愛がっていた猫が生んだ子だった。軟禁部屋でも自由に出入りしていた猫が咥えて来た子猫たちの中で、メイリヤ姫ことキライト王子が唯一興味を持ったのがこの黒猫だった。
「王宮の片隅に追いやり、人との接触を遠ざけてもなお、殿下を軟禁という形で生かしておく理由がわからない。王族であっても、存在価値がなければ簡単に消されてしまうからね」
大国アンダリアズを含め、どの国でも王族とはそういうものだ。利用価値も存在価値もない王族を、ただ生かしておくほど王家というものは優しくはないし温かくもない。とくに粛清や追放は王の代替わりのときに顕著になるもので、かつてのアンダリアズ王国でも何度も骨肉の争いが起きている。
となれば、生かしておきたい理由がキライト王子の周囲にはあったのだろうとミティアスは考えた。
「殿下がどうして軟禁されていたのか、話してくれるんだよね?」
ミティアスの言葉に、シュウクの柳眉がわずかに歪む。しばらく逡巡するような表情を浮かべたが、覚悟を決めたような切れ長の眼差しがミティアスに向けられた。
「キライト殿下の真 のお父上は、先王陛下でいらっしゃいます。そしてご生母は、現陛下の亡くなられた正妃でございます。……それゆえ、殿下の存在が公になることはございませんでした」
「……なるほど、ね」
現王の正妃が生んだ子であり第一王子となるはずだったキライトは、その出生から存在自体を消されたのだろう。宰相の調査には“キライト”という名の王族名はなかったはずで、たしかに“メイリヤ姫”の名前があったと聞いている。ということは、今回の人質に合わせてすべての記録を徹底的に細工したということだ。
そうまでして王子を姫として人質に出したかった理由はなんだろうかと、ミティアスは話を聞きながら思い描く。
シュウクによると、実父である先王は生まれた我が子にまったく興味を示さなかったらしい。一方、生母である当時の王太子妃は生んだ子にキライトと名付け、愛 しんでいたという。
「我が子を大層可愛がっていらっしゃいましたが……、心優しかった妃殿下は罪深さに苛まれ、少しずつ心を病んでしまわれました」
キライトが三歳を迎えた直後、王太子妃は自ら命を絶った。服毒死した生母を見つけたのは、幼いキライトだった。
「……状況を理解できなかったとしても、幼い身には大きな衝撃だっただろうな」
「はい。……その頃から、殿下のお顔から少しずつ表情がなくなっていったように思います」
それから少しして先王が急な病でこの世を去り、現王が即位した。
王は正妃を奪い陵辱し続けた亡父を憎み、自害した正妃に嘆き、長く溜め込んだ憎悪のすべてをキライトに向けた。ただ殺すのでは満足できない。窓のない牢獄に閉じ込め、外の世界から隔離し、多くのものを奪われたまま死んだように生き続ければいい――それが体面上の父であり異母兄であった王の行動だった。
「我が国には、王家と国を滅ぼす魔性の目という伝承がございます。キライト殿下の瞳は、悪いことにその魔性の目に酷似していたのでございます」
「魔性の目?」
「かつて左右色の違う者が王家に生まれ、その者に惑わされた王が国を傾けたという言い伝えがあるのです。そのため、いまでも左右違う色の瞳を持つ者は魔性の目と呼ばれ、忌み嫌われております」
「それが建て前としての理由ってことか」
「……建て前だけでは、ございません」
「どういうこと?」
「殿下の瞳に惹かれ、……閨に連れ込もうという者が出始めたのです」
現王がキライトを軟禁したことで、彼の存在は密かに、しかし確実に周囲へ知れ渡ることになった。それまで王太子妃の手で厳重に隠されていた存在が、突如表舞台に染み出てしまったのだ。その結果、最悪の状況へと向かうことになった。
異変は王の側近から始まり、王の異母弟たち、果ては先王の弟たちまでもがキライトに対して邪な欲望を抱くようになった。
それに王が激怒したのは言うまでもなく、十四歳になっていたキライトは、ついに王宮の牢から追い出されることになった。その後、遠く離れた離宮とは名ばかりの砦に軟禁されたが、それでも命が取られることはなかった。何がなんでも生殺しにしておきたいと思うほど、王の憎悪は根深かったのだ。
「伝承に記された瞳の持ち主は、王を色狂いに堕とした魔のものだとあります。その記述どおりになりつつある現実が、陛下の憎しみをさらに増幅させたのではと……わたしは、そう思っております」
キライトに責任はなく、周囲が狂わされたのもキライトの罪ではない。それでもミティアスには、稀有な瞳に惑わされた者たちの気持ちがわかるような気がした。
ミティアスも、あの瞳を誰にも見せたくないと思った。伴侶の地位を与えることで独占し、閉じ込めている状況を幸いと考え、いまではすべてを手に入れたいという欲望まで抱いている。
「キライト殿下は、ご生母である妃殿下と同じように人の感情に敏感でいらっしゃいます。陛下の憎悪を感じ、周囲の劣情を感じ、……わたしが抱く憐れという気持ちをも感じ取ったのでございましょう。だからこそ心を閉ざしてしまわれた。そうしなければ、ご自分を守ることができなかったのです。それに気づいていながら、わたしは何もできず……。それでも、幼い頃のように、殿下に心から笑っていただきたいと願い続けております」
わずかに歪んだシュウクの濃紺の目を見ながら、ミティアスはゆっくり微笑んだ。
「僕は姫を、キライト殿下を本当の意味で伴侶にしたいと思ってる。性別なんて僕には関係ないし、いまの話を聞いても気持ちが変わることはない。……そうあってほしいと、きみは願っている。違う?」
「……そうでございますね」
歪んでいたシュウクの瞳が、わずかにホッとしたように緩む。
「殿下が、本日のように誰かを心配されるのはとても珍しいことでございます。それに、お言葉を頂戴することはあっても、自ら触れるということも滅多にございません」
「そうなの?」
「はい。それゆえに……ミティアス殿下を心配するお姿に、勝手ながら希望を抱きました。形だけの伴侶でも、そうでなくても、……どうかキライト殿下のことを、よろしくお願い申し上げます」
そう言って、シュウクが深々と頭を下げた。そんなシュウクを見ながら、ミティアスはもう一つ気になっていたことを口にした。
「ついでに聞いておくけど、きみはどうしてそこまで殿下に尽くすの? ただの侍従にしては献身的すぎやしないかな」
いくら侍従とはいえ、軟禁されてまでも仕えたいと思うものだろうか。もしや、シュウクも王子の瞳に惑わされていた一人では……、そこまで考えたミティアスは、馬鹿馬鹿しいと己の考えを打ち消した。
そんなミティアスに、わずかに笑みを浮かべながらシュウクが答えた。
「わたしの瞳は同じ色ではありますが、子どものときから“出来損ないの魔性の目”と言われてきました。母とわたしは嫁ぎ先からも生家からも追い出され、途方に暮れていたところを遠縁であった妃殿下に拾われたのでございます」
シュウクの言葉に、ミティアスはなるほどと納得した。
いまだに魔性の目なる伝承が信じられているタータイヤ王国には、美しいものを恐れる何かがあるのだろう。たしかにシュウクの美しさには、美しい人々を見慣れているミティアスも一瞬目を奪われることがあった。
(国を守るために、恐れるものすべてを排除しているといったところか)
周辺国から侵略されることに怯え、主国となったアンダリアズ王国を畏れるタータイヤ王国には、そうすることでしか国内を穏やかに治めるすべがなかったのかもしれない。
(そうした中で、殿下に自分を重ねたってところだろうな)
シュウク自身がどんな経験をしてきたかを問うほど、ミティアスは無遠慮ではない。シュウクが王子を見る眼差しに兄のような雰囲気を感じるのは、そういうことも含まれていたのだろうと推測した。
「わたしは、殿下にお幸せになっていただきたいのです」
シュウクの言葉に、ミティアスがにこりと笑った。
「こんなに好きになった相手はキライト殿下が初めてなんだ。だから、絶対に諦めたりしないよ」
自分と殿下のことも、それにこれまで散々苦労をかけてきた優秀な護衛側近と美しい侍従のことも、諦めたりはしない。ミティアスは、改めてそう決意した。
そんなミティアスの言葉にふわりと笑みを浮かべたシュウクの顔は、やはり姫の――キライト王子の兄のようだった。
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