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8 さらなる前進

 キライトがミティアスに触れるという行為は、日を追うごとに増えていった。はじめは戸惑っていたミティアスも次第に慣れていき、いまでは触れられることを堪能する余裕も出てきた。  そうなると、今度はキライトがどうして触れてくるようになったのかが気になり始めた。自分のことを信頼し始めている証拠かもしれないが、それにしても急な接触は不思議に思える。ほかにも何か変化があるかもしれないと思ったミティアスは、キライトのことを観察することにした。  そうして三日ほど観察したが、とくに変わった様子は見られなかった。言葉数が増え、会話の回数も増えているものの驚くほどの変化ではない。 (じゃあ、触れることだけ変わったってことか?)  何がきっかけで触れたくなるのかまではわからないが、おずおずと手を伸ばしてくるキライトの姿は、初めて会ったときの甥っ子たちを思い出させた。 (まるで確認しているような……。いや、思い出しているのか)  キライトは、かつて生母と触れ合っていたときのことを思い出しているのかもしれない。触れ合うことで感じる心地よさに気づき始めているのかもしれない。 (まるで幼子の成長のようだな)  あながち間違いではないかもしれないとミティアスは思った。  話を聞く限り、これまでのキライトはシュウク以外と接触する機会は皆無だったはずだ。キライトを不憫に思っているシュウクも、さすがに侍従という立場を超えるような接触はしなかっただろう。  そんな状態だったからこそ、ミティアスに抱きしめられたことで何か感じることがあったのかもしれない。キライトの中に眠っていた何かが目覚めようとしているのだとしたら……。 (せっかくなら、僕を特別な存在だと思ってくれるといいんだけど)  つい焦ってしまうが、さすがにそう思うには早いだろう。それでも、自分に対して何かを感じてくれている可能性は高い。昼寝のため寝室に向かう直前のキライトが、ほんの少し笑顔を浮かべたように見えたことを思い出すと、ますます期待が高まった。 「殿下、ニヤニヤと鼻の下を伸ばしてどうしました?」 「……そういうことを言うために、珍しく“捕リ篭(とりかご)”に入ったのか?」  ニヤリと笑っているダンをひと睨みしたミティアスは、ソファから立ち上がると扉近くに控えるダンとシュウクに近づいた。そうして自分がいま考えていたことを二人に話した。 「ミティアス殿下の邪心も、ときには役に立つということですか」 「ちょっとダン、さすがにそれは失礼だろう? それに僕は、邪な想いだけでキライト殿下に接してるわけじゃない」 「そうですか? 殿下の胸の内の大半は邪心だと、わたしは予想していますがね」  頭半分ほど上背のあるダンが、ニヤリと笑みを浮かべて見下ろしている。さすがに生まれたときから共に過ごしているだけあって、ダンはミティアスの心を正確に読むのに長けていた。 (たしかに下心は持っているけど、それだけじゃない)  自分の欲望を恥じることなどないミティアスだが、ここでそんな劣情の塊のような評価をされるわけにはいかなかった。ようやく心配顔を見せなくなったシュウクに、触れ合いは時期尚早だと邪魔をされてはかなわない。  そう思ったミティアスが反論しようと口を開きかけたとき、クスクスと笑う声が聞こえてきた。ゆっくりと視線を横へずらすと、口元を隠しながらも肩を振るわせているシュウクの姿が目に入る。 「……美人は、笑っている姿も美人だね」 「ふふ、くっくっ、ふ、……失礼しました。お二人は、本当に仲がよろしくていらっしゃるのですね」 「ダンはほとんど兄みたいなものだからね。この世で頭が上がらないのは、母上とダンくらいかな」 「左様でございますか」 「殿下、そこにいずれはキライト殿下も加わりますよ」 「あー……うん、もうすでにそんな感じかもなぁ」  ミティアスの言葉に再びシュウクが笑い、ダンは相変わらずニヤニヤと笑んでいる。 「僕がキライト殿下ともっと親しくなりたいと考えているのは間違いないけど、無理強いしたりはしないから安心して」  やや眉を寄せながらもそうミティアスが言えば、優しい笑みを浮かべたシュウクが「もちろんでございます」と答えた。 「ミティアス殿下は恋愛にとても真摯なお方だとお聞きしております。大切な我が主人(あるじ)を、どうぞよろしくお願い申し上げます」 「……ダン、何か余計なことを話しただろう?」 「おや、これは心外な。わたしは余計なことも嘘も決して口にしませんよ。ただ、殿下のこれまでの恋模様と今回がどのように違うか、問われたことに答えはしましたが」 「…………言わなくていいことまで話しているってことは、よぉくわかった」  ミティアスの苦々しい表情に再び笑ったのはシュウクだった。そんな麗しき侍従の姿に多少ムッとはしたものの、不快な気持ちになることはない。  キライトが変わってきたように、シュウクも少しずつ変わってきていることにミティアスは気づいていた。以前から微笑むことは多かったが、こうして声に出して笑うようになったのは最近になってからだ。 (シュウクも少しは安堵しているってことか)  笑いながらダンと話しているシュウクを見て、ミティアスは美しき侍従の胸の内を慮った。  キライトを幼い頃から見てきたシュウクは、長い間心を傷めていたに違いない。キライトの過去を話しているとき、自分を責めているような表情をしていたことからもそれは窺い知れる。  明言はしなかったものの、シュウクはいまの状況のほうがよいと考えているのではないだろうか。人質であっても王族として扱われるならば、祖国で軟禁され続けるより余程いいはずだ。 (つらい思いをしてきただろうシュウクのことを、ダンは気に留めていたんだろうな)  憐れという言葉では表現できない主人(あるじ)に仕え続ける姿に、同じ仕える者として感じるものがあったのだろう。もともと世話焼き気質のダンだから、放っておけなかったのかもしれない。 (僕の護衛側近になったばかりに、ダンには苦労ばかりかけている)  苦労性の側近と不憫な侍従も、そろって安寧の地に連れて行こう――珍しく主人らしいことを思ったなと、ミティアスはわずかに口角を上げた。  ミティアスは、いまの状況に決して満足などしていない。キライトとも、このまま清い関係で終わらせるつもりはない。一番は皆が幸せになることだが、どうなるかはこれからの自分次第だ。そう思うと奮い立つような高揚感を感じるが、ミティアスがこんな気持ちになったのは初めてだった。 (僕は、手に入れたいものは絶対に手に入れる)  そのためには埃を被った書庫の本も読むし、宰相の目をかすめてあれこれ調べ物をすることも(いと)わない。ダンに命じてタータイヤ王国の内情を調べることもすれば、父王に内緒でいわく付きの土地に使者を送ったりもする。 (ダンの同期に諜報員がいて本当によかった)  そんなことを思いながら、談笑する二人の奥にある“捕リ篭(とりかご)”の扉を見た。 (いまはまだ篭から出られないけど、いずれはね)  陽の光の下で笑うキライトを想像し、ミティアスは浮き足立つ気持ちのまま寝室の扉を開けた。 ・ ・ ・ (ええと、どうしてこうなったんだっけ……?)  体力がないキライトは、毎日必ず昼寝をする。そんなキライトを眺めるのがミティアスは好きだった。今日も、ふかふかのベッドで気持ちよさそうに眠る姿を飽きもせずにじっと眺めていた。  ……そう、見ていたはずだった。それなのに自分の体はベッドに横たわっていて、胸には華奢なキライトが寄り添っている。眠そうなキライトはうつらうつらしながらも、たまに顔を上げては少しばかり微笑んだりする。 (もしや、忍耐力を試されているとか……?)  思わずそんなことを思ってしまったのは、この状況を作ったのがキライトだったからだ。  くぅくぅと小さな寝息を立てていたキライトが、不意に目を覚ましたのは少し前だった。「目が覚めましたか?」と声をかけると、「ミティアス様も、寝ますか……?」と腕を引かれ、気がついたら並んでベッドに横たわっていた。  突然のことに固まっていたミティアスの胸にくっついてきたのはキライトのほうからで、離さないとばかりにキュッと上着の胸元を握りしめる姿はやけに庇護欲をかき立てた。まるで置いていかないでと言っているような仕草に、胸がズキンとする。 (……あぁ、そういうことか)  ミティアスは、ゆっくりとキライトを抱き寄せた。  少しずつ変化しているキライトだが、ミティアスが考えている以上に触れ合いを求めていたのだろう。温かな肌の感触を心地よく思い、忘れかけていた生母の愛情を思い出しつつあるのかもしれない。本人は気づいていないのかもしれないが、だからこそ夢うつつのときにこうして行動に表れたのだ。  キライトが求めるものは、余すことなく与えたいとミティアスは思っていた。溺れるくらいの愛情を注いでやろうと考えてもいた。それができるのは自分しかいない――そう思うだけでミティアスの心は満たされ、喜びを感じた。 (僕も触れたいと思っているわけだし、問題は……なくは、ないんだけど)  油断すると欲望が頭をもたげようとするが、そこは渾身の精神力でねじ伏せるしかない。ここでキライトを怯えさせたくはないし、こうした情欲の伴わない愛情を感じてもらえるのもうれしいことに変わりはないからだ。  そのうち違った愛情も受け入れてもらえるといいんだけどと思いつつ、ミティアスはそっと目を閉じた。  小柄な体は腕にすっぽりと入って収まりがよく、自分よりも温かいのは意外だった。もう少し肉付きがよいほうがいいなと思っていたが、これはこれで悪くない……。そんな邪なことを思いながら、いつの間にかミティアスも眠りに落ちていた。  その寝顔をとろりとした瞳で見つめるキライトの口から、小さな小さな声で名を呼ばれたことに、残念ながらミティアスが気づくことはなかった。

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