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第14話 雪

 その日は朝から荒れ模様の天気で、季節外れの雪が都心の空を舞いはじめていた。  颯太は残業を切り上げ、ぼんやりエレベーターを待っていた。  まろやかな到着音とともにドアが開き、乗ろうとすると、ひとつ上のフロアから降りてきた藍沢がひとり、箱の中にいた。 (……っ)  心臓が竦む音を聞きながら、颯太はどうにか平静を保ち、藍沢に肩を並べた。 「しばらく逢えませんでしたね」  いつかカフェテリアで背中合わせのまま、藍沢の彼女の話を盗み聞いてから、颯太は意図的に藍沢のことを避けていた。 「あ、うん……ちょっと別件が忙しくて」 「そうでしたか」  藍沢はポーカーフェイスで、相変わらず何を考えているのかよくわからなかった。 「あの、新しい提案、出たみたいですね。緊縛、ですか」 「うん」  藍沢が口を開くたび、颯太の胸はざっくりと刃物で切り裂かれるような痛みが走った。会話のキャッチボールをするたびに、藍沢としたことが、誰とでもできることじゃないのだと自覚する。  颯太は迷った末に、今、伝えてしまおうと腹を括った。 「そのこと、なんだけど……。今回は別の人にお願いしようと思ってるんだ」 「え?」  言葉にすると、一瞬、藍沢は止まった。 「前に話した知り合いのツテでさ。今回は見つかったんだ。縄師の先生が」  片想いの彼女がいる藍沢に、これ以上、甘えるわけにはいかない。考えた末に出した結論だった。 「それ、誰ですか? 俺とは、しないってことですか?」 「う、うん」 「どうして……。俺とするの、嫌になりました? 今までのやり方に不満があるのなら、ちゃんと話し合いましょう。対応します」  詰め寄る藍沢に、颯太は少し面食らいながら、心の深い場所が血を流しはじめるのを感じた。 「えっと、そうじゃないんだ。藍沢くんは、むしろちゃんとしてくれた。不満なんてあるはずないだろ。ありがとう。今まで、本当に助かったよ」 「じゃ、どうして……」  まさか藍沢がゴネるとは考えていなかった颯太は、もうまっすぐに視線を返すことができなかった。 「あの、野々原慧(ののはらさとる)、っていう縄師の先生なんだけど……、けっこう有名だから知ってるかも? 元々、藍沢くんとは相手がいなければ、って条件で付き合ってもらってたし、今回は野々原先生が見つかったから」  声が震えないように、腹に力を入れるのに颯太は必死だった。 「きみには本当にお世話になったけど、もう望んでないのにおれに付き合わなくて、いいから」  颯太が言葉を発していると、一階への到着を知らせるチャイムが鳴った。ドアが開くと同時に、上へゆく人々が雪崩れ込んでくる。 「ちょっと待ってください……っ」  慌てた様子の藍沢が颯太に詰め寄ろうとしたが、乗客たちに行く手を阻まれる。 「鍵咲さん……!」 「じゃ、また。今度何かお礼に奢らせてよ。今度はきみの、好きなやつ」  颯太は藍沢を置いてビルのエントランスを抜けると、強く握りしめていた拳を開いた。  舞い散る雪の中、コートの襟を立てて歩き続けた。頬にかかる雪が溶けて、涙みたいに濡れるのも厭わずに。

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