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第15話 カート解放まで、あと10日
野々原慧は、神経質そうな整った顔を近影としてSNSに上げていた。
藍沢とはあれ以来、何の音沙汰もなかったが、当然のことだと颯太は未練を断ち切るように言い聞かせた。
不意に泣き出してしまいたくなるほど情緒不安定な日が続き、耐えて仕事を続ける颯太が野々原に逢いにゆくため、定時少し前にフロアを出ると、ビルのエントランスで、外回りから帰ってきたらしい藍沢とかち合った。
「あの、鍵咲さん。お久しぶりです」
藍沢は、とてもやつれて見えた。
「藍沢くん、きみ、大丈夫?」
今にも倒れそうな顔つきで、目の下に青白いクマができている。身なりこそきちんとしているが、少し痩せたようにも見える。ちゃんと食べて眠っているのだろうか。
しかし藍沢は痛々しいほど憔悴した顔で、無理に笑ってみせた。
「ちょっと……仕事が忙しくて。それより、どこかへいくんですか?」
まだぎりぎり定時前だ。目敏く尋ねた藍沢に明かすべきか迷ったが、隠すのもおかしな話だと考え直し、颯太は白状した。
「これから、縄師の先生に取材にいくんだ」
それを聞くと、藍沢は顔つきを変えた。もう必要ないと颯太に切られたことを思い出したのかもしれない。仕事ができる人だから、きっと矜持を傷つけてしまったのだろうと颯太は思い、逃げるように踏み出した。
「じゃ、いってきます」
藍沢に背を向けて歩き出した瞬間、鋭い声が飛んだ。
「あの!」
「?」
驚いて振り返ると、藍沢がすごい速さで颯太を追ってきた。
「取材、同行させてもらえませんか」
「えっ」
「ぜひお願いします。迷惑はかけません。後学のために見学させてください。お願いします……!」
頭を下げた藍沢のつむじを見て、颯太はたじろいだ。
取材と銘打ってはいたが、颯太が縛られにゆくのだ。快楽責めのことも、事前に野々原に伝えてある。何より、藍沢の目の前で、藍沢以外の誰かとするのは嫌だった。
「縄師の先生のところだよ? ここだけの話、おれが、縛られにいくんだけど……」
「うちではまだ縄は取り扱っていませんが、どんな使い方をされるのか知っておくのは大事だと思うんです。これから開拓する市場のことも、きちんと勉強しておかないと」
「それならネットとか本とかで色々……」
「ひと通りの知識は入れてあります。でも、実践するところを見る機会はなかなかありません。邪魔になるようなことはしませんから。お願いします、鍵咲さん……!」
こんなに食い下がられるとは予想だにしなかった颯太が迷っていると、藍沢は「少し待ってください。電話一本だけ」と言い、スマートフォンを取り出した。
「……あ、斎賀? 俺。悪いけど、今送った報告書、プリントアウトして今日中に課長と部長の決済印もらってくれるか? うん。そう。非常事態。うん。……うん。じゃ。……終わりました。いきましょうか」
「えっ? 今のでいいの?」
「はい。あいつにはあれで通じます」
雑用を押し付けられた斎賀という同僚に若干同情を覚えた颯太だったが、藍沢の引く気はないという姿勢に押し切られ、渋々了解の返事をする。
「……わかった。でも、本当に見てるだけだからね?」
「はい」
頷く藍沢に、覚悟するしかない、と颯太はため息をついた。
プランは先方任せで、颯太はノータッチだった。何が起こるかわからなかったが、藍沢には散々、乱れた姿を晒してきている。今さら、それがひとつ増えたぐらいで、何が変わるわけでもないだろう。
歩調を合わせて歩きはじめた藍沢の行動力に半ば呆れ、半ば感服しながら、颯太は藍沢を連れて野々原宅へ向かうことを、了承したのだった。
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