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第28話 二年前(1)
「……これ、えっと、二年前?」
「はい」
「えっと……確か、きみと話したのは覚えてる、ような気がする、けど……」
あの日も確か、雨が降っていた。
「垣谷さんが……あの日、辞めることが表に出て……」
垣谷とは、藍沢と付き合っていると噂のあった、颯太の先輩にあたる女性社員の名前だ。
「俺はそれを知らされてなくて、突然、別れることになって、心が限界まで荒んでたんです。そんな俺を、あなたが見つけてくれた」
そういえば、ビルのエントランスで中途半端に雨宿りをしている新人に、颯太はあの時、傘を譲るつもりで貸したのだった。
「ああ……」
あれは、確か藍沢だったか、と颯太は記憶が繋がるのを感じた。しかし、それがどう今とリンクするのかは、まだわからない。
藍沢は、スマホをポケットに仕舞った。
「あんな小さなことを覚えているなんて、気持ち悪いと思うかもしれませんが、俺にとっては大事な想い出なんです。思い出してもらえましたか?」
あの日、颯太の課では、垣谷の送別会みたいなことが内輪で行われた。颯太は、どうしてもアイスが食べたいと言い出した課の女性陣の要望を受け、コンビニに向かう途中だった。
思い出した。
覚えている。
颯太は、恋に落ちたことがなかったから、藍沢が何を思って、そんなところにいるのかわからなかった。ただ、噂は聞きかじっていたので、フロアに戻る切っ掛けが要るんじゃないかと思い、声をかけたのだ。
『藍沢くんだっけ? きみ、アイス食べない?』
藍沢の背中に恐々話しかけると、顔色が悪く、人相も今より少し悪かった気がする。でも、いきがかり上、放っておけず、一緒にコンビニまで買い物の手伝いを頼んだのだ。
そこで他愛のない話をした。
別に藍沢のことを想ってのことではなかった。ただ、どう接したらいいかわからず、始終、気後れしていただけだ。
アイスをしこたま買い込んだあと、会社のオフィスが入っているビルまで戻ってきた颯太は、藍沢に傘を貸したのだった。
『どうしても抜けたいなら、使っていいよ。あげるから。でも、たぶんアイス余ると思うから、一緒に食べないか?』
今思えば、失恋中の藍沢を捕まえて、ありえない無神経さだったかもしれない。しかし、藍沢は一瞬、目を瞠り、『ありがとうございます。傘、お借りします』と丁寧に頭を下げた。
そして、エレベーターを待っている颯太が振り返ると、藍沢はビルの出入り口あたりで傘をさしたまま、黄昏ていた。
颯太はそのまま戻り、アイス祭りに参加し、それがお開きとなった頃に、やっと藍沢が遅れて顔を出したのを見て、少し胸をなでおろした。
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