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第8話 目隠し(2)

 藍沢は、入社してから間もなく、当時、企画開発課にいた颯太の三年先輩の正社員の女性との交際が噂になったことがあるのだ。てっきり結婚までいくのかと思ったら、彼女は何のフォローもなく、間もなく転職していき、藍沢だけが会社に取り残された。ジゴロだの、女たらしだの、フラれただのと騒がれ、それは本人の耳にもどうやら届いたらしかった。  以降、件の彼女とどうなったのかを尋ねる者はなく、噂は立ち消えていったが、藍沢が社内で信用を築くのに相当苦労しただろうことは容易に想像がついた。 「……本当にあったことですから、否定はしません。でも、彼女とはきっぱり別れてますし、そもそも他に相手がいるなら、志願なんてしません。俺は……」  そのまま言い淀んだ藍沢は、颯太を見て眸を揺らした。言うまいか迷う様子でしばらく沈黙したのちに「とにかく」と話を切り上げる。 「俺はあなたをネガティヴな目で見たことは、一度もないです」 「そ、っか」 「俺こそ、鍵咲さんに訊きたいです。俺に愛撫されるの、嫌ですか……?」  ストレートに尋ねるのは狡いと思ったが、真摯な色を湛えた藍沢の問いに、颯太は気持ちを明かすしかなかった。 「嫌じゃないよ。でも、少し……」  少し、怖い。  藍沢との逢瀬を重ねるたびに、身体がひらき、知らない感覚を覚え込まされる。呼び覚まされた快楽が深すぎて、このまま元に戻れなくなるんじゃないかと思う。  この畏れを、どう表現したものだろう。  あまりにも経験がなさすぎて、颯太は立ち止まらざるをえない。 「わかりました。こうしましょう。恥じらう気持ちが強いのなら、視界を遮断しませんか。俺と、鍵咲さんの」 「視界を?」 「お互い暗闇の中でなら、羞恥心も薄れるし、終わったあとも……わだかまりが最小限で済むと思うんです」 「でも、レポには……」 「レポにはプレイとして目隠しを追加すればいいと思いますよ。慣れたら、外せばいいですし」  藍沢は、颯太の迷いを恥じらいと理解したようだった。確かにそれもあるのだが、颯太は自分の抱く感情を上手く説明できないまま、藍沢の出した案に乗るしかなかった。 (たぶん、先に進むのが怖いだけで、一時的な感情だろう……) 「わかったよ、藍沢くん。ひとまず、それでいこう」  頷くと、藍沢は首にしていたネクタイを引き抜き、颯太の視界を塞いだ。同時に、藍沢が颯太のネクタイで、目隠しをする。 「触ります」 「うん……」  視界を塞がれると、相手の気配が濃くなる。  藍沢の少し冷たい指が、そっと颯太の肩の辺りを触った。あどけない触れ方が、心地いい。  これなら、いけそうだ。  颯太はかすかに藍沢の匂いのするネクタイの下で、そっと瞼を閉じた。

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