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第32話 カート解放まで、あと1日(2)

「鍵咲さん、OKです。……どうかしましたか?」  固まっている颯太に、藍沢がラップトップを返す。 「藍沢くん、きみ、移動って……海外じゃないの? 新設部署、第二営業部って……」 「ああ」  颯太が確認すると、藍沢が「忘れていた」という表情をするので、不安が一気に押し寄せる。 「一応、先週、部長クラスには知らせたんです。でも副社長が何も言わないのに、って、エイプリルフールだと思われたようで……。まあ、部署といっても試し運転的なもので、当分は俺ひとりなんで、のんびりやりますよ」  藍沢は、本当にのんびりとした口調で言った。認めたくはないが、こういうところが弦一郎とそっくりで、ウマが合うのかもしれない。 「男性用ジョイトイの営業業務を部署として独立させる、ってあるけど……本気? これ副社長が推してるってこと? 早すぎない?」 「あの人は思い立ったら動かずにいられない性質なんで……。これでも遅い方ですよ。副社長、部長と兼任、って書いてありません? 俺はまだヒラで、役職なしですし、たぶん失敗したら撤退でしょうし、先遣隊の威力偵察みたいなもんです」 「っでも、凄いじゃないか……!」  成功すれば、出世コースだ。  そして抜擢された藍沢は、これから颯太とも連携を取ることになる。もちろん仕事だから、プロモーション部の朝田や、他の関係者とも一緒に仕事をすることになる。  同時に、先日、弦一郎にレポの件を問われた時に、複雑な顔をされた理由がわかった。 「すごい、きみと一緒に仕事ができる……!」  素直に喜ぶ颯太に、藍沢は少し照れて、首筋を掻いた。 「あなたのことが気になって、仕事が手につかなくならないといいんですが。それに、副社長には気をつけてください。あの人、手が早そうな気がするんで」 「何言ってるんだよ。大丈夫だって。にしても、こんなサプライズなら、言ってくれれば良かったのに……」 「内示が出た段階では、俺が迷ってましたから……。あの頃、あなたの傍にいていいのか、かなり悩みましたし」  ちょうど野々原との一件があった頃で、藍沢と、互いにぎくしゃくしていた時のことだ。颯太は懐かしく思い出した。 「あなたを諦めるか、どうするか、ずっと決めかねてたんですけど、イチからやり直すつもりで、視界に入って仕事で成果出せば、認めてくれるんじゃないかって」  考えた末に決めたのだと、藍沢が言った。  藍沢が諦めていたら、何もかもが今のようにはおさまらなかった可能性が高い。まっすぐ求め続けることが、いかに難しいか、颯太は知っている。 「……ありがとう」  思わず言葉が零れた。会社でなかったら、藍沢を思い切り抱きしめたいところだ。 「そういや「開発日誌」は続けることになったんでしたよね? 次、どうしますか? 今まではジョイトイごとに二、三記事出してきましたけど……、エッチが多いと、どれを記事にするかで迷いますね? 颯太さん?」  藍沢が悪びれた笑みを漏らし、颯太に流し目をした。プライベートで呼ぶ名前で呼ばれて、颯太は内心、どぎまぎしながら、きっぱりと藍沢を叱る。 「藍沢くん、それセクハラ」 「えぇっ」  言ったあとで二人で目が合うと、吹き出してしまう。 「男性用ジョイトイ、おれたちで売りまくろうな」 「もちろんです、鍵咲さん。売りますよ、俺は。そして出世します」  カートが開くまで、あと一日。  高鳴る鼓動に逸る気持ちを押し殺して、颯太と藍沢は互いの手を、しっかりと握り合った。  =終=

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